▼カナタマ・DC2
カナエGOODエンド世界
小腹が空いたなとキッチンにむかったら、黒いエプロン姿の同居人が振り返った。俺には少しだぶだぶのエプロンも、カナエが着たらぴったりで、どこぞの料理人みたいに決まってるから悔しい。…まあ、カッコイイのも少しは認めるけど。
「どうかした?」
「…いや、なんかちょっと小腹がへったなあって」
「まだしばらくかかっちゃうからね。林檎、あるよ」
カナエが笑って、冷蔵庫を目で示す。
実は、俺もカナエも一人暮らしは長いわりに、そんなに自炊が得意なほうじゃない。今までは外食やら弁当やらで簡単に済ませることが多かったから。
けど、こうして二人で暮らし始めるとそうもいかなかった。俺はカナエの為にバランスのいい食事を用意したかったし、カナエの方もそう思ってくれたみたいだ。…そんな幸福な連鎖で、食事当番は交代制になった。まだまだトキオのようにはいかないけど、ちょっとずつ腕はあげてる…と思う。
取り出した真っ赤な林檎を、さあどうしようかと眺めてたら、横から手が伸びてきた。
「貸して。俺が剥いたげる」
「え、包丁でか?カナエ、ちゃんと剥けんの?」
「あ、言ったね?」
少し口を尖らせたカナエは、持っていた包丁を滑らせた。するすると皮を剥いていく包丁さばきは、思ってたよりもずっとスムーズで。
「うわ、やるじゃん。俺よりうまいかも…」
「ふふ。基本的に手先は器用なんだよね、これでも」
性格はぽやぽやしてる癖に、意外と飲み込み早くて何でもソツなくこなすカナエ。きっと料理もすぐに俺より上手くなってしまうに違いない。
するする、
するするする、
細い線になって丸まっていく赤色をぼうっと目で追う。
ふと、気が付いたら、カナエの手がとまっていた。
「カナエ?」
「…ん。なんでもないよ」
怪訝に思って見上げれば、やんわりと笑まれる。けど瞳の奥には言葉にできない何かがあって、意味ありげな視線は、生ゴミになっていく赤に向けられていた。
…その瞳が思い描いてるのは、かつて自分の手を染めてきた赤だろうか。
それとも、もう見ることはない筈の、あの凍てついた紅色?
どっちでも、悔しい。過去のカナエを縛るもの。いまのカナエは、確かに俺と共にあるのに。
「わっ。こら、」
カナエの背後にまわり、ぎゅ、と抱き着いた。意外に広い肩口にこつんと額を当てる。珍しく少し焦ったような声が小気味いい。
「…タマキくんて、意外と俺にくっつくの好きだよね」
「うるさい。悪いか?」
「悪い訳はないけど、ほら、まだ包丁使ってるのに危ないよ」
「どうせ俺はいい子じゃないから。言うことなんか聞けない」
「……ヤだな、まだ根に持ってる?」
『いい子だから、言うことを聞いて?』
ヘリから突き落とされたときのこと、あのショックは今でも忘れられない。カナエの困った顔も、声も、触れてくる指先からも、悲しいくらいに別れのにおいがした。
…いまこうして共に在るのが奇跡だって知ってるから、一緒に晩飯のメニューに悩む平穏な日々が余計愛おしいし、簡単に許してなんかやらない。
「…じっとしててね」
諦めたのか一つ息をついて、カナエがまた器用にナイフを滑らせ始める。
するする、するする。
「なあ、カナエ」
「うん?」
「もし、もしもだけど」
「うん」
「あいつが、生きてとしたら……どう思う?」
あいつが誰かなんて、口に出さなくてもわかる。一瞬ぴたりと包丁が止まって、けど動きはすぐに再開した。
「わからない…な。正直、自分でもよく」
悲しいのか、嬉しいのか、悔しいのか、ほっとするのか、許せないのか、そうでもないのか。
「…そうだよな。ごめん」
馬鹿なことを聞いた。カナエの中のあの男の影は、どうしたってカナエだけのものなのに。らしくもなく、さっきのカナエの目をみて、不安になったのかもしれない。もしかしたら、また…と。
「けど、一つだけ、わかることはあるよ」
「え?」
「もう、迷ったりしない。リニットは、あの爆発で死んだんだから」
「…そっか」
穏やかで迷いのない口調に、他に何も言葉にならなくて、少し骨ばった背中にぎゅっと強く頬を押し付けた。
「…できたよ、林檎。ハイ」
「ん、」
肩越しに伸ばされたひとかけらを、背伸びしてはむ。
しゃり、
舌にふれる冷たさとみずみずしさが心地好かった。そのままもぐもぐと全部を口に入れたところで、突然目の前の体がくるりと回転し、唇が重なった。
「んっ……」
すぐに舌がまじりあって、林檎を食べてるのか、カナエを食べてるのか、それとも俺の方が食べられてるのか、わかんなくなる。
甘くて酸っぱくて、
「はぁっ…何だよ、カナエも腹減ってた?」
「ん、というよりは……違うもの、料理したくなっちゃったかな」
首を傾げて笑うカナエは、完全にいつも通りだ。その二つの栗色は、ふわふわしてて、なんか甘そうで、でも強くて、時々やらしくて、でもやっぱり優しく。タマキと共に生きていく瞳。
「……ばあか」
二度目のキスは、すこし、ほんのすこしだけ、しょっぱかった。