▼カナタマ・逃避行中
「カナエ、ただいま!」
おおきな紙袋を抱えて、まだかぎなれない刺激的な香りと一緒に、タマキくんが部屋に帰ってきた。
「おかえり」
日課である銃のメンテナンスの手をとめ、立ち上がる。何か飲み物でもいれてあげよう。
いい買物ができたのか、タマキくんは紙袋いっぱいの食品、日用品なんかを取り出しながら、ご機嫌そうだ。
「あ、さっきホテルの人に聞いたんだけどさ。駅までなら車回せるから、必要ならいつでも言ってくれって」
「…そっか」
そういえばこの街にも、滞在してもう二週間になる。情に厚い人が多くて居心地がよかったけど、いつまでも呑気ではいられない。誰かに足取りをつかまれてしまってからじゃ遅いから。
「なあ、ここ出たら次はどうする?俺はさ、今度は海が見えるトコが……、カナエ?」
背後からぎゅ、と、お腹の前に腕をまわした。男にしては華奢な身体は、いつでもあったかくて、俺なんかには想像もできないようなエネルギーに満ちてる。こうして色んな国を点々とする生活を始めてから、どれだけその前向きなパワーに助けられてるか。
「…珍しいな、カナエが甘えてくるなんて。いつも俺を甘やかしてばっかなくせに」
「そんなことないよ」
白い首筋に、ことんと鼻先をうずめる。知らない国の香りが強くなった。
タマキ君の優しさにべったり甘えているのは、いつだって俺のほうなのに。
優しさと強さが両立できるなんて、タマキくんとあうまでは想像すらできなかった。俺の中でそのふたつは、ずっと正反対だったから。
「…また、何かつまんないこと悩んでる?」
そっと前から伸びてきた手が、癖の残る髪にふれてきた。ぽふぽふと頭を撫でてくれる指が、まるで子供をあやすみたい。嬉しいけどほんのすこし悔しくて、ちゅ、と指先にくちづけてみた。とたんに照れて慌てるタマキくん。
「っ、ばか。真剣に心配してやってんのに!」
「ごめん」
しばらくくすくす笑いながらじゃれあって、やがてどちらからともなく黙りこんでいた。指先だけを戯れのように絡め、ベッドに並んで座ってぼんやり過ごす。窓からは、赤く染まり始めた空が見えた。ああ、今日という日も、終わってく。誰も振り返らず、省みず。
「荷物、まとめなきゃな…」
タマキくんが、ぽつんと呟く。さっきはあんなこと言ってたけど、タマキくんだって、この街を去るのが惜しくないはずない。こんな落ち着かない生活に、疲れないはずがない。
そうさせてるのは紛れもない、過去の自分だ。生きながら死んでいた、『リニット』という人間。
「…あのね、こんなこと、言っていいかわからないけど」
「何?」
「タマキくんにはいつか、ちゃんと話して、聞いてほしい。今まで俺がしてきたこと、全部」
「ん。そっか」
悲しいことも苦しいことも、汚いことも狡いことも、リニットが出会ってきた現実と罪をぜんぶ。
「…それでもまだ、一緒にいてほしい、なんて、不相応なこと思っちゃうんだよ。俺は狡いから」
「お前がズルイんなら、俺だってもっとズルイよ」
「タマキくんが?どうして?」
「どんなにカナエが酷い人間でも、たくさん人を傷付けてきたって知っても、許しちゃうってわかってるから」
タマキくんは前を向いたまま、またそんなことをさらりと言う。
自分のしてきたことが許されるなんて、赦されたいなんて、思ったことない。そういう生き方をしてきたのに。
「…やめてよ、本当に…簡単に、俺なんか、許したりしないで」
「許すよ」
「タマキくん!」
これ以上、その優しさと強さに甘えてしまうのが怖い。ひとりで立てなくなってしまうのが怖い。そう思うのに、
「馬鹿みたいかもしんないけどさ、俺、その為に生まれてきたんじゃないかって思う。カナエをひとりぼっちにしない為に」
そんな風に、どうやったって光を失わない、まっすぐな瞳で言うから。
「…タマキ、くん」
「だから、カナエも」
…俺を許してくれな?
見上げてくるやわらかい、ほんの少しだけ淋しそうな笑顔は、暗に、もうとっくに共犯だから、後戻りはできない、と告げている。そんな笑顔をさせてるのは、他でもない俺自身だ。
「……うん。ありがとう、っ」
それはすごく苦しくて、罪深いことのはずのに、なきたいくらいに幸せでいいの?
ぎゅっと握りしめてきた指先が、タマキくんの答えだった。お互い手を伸ばして、今度はしっかりと掌同士を繋ぎ直した。
こんなの、ただの獣同士の傷のなめあいかもしれない。
とうに汚れた俺は、美しい生き方なんてもうできない。
けど、傷のなめあいでも、すこしでも互いの傷が癒えればいい。すこしでも長い間、この笑顔を守ることができればそれでいい。
それだけを考えてただ生きる毎日は、泥臭くてちっとも美しくなんかないけれど、
きっと、何よりも、
(しあわせ、でした)
★同タイトルの曲をイメージ。
バックホーンの名曲です。