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いつのまにかすっかり日も傾き、俺たちは街の外れにまでやって来ていた。人通りはぱったりなくなって、小さい店や工場とか、そういうのがぽつぽつ並ぶ寂しい道だ。
中でも一際ぼろぼろな敷地に、星はひるむことなく入っていく。慌てて俺も後を追った。
「おい…勝手に中入っていいのか?」
「平気平気。ここ、廃工場なんだけど、何故かまだ電気通ってんだよ。昔アンプ繋いでよくギター掻き鳴らしてたなぁ」
「よく通報されなかったな」
「何べんもされたっつーの。ま、この星さまにかかれば?警察捲くくらいどうってことないし?」
「馬鹿。いっぺん捕まってキツくお灸据えて貰え」
いつものようにつっかかってくるかと思ったら、星は笑った。
「男は馬鹿やって成長すんだぜ?」
なるほど、そういう考え方もあるのか。
「おいリク、こっち」
「何?…わ、」
「崩れやすくなってっから、気をつけろよ」
星に促されて階段を上っていくと、大きく破れた屋根の一部から、赤い空が覗いていた。ひょいと軽い身のこなしで上へ上った星に驚いていると、手を差し延べられる。
肩が抜けるくらいの力で無理にひっぱられ、ようやく俺も屋根の上に出ることができた。
「う、わ、」
高い。すっと視界が通り、ぼちぼち明かりの灯り始めた街を一望できる。自社工場の視察やなんやらに行ったことはあるけど、屋根の上にまで乗ったのなんかもちろん始めてだった。
「眺めイイだろ?…今度ここらに、新しい商業施設作るらしいんだよな。ここも多分、取り壊されると思うから」
ようやく、星が今日一日俺を連れ回した理由を知った。
まわりくどい奴だと思ったけど、星がらしくもなく寂しそうな目をしていたので、文句は控えておいてやる。
丁度夕日が傾き始め、赤いカーテンをはじっこから群青いろがゆっくり侵食していた。夜の風はまだ冷たいけど、濃い色のトタン屋根は昼間の陽射しをたっぷり吸い込んであたたかく、腰を降ろしてしまえば冷えることはない。
「そういや、昼間のアイス代返せよ」
「あー?金持ちがけちけちすんなよ」
なんだろう。こいつはいつもこんなで、口を開けば腹立つことばっかりだし、適当な性格だって最高に俺とは合わない。
けど、こいつといると、世界がほんの少ししだけ明るく、違ったものに見える気がするんだ。あくまでほんの少しだけど。
「こうやって見てっとさ、街なんかオモチャみてえだろ。俺は何だってできる!見てろよ!って気になんね?」
「…ちょっとわかる、かも」
「お、珍しく素直じゃん?リクちゃんってばどうしたの」
「うるさい!誰がリクちゃ…」
かっと顔を赤くしながら立ち上がろうとして、見事にバランスを崩した。
「あ、」
やば、落ちる。思わずかたく目をつむった瞬間、強い力で身体が引き寄せられる。
「…ったく。マジで危なかっしいな、お前」
「……黙れ」
細く見えるくせに、星の胸は意外とがっしりして力強い。ドキドキして、どんどん顔がほてっていく。ああ薄暗くて良かった。心底そう思ったのに。
「顔、あっちーの」
すぐにバレてしまった。こいつが頬に手の平なんか寄せるから。ずるい。
ふ、と星のにおいが濃くなった。シャンプーだかワックスだか香水だかのいいにおい。星の顔はいつのまにか吐息のかかる位置で、自然と唇が重なる。
屋根の上でこんなことするなんて、後から思えば恥ずかしくて死にたくなるけど、『若気のいたり』ってやつが一つや二つあるのは悪くないと思った。
「お前と来れて良かった」
ここで突然素直になんのかよ。やっぱりお前ずるい。卑怯だ。そんなの。
「…俺も」
…そう返すしかないだろ。
腰に回っていた手で、また強く抱きすくめられた。この温もりを育んだのがこの街だというなら、なんだか馬鹿みたいに眩しく見えた。
「なあ星。一つ確認したいんだけど」
「なんだ?」
「これって、デートなんかじゃないよな?」
「……おまえほんっと、素直じゃねえなあ」
呆れ顔で笑った星は俺の耳元に唇をよせ、「それ以外何があんの?」と小憎らしく囁いた。
▼以前1000hit記念に載せていたものを救済。名曲「1000のバイオリン」をイメージして(どこが?)