▼カゲタマ
一面、目をこらしてもまっくらだった。あたたかくも、さむくもない。ただ、なんとなく心細くて、自分の両手で肩を抱いた。ここがどこだとか、そんなのはわからない。ただ、おれはひとりなんだなとぼんやり思った。
ひとりには慣れていた、物心ついたときから。どんなに周りに人が溢れていても、誰も自分なんて見ちゃいない。
イチジョウ家の跡取り。西洋人形様。お飾りでしかない自分。からっぽ。両親の手酷い裏切り。家出。変わってしまった友人。別れ。掌から零れおちてく。なにもかも、ぜんぶ。
『カゲミツ』
いつのまにかうずくまっていたカゲミツの頭を撫でるように、その声は優しくふってきた。
…タマキ。タマキだ。
俯いていた顔をあげる。カゲミツの、一番大好きな笑顔がそこにある。
慌てて駆け出そうとして、はっとした。足が床にとけてしまったように動かない。なんでだよ、なんで動かねんだ、俺の足…。
『ごめんな、カゲミツ』
タマキが笑顔を崩さないまま言った。ごめん?なんで謝るんだ?
『俺、こいつを選んだんだ』
そこで初めて、タマキの隣に立つ人影に気がつく。困ったようなふにゃふにゃした笑顔。ぎゅうっ、と頭の奥が縮こまるように痛んだ。
『だから、さよなら、カゲミツ。』
手を繋いだ二人が踵を帰す。待って、待ってくれ…!俺を置いてかないで!
ずきずきと頭痛が酷くなって、その場にうずくまりそうだ。息がくるしくて、どうにか引き留めたくて大声で叫びたいのに、引き攣れた喉は役に立っちゃくれない。
タマキ!タマキ、タマキ、タマキ…
「……っタマキ!」
自分の声でとびおきた瞬間、ズキンと痛んだ頭を思わず抱えた。指先に触れる、ざらざらした消えない手術跡。髪がびっしょり濡れてんのは、もしかして自分の汗だろうか…?
目を開いてみても、辺りはぼんやり薄闇のままだった。ここはどこだ?なんとなく見覚えのあるようなないような天井に、一人で寝るには大きすぎるベッド。ひんやり冷たいシーツ。
何かにせかされるようにしてベッドから降りて、駆け出した。クロゼット。トイレ。風呂。手当たり次第ドアを開いていって、最後に辿りついたリビング。乱暴に開いたドアの先はがらんとしていて、当たり前だが真っ暗だ。拍子抜けして、ずるずるとソファの上に座りこんだ。
「い、る訳、ねえか…」
なんで、タマキがいるかもなんて思ったんだろう。あいつはもうどこにもいねえのに。俺のところに帰ってくるはずなんてないのに。
目が覚めても、俺はひとりぼっちだ。
「カゲミツ?」
どれくらい、そのままぼんやりしてたのか。身体はすっかり冷え切っていた。…その上、幻聴まで聞こえてくるなんて、もう末期だよな。
ちか、ちか、と不意に辺りが明るく瞬く。
「びっくりした〜…電気もつけないで、何してるんだよ」
明かりのともったリビング。その先に見えた人影に、ぽかんとしてしまう。
その姿を、見違えるはずがない。けど、なんで?ついに幻覚かよ?それにしても、こんなにハッキリ…
「なんで……」
「なんでって…事件の事後処理が終わらないから、今日は遅くなるって言っただろ」
先に寝ててくれて良かったのに、なんてぶつぶつ呟きながら、タマキがこっちに近づいてくる。
「あれ、なんか髪濡れてないか?それに、顔色も悪い…」
いたわるように髪に触れてきた手に、まだ夢をみるような心地で、おそるおそる手を伸ばす。
「わ、手も冷たいじゃん…!ったく、家の中で何してるんだよ、ばか」
そのままもう片方と一緒に引き寄せられて、暖かいタマキの両手に包みこまれた。じわりじわりと指先からぬくもりがしみこんできて、嘘みたいに頭痛が引いていく。波のような鼓動のリズムで、ゆっくりと、現実がかえってくる。
そうだ、ここは、今の俺の家だ……いや、俺と、タマキの家だ。
「たまき…?」
「うん?」
「たまき…!」
「わ!」
目の前の身体を、すがりつくようにかき抱いた。女の子みたいに柔らかい抱き心地じゃない、けど、ずっとそれだけを求めていたと全身が叫んでる。腕の中の感触は、夢みたいに消えたりしない。俺を置いていなくなったりもしない。
タマキがいなくなったときさえ、涙なんかでなかった。泣きたくても、胸がからっぽで、涙のひとしずくも出てきやしなかったくせに。
…なんでだろ、今はぼろぼろと、大粒の涙がとまらない。
あんな夢なんかに振り回されて、俺は大馬鹿だ。いつでも格好つけていたいのに、タマキを支えてやれる頼れる男でいたいのに、みっともないガキの頃のまんまで。
「…ただいま」
それなのに、タマキは、ここに帰ってきてくれるっていうのか。どうしようもないこんな俺のそばに。
カゲミツは、二十数年の空白を埋めるように、泣きつづけた。顔がぐちゃぐちゃになっても、呼吸がくるしくなっても、ただ。
「タマキ……ごめん。俺すげ、格好ワリ…な…服も、ぐちゃぐちゃだし」
やっと落ち着いたカゲミツが、慌てて情けない顔で離れていこうとするのを、タマキの指がひきとめる。
「なあカゲミツ、聞いてくれる?普段は照れくさくて、あんまいえないんだけどさ…」
カゲミツのしろい額に、こつんと、タマキのまあるい額が触れた。
「こんなおれのそばにいてくれて、本当にありがとう」
「!」
タマキが笑う。すこし照れ臭そうな、カゲミツの一番大好きな笑顔で。今度は、手を伸ばせば届く場所で。
…違うんだ、タマキ。それは俺の台詞だ。そう言いたいのに、言葉がつまって出てこない。
「むかしも、いまも、これから先も。カゲミツがいてくれたら、俺はしあわせだよ」
それは、ひとりぼっちの少年が探し続けた、見えない の、確かなかたちだった。
(やっと、みつけた)
★カゲミツGOODエンド後。健気にタマキを支えてきたカゲミツの中にも消えない不安や傷があって、時々は爆発しちゃうんじゃないかと思う。けど、タマキと一緒なら、何度でも幸せを取り戻せる。
カゲタマが大好きです。