▼徹←夏←昭
「夏野、本当にここでいいのか?家まで送ってくぞ?」
「いいって。…ちょっと夜風に当たって歩きたいんだ」
「そおか…もう暗いから、気をつけてまっすぐ帰るんだぞ?」
「言われなくてもわかってるよ」
運転席の窓越しの微笑ましいやりとりに、助手席の律子はくすくす笑みを漏らす。
「ほんと、二人って兄弟みたい」
「…こんな手のかかる兄貴、いらないですって」
「おおう、言ったなあ?ほれほれ」
「ああもう、やめろって!」
ぬっと伸びた徹の手が、夏野の頭を強引に引き寄せた。髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜる、いつものスキンシップ。
「コラ。いい加減、夏野くんを解放してあげなさい」
「…ハイ」
律子の鶴の一言で小さくなる徹に、また、自然と笑いが漏れる。車内には気心の知れた、穏やかな空気が流れていた。
「じゃ、おやすみなさい夏野くん。本当に気をつけてね」
「またな、夏野」
「ああ。…オヤスミナサイ」
ぶろろ…と少し間抜けな音を残して、二人を乗せた車は走り去った。完全に見えなくなるまで見送ってから、夏野は黙って暗い空を見上げた。
「兄ちゃん!」
ひんやりした夜風に当たりながら帰路につく途中、突然背後から明るい声。夏野をこんな風に呼ぶのは、この村の内にも外にも一人しかいない。
「昭か。…どうした?こんな時間に」
「たまたま窓から兄ちゃんが見えてさぁ。兄ちゃんこそ、どーしたの?」
「…ちょっと、村の外まで出かけてただけだよ」
「ふーん」
昭は頭の後ろで手を組み、夏野の三歩前を後ろ向きに歩き出す。暗いのに器用なことするなと思ったが、この小さな村で生まれ育った昭にしてみれば、こんなの目をつむっても歩けるのだ。
「なぁ、兄ちゃんってさー」
「なんだ?」
「好きな人、いるよね」
ぴたり。思わず夏野が足を止める。昭もそれにならう。
「……急に何の話」
「んー。それも、報われねえ片思い」
どくんと、鼓動が耳障りにはねたのを夏野は感じていた。
なんで、どうして。それは、決して開けることの許されない箱だった。誰にも知られることなく、自分でさえ目を背けてきて。開いた中には、希望なんて残らないのを知っていたから。
「年上をからかうのはよせ…。昭、お前」
「まだガキだからとか言わねえよな?最近の中学生って進んでるんだぜー。こんな、超のつく田舎でもさ」
べつに昭を子供扱いするつもりはなかった。けど、こんなことまで踏み込まれる筋合いもないだろう。すっと目を細めて、正面から昭を見つめる。
「お前に、何がわかるんだ」
「わかるよ」
強い響きにハッとした。少年と青年の間で揺れる面立ちは、夏野の目にはどこかいつもと違うふうに写った。
ひたひたと歩み寄ってくるのを、金縛りにでもあったように、立ちすくんだまま見つめるしかない。
「…わかるよ、」
静かな声で繰り返して、じっと見上げてくる、誰かより濃い茶の瞳。あきら、と形作ろうとした唇は、半開きのまま固まった。
まずは背伸びで身長差がうまって、つぎに顔が近付いて距離がうまって、それから。
唇が、重なった。
「……な。」
…いま、何が起きたんだろう。夏野が唇を押さえてよろめくうちに、昭はくるりと背を向けてしまう。
「俺も、兄ちゃんと同じだから」
押し殺したようなその声に、夏野はふと、昭が泣いているんじゃないかと思った。
「あきら…」
「何?」
パッと振り返った昭は、泣いてはいなかった。それどころか、けろっとした顔で、何もなかったようにけらけら笑っている。
「ホント、馬っ鹿だよなー!兄ちゃんも、俺も」
明るい声。明るい笑顔。…けれどその明るさの裏に隠された苦悩を、夏野はよく知っている。
(そうだな…昭)
俺たちは、最高に馬鹿らしくて、報われない、恋をしている。
★悲劇なしで普通に仲良くなった昭と夏野。多分高二中二くらい
(お題:悩みの種さま)