思い合い



「他人なんて、信じるものじゃねぇ」

泣きはらした顔で兄である男が言った。兄の足元には液晶の割れたスマートフォンが転がっている。

「みつ、なぁ、いいか、」

フローリングの床は磨かれて綺麗だったが、窓の傍の床は恐らく家具が置いてあったであろう所と比べて日焼けをして少し色が落ちている。

「おまえはきっと賢いから…あいつは優しいからこんな思いをさせないだろうけど、」

座り込んだ兄は私より幾分がっしりした体型であった筈だが、何故だか小さく頼り無さげに見えた。

「人を心の底から信頼するなら、裏切られたときの辛さを覚悟しておけ。」

自分に言い聞かせるように放たれた言葉に私はああ、とだけ返事をする。兄は私の返事が聞こえたのかどうか知らないが、まだなにかぶつぶつ言っている。端から見れば只の気違いだ。だが兄の身に起こった出来事を、さらに私達兄弟の境遇と併せて考えてみれば、致し方無いことなのかもしれない。

「ここ、」
「なんだ。」
「ここ、丁度俺のいるとこ、 ベッドがあって。セックスとか、したのに」

兄の性行為など聞きたくは無いが、彼にとって体を重ねることは何よりの愛情表現だった(と教え込まれた)のかもしれない。私はそう信じていた兄を浅はかだと思うことはない。目に見えぬ愛を信じるには確かに言葉だけでは足りない。

「政宗、もう行くぞ」

いくら元恋人であるからと言っても、肝心の恋人がいない、引き払われた部屋では私達は只の不法侵入者である。しかし兄はその場を動かず、足元の小さな機器を見ている。あれはもう、使い物にならないだろう。

「メールするって、言ったんだ。あいつ、」

その使い物にならない液晶画面に兄が握り拳をのせる。次にとるであろう行動は安易に想像できたが、私はそれを止めなかった。

「笑って、好きだって、言ってて、」

音にすれば、ぐしゃ、という表現が合いそうなほどに液晶が粉々に砕ける。それに比例して、飛び散る兄の血も増える。

「なのにこんな、黙っていなくなったなんて、」
「まさ、」

名を呼ぶくらいでは彼の衝動的な行動は止められないとは知っているが、私には他に術がない。いや、寧ろ止めようという気が起きない。何故なら兄はこうすることでしか感情をぶつけられないから。ぶつける相手がいなくなってしまったから。あいつだったら止めただろうかと考えて、今しがた兄に人を信じすぎるなと忠告を受けたばかりではないか、と存外自分があいつに依存していたことに気付く。しかしこのまま放っておくわけにもいかないので、私は携帯を取り出し、やはり男を呼び出した。

「私だ。今いいか?」

あいつはどうやら家で寛いでいたようでこちらの血の匂いが漂う雰囲気とは違って、私からの電話に喜んでいるようだった。

「大学裏の前田という定食屋はわかるな?その定食屋の道を真っ直ぐ進んだ右手に公園があるだろう。そうだ。その公園の奥にあるマンションに今いるんたが、なるべく早く来てくれ。部屋は702号室だ。」

あいつはよくわかっていないようだったが、兎に角バイクで向かう、と返事をした。あいつの家からここまで、バイクを使えば5分くらいだろう。私が電話したことすら気付いていないのか、兄は未だに粉々になった液晶画面を叩き続けている。

「みつ、」
「なんだ。」
「俺、捨てられたんだな」

ぴたりと兄の腕の動きが止まった。捨てられてないと言うべきなのかもしれないがそれは嘘に違いないし、私は嘘が嫌いだ。

「そうだ。捨てられた。」

迷いの無い私の答えに兄は笑った。泣くかと思ったが、兄が弟である私の前で泣いたことなど一度も無かった。

「俺は親にも、恋人にも捨てられたのか」

兄はゆるりと立ち上がり、血に汚れていない方の手で私の頭を撫でた。

「みつは、家康に大切にしてもらうんだぞ。」

廊下の方からばたばたと騒がしい音が聞こえた。ああ、ようやくあいつが来たと安堵するよりも、目の前でふらふらと歩き出す兄に私の胸は速度を増す。人は高さ何メートルから落ちれば死に到る?ここは7階ではなかったか?

「ま、」
「政宗!」

貼り付いたように足の動かなかった私の代わりに、ベランダの柵に手を掛けた兄を体格のいいあいつが抱き締めた。途端私の体は緩急し、その場に座り込んだ。滅多とかかない汗が流れていくのを感じると同時に兄の叫び声にも似た泣き声が私の耳を刺した。




「三成、政宗は大丈夫か?」
「あぁ、どうやら寝たらしい。」

自宅へ戻り、兄が完全に寝たのを確認してから私は居間に通しておいた家康に茶を出した。

「そうか、そんなことがあったのか」

ずず、と行儀悪く茶を啜るのはいつものことなので私は何も言わずに茶菓子を出した。兄が好んで買ってくるもので、私には少し甘過ぎる。

「政宗と付き合っていた男…佐助といったか」

個包装を解き、家康が茶菓子を口に入れてから私を見た。

「そうだ。それがどうした」
「ん?いやぁな、」

菓子の包まれていた紙を小さく折りながら家康はうんうんと小さく唸っている。はっきりしない態度を好まない私がぎろりと睨み付ければ苦笑いをした。

「てっきり三成は佐助という名を聞いただけで怒り出すかと思ったが、意外と冷静だな。」
「私が取り乱してどうする。」
「それもそうだ。」

家康はもうひとつ茶菓子を開けた。甘い香りがした。兄はこんな甘い関係を望んでいたのだろうか。

「男に腹が立たないわけではない。私達兄弟は他に身寄りもないのだから、どちらかが死ねば天涯孤独になる。一瞬でもそんな危機を作った程政宗を傷つけた男は憎い。」

これでは私が独りになることを恐れているようだと我ながら情けなくなったが、事実私は孤独を恐れていた。

「だが、私達の重みに耐えられないのなら、消えてくれて良かったとも思う。これ以上政宗の心に深く居座っていたなら、政宗は奴が消えたと知った瞬間に自分を殺した筈だ。」

私達を受け入れてくれる者でないのなら、早々に消えてくれた方がこちらのショックも小さくて済む。

「だから家康、お前は決して私を裏切るな。」

私の言葉に家康は笑った。

「そうだなぁ、この歳にして二人もの人間を殺すのはさすがになぁ」

兄が死ねば私が死ぬ。
私が死ねば兄が死ぬ。
私ならそんな重いもの、決して背負わないだろう。兄と付き合っていた男だってきっとそうなのだ。

「お前が私を裏切れば、私はお前を殺して死んでやる。」

狂気染みた私の言葉に家康は嬉しそうに言った。

「儂だってそのつもりだよ、三成」


(私達を繋ぐ、重い愛)







▼最後に
家三苦手な方いらっしゃったらすみません。あまり佐政じゃなくてさらにすみません。
お月さまコンビが兄弟とか萌えるわーってなった結果がこれとか、私は筆頭に対して鬼畜すぎる。
とりあえず、佐助すまんかった。

お付き合いくださりありがとうございました!






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