古びたアパートだった。 階段の手すりは褐色に錆びていて、握ると手が錆び臭くなる程だった。階段は上る度に、ぎっ、ぎっ、と厭な音を立て、いつかジャックと豆の木のように地上とアパートの二階を繋ぐ階段が落ちてしまうような気がしていた。 部屋は六畳一間、トイレは共同、風呂は近所の銭湯(シャワーはある)、洗濯は近所のコインランドリー、というのが俺と政宗の住処だった。 育ちの良い政宗は当初アパート総てが俺達の住処だと思い込んでいたらしく、トイレが共同だと知ったときはショックで目が涙目になっていたことは未だに思い出される。 毎日の生活は楽しく、料理する気も失せるような油汚れの染み着いたコンロを巧みに使って作られた政宗の料理は何より毎日の楽しみとなっていた。 そんな楽しみが途切れたのはコンロの火が点かなくなった日からだった。やはり育ちの良い政宗はガスが止められるということを知らなかったらしく、何度も着火を試みていた。 ガスを止められてからは専ら電子レンジ調理だった。コンロでの調理に比べればレパートリーは減るものの、やはり政宗の料理は美味しく、一日の楽しみだった。 そして電気が止められたのは寒い冬の日だった。役に立たない電気ストーブは、見てても触れても冷たいからベランダに出した。寝るときは一つの布団に二人で入って抱きしめ合い、雪山で遭難した男女が人肌で暖めるのが一番と言うのは本当だねと笑った。そんな寒い日でも、冷やさない冷蔵庫の中の食糧は腐ってしまった。 水道が止まった日、俺達は特に何もしなかった。こんな状況でも煙草は買っちゃうんだよねと投げ出した足下にはチェリーとコインランドリーで拾ったライターが転がっていた。 政宗は痩せた指を俺の左手に絡ませて、指輪が欲しかったのにと駄々をこねた。それがかわいくて可哀想で、ごめんねと謝罪の気持ちを込めて額にキスをした。すると幾分か機嫌が良くなったのか政宗はまぁさんびゃく円の指輪なんて受け付けねぇけどな、と笑った。笑ったついでに俺の肩に頭を預けてきた。それが酷くかわいく思えたのでこのままでいれますようにと祈りながらテレビを見た。 テレビにはうっすらと何かうつっていて、目を凝らしてみるとそれは紛れもなく俺と政宗だった。 テレビの中の俺は見窄らしくていかにもガス電気水道止められてますって感じなのに政宗は相変わらず育ちの良さを漂わせていた。それがひどく悔しくて俺は政宗に一つお願いをした。 「ねぇ政宗。このまま死のう。」 「いいぜ。」 そもそも意識が既に混濁していた政宗にとってこのお願いはお願いなんかではなく只空気みたいに当たり前のことだったのかもしれない。それでも俺は手を握りながら死の間際まで政宗を感じられることが小学校時代テストで百点を採ったときより誇りに思った。 政宗はやはり小さく指輪がな、と呟いて黙った。俺は今が真夏じゃなくて良かったと思った。真夏だったら蝉の悲鳴にかき消されて今の政宗の最後の声が聞こえなかったかもしれないからだ。 その後、 家賃滞納に痺れを切らし家に上がり込んできた大家さんにより死の淵にいた俺と政宗は救出されてしまう。栄養失調だった政宗は実家の息のかかった病院へ入院させられてしまい俺はというと警察で丸一日取り調べをされてこのまま捕まるのかなぁと思っていたところ政宗のお父さんが大事にしたくないとのことで今回の誘拐紛いの事件をもみ消した為俺は解放された。 嗚 呼 、 な ん と い う 悲 劇 。 あとがきというより色々言い訳。 まず、203号室てのが二人が住んでた部屋の番号です。適当です。 二人は政宗の父親に関係がバレて反対されて駆け落ち紛いのことをしていましたが二人とも生活力はゼロでこんなことになっちゃいました。二人は死にたかったのですがなんだかそれすら失敗しちゃってそれが悲劇なんです。こんな解説だらけなの、大丈夫なのかしら私…。 あとガスとか止められるのっていっぺんに止められるんでしょうか…違ってたらすみません。 ブログであげたときはセッタだったのがチェリーに代わってたのは個人的にチェリーのパッケージが好きだからです。 長々とお疲れさまでした。 お付き合い下さりありがとうございました! |