携帯の電源を切った親指の感覚が麻痺したように無くなっていくのを、政宗は他人事の様に思った。だから新しく与えられた携帯が指を滑り、ベッドの下に落ちたことにも気付かない。否、気づきたくなど無かったのかもしれない。 「佐助…ごめん」 涙を堪えるように枕に顔を埋めて発した言葉は声にならない声になり、白いシーツに吸収されていった。 あの日政宗が佐助との約束を破り外へ出たのはストレスが溜まりに溜まった結果だった。佐助との同棲を始めてから太陽の光を碌に浴びることもなく、佐助以外の人間と話すこともなかった政宗にとって唯一の下界との繋がりであった佐助が数日間戻らないことは、あの狭い小さなアパートを拷問部屋へと変えてしまった。そのストレスは多大なもので、保護された政宗は表情には出なかったものの、内心ほっと一息吐いてしまう程であった。 保護されてから一人部屋で考えることは何故佐助が出ていってしまったのかということだけで、答えの出ないその問いへの思考を停止すれば、彼に黙って出てきたことへの後悔が残った。大切にしてくれた佐助に真意を確かめることなく出てきたと思えば食事も喉を通らず、やはりもう一度だけちゃんと会って話がしたいと何度も佐助の居る筈であるアパートへと帰ろうとした。しかしそれを両親が許す訳も無く、部屋の周りには監視役の使用人が立ち、一定時間毎に両親から電話があったのだ。 そしてその日は唐突に訪れた。 「政宗様、佐助という者が会いたいと申しております。政宗様に会うまで何時間でも待つと。」 胸は高鳴る。 嫌われた訳でも、捨てられた訳でもなく、二人で過ごした日々は嘘なんかでは無かったのだと思うと政宗の瞳には歓喜の涙が浮かんだ。 「小十郎、おれっ、」 動くのも煩わしかった体をベッドから起こし、政宗は小十郎に飛びつく様に肩を掴んだ。 「俺、佐助に、」 「なりません。」 政宗は自分の心臓の音だけが妙に大きく聞こえるのを不快に思いながら、いつだって自分の良き理解者であったその人を見た。 「会うことは許可できません。」 「な、に…あ、親父に、なんか言われたのか?」 「いいえ。これは小十郎の意志に御座います。」 いつも通りの心地良い声が、耳を塞いでしまいたい程苦痛に感じながら政宗は只黙って小十郎の話を聞いた。 「政宗様がこの家を出られたことが生半可な決意であったとは申しません。しかし貴方様はまだお若い。もっと沢山の可能性があるのです。何もこのような辛い道を自ら選ぶ必要など、どこにも御座いません。」 それは小十郎の精一杯譲歩した言葉だった。本当なら若気の至りと一笑に付するところを真摯に捉えたのは、幼少の頃から引っ込み思案であった政宗が家を抜け出すという大胆な行動に出たことに、純粋に成長を見たからだ。 だからといって、小十郎はその行動を奨励する訳では無い。 「それは…俺が佐助といたら辛いって言ってんのかよ。」 「事実でしょう。辛かったから、戻って来たのでしょう。」 「ちが、」 小十郎の正論に、政宗は敵わない。 愛しい人がすぐ傍にいる筈なのに、会えないもどかしさがさらに政宗から冷静な思考を奪っていく。 「でも、俺、幸せでっ、」 「政宗様はっ」 小十郎の声が、ほとんど怒鳴り声の様だった。政宗は体をびくりと震わせ、叱られた子供の様な顔で小十郎を見る。 ぱち、と合った視線の先には見たこと無い程悲しい目があった。 「こじゅ」 「政宗様は我々の幸せを考えたことがおありですか。」 広い胸に抱きしめられるのは、数年ぶりだった。相変わらず温かくて、妙に安心して。それなのに、政宗の心は寒かった。 「お父上もお母上も、弟君も、皆政宗様の幸せを願っております。生きていく上で確かに辛いことが無い訳では御座いません。しかし、今の政宗様では辛いことしかないではないですか。小十郎はとても貴方様を離す気にはなれません。」 小十郎は勿論自分の幸せを案じて欲しい訳では無かった。自分の雇い主である政宗の両親の為でもまた、無かった。唯、政宗の為であった。 「貴方様の未来をよく考えた上でご決断下さい。それでしたら小十郎、止めは致しません。」 言葉の意味など疾うに理解していた。それでも何度も何度も小十郎の言葉を繰り返し考えてしまうのは、無意識の現実逃避であった。 「少し…時間をくれないか。」 「ええ。お待ちします。」 それが数時間前の出来事だった。 |