政宗の一日は、佐助のお弁当作りから始まる。家計が苦しいことは重々承知の上であったが、働いてくれている佐助の食事だけは削りたくないというのが政宗の考えであったので、佐助のバイトの日は欠かさずお弁当を作っていた。 お弁当が八割方出来たところで佐助を起こし、朝食を出す。一緒に食べようという佐助の言葉に幸せを感じながらもこれをやったら食べるから先に食べておいて、と告げる。すると佐助は時間の関係もあって渋々食べ始めるのだ。佐助の朝食が終わりかけると政宗はようやく自分の朝食に取りかかるのだが、そのとき佐助の食べた量の半分以下しか食べていないことは秘密にしている。 「明日は休みだからお買い物行こうね。」 「ん。」 「じゃぁ、いってきます。」 「いってらっしゃい。」 古びた扉が音を立てて閉まれば、政宗にとって一日で最も退屈な長い時間が始まる。政宗が一人、外に出ることは叶わない。それがこの二人の生活を守るために最低限出来ることだった。 政宗は資産家の息子で何一つ不自由無い生活が保障されていた。広大な敷地の屋敷に住み、幼稚園から大学まで一貫教育が行われる有名私立学校に通い、英会話、ピアノ、習字等良家の子供にふさわしい習い事をこなし、両親からの期待を背負って生きていた。 それが呆気なく崩れさったきっかけは政宗の病気であった。 このことについて政宗は語らない。 何度か佐助に話そうとしたものの、途中から涙が止まらなくなり、その上現在と当時が混同しだし、ぜいぜいと荒い息をして、会話どころではなくなり、見ていられなくなった佐助が、もういいもういいから忘れていいんだよ、と抱きしめて背中を擦ってやる合間に眠りについてしまうからだ。佐助もまただいたいのことを理解しているようで、決してこのことについて詳しく知ろうと聞き出してくることはなかった。 幸せな家庭から一変した政宗は、幼心に 『呼吸ができない』 と思ったことがあった。それは広すぎる土地の中、暗い家に一人残され泣きながら母親を求めて彷徨ったときに感じた。 当時の政宗にとって母親の愛こそが酸素だったとするならば、呼吸ができないという表現は非常に的を得た表現であった。 (今は…) 掃除洗濯を済ませて、日の射し込む唯一の窓から外を見る。処狭しと建てられたアパートの集合地のようなこの地域では、昔窓から覗いたときな見た見事な造りの庭などは見えず、ただ灰色っぽいコンクリートの並びが見えるだけであった。 それでも政宗が今まで以上に生気を帯びた顔をしているのは、『呼吸ができる』からに違いない。 「何の足しにもならないかもしれねぇ。でも…俺は、少しでもこの生活が…」 ぱたんと冷蔵庫を閉じながら政宗が呟く。昼ご飯をやはり食べないことにした政宗は、テレビもない六畳一間のアパートの一室で酸素の様に大切な人をひたすら待ち続けるのだ。 嗚呼、どうか彼らの幸せが長く続きますように。 |