Épelons chance | ナノ



92.フリックラップス



「大爆発の強制力が音素化をもしのぐとなれば研究の価値はありますよ。レプリカのみならず、乖離を妨げる鍵になり得ますし」
「……」

部屋の中央で眼鏡を光らせる白髪は嬉々と高揚して頬を上げる。しかし正面に立っている男は対象的に口を噤んで、僅かにも歪むことなく真顔のままだった。そんな様子に気が付くこともなく、丸眼鏡の彼は白い髪と一体化する白衣をひらめかせて連なる机に乱雑に放られた紙の束をガサガサと散らかしていく。

「しかしこの二年という歳月が気にかかりますね。個体の状態で大爆発による構築に時間がかかったのは、やはり生体音素が影響していることは否めないでしょう。今回は両方が特殊なケースですから、原因はどちらにあるのか」

紙で埋まる机の上から資料が床へ滑り落ちていく。左右に瞳をキョロキョロ動かして、隣の机に置いてある資料を見つけるとそこへ薄いペンで何かを書きなぐった。そしてすぐにペンを懐へ戻し、今度は棚にずらりと並べられたファイルを指で追って開き始める。

「実験ができれば手っ取り早いですが被検体に時期があうものがありませんし。被験者、レプリカ共に情報は残っていますから、アッシュのデータを採取しましょう。あとは再現時の数値を解析して……」

数ページ見ては閉じて隣の台へ置いて別のものを手に取って。繰り返しては重ねられるファイルの山に、申し訳程度に置かれた緑が花瓶ごと埋もれていく。数冊彷徨ってようやく目当てのものを見つけたのか、またくるりと回って資料に目を落としたまま戻ってきた。

「確かベルケンドにレプリカルークの医療解析データが残っていると言っていましたよね。問題は大爆発の瞬間にアッシュが既に死んでいたなら、アッシュの状態がわからないということですか」
「……それに関してはルークが記憶しているかもしれません。聞いて答えてくれるかはわかりませんが」
「歯切れが悪いですね。さっきからなにか……」

妙に協力的でない相方に疑問を感じて分厚いファイルから顔を上げると、ようやく彼の様子がおかしいことに気が付く。普段よりも寄った眉、不思議と引き締まっている口元に「ジェイド?どうしたのです」と小首を傾げた。


「一体なんの話をしてるんだ」


その直後、声と共に背後の扉が開かれる。
驚いて振り向く二人の研究者に、怪訝に眉をひそめた青年が金色の髪を乱して詰め寄った。

「ジェイドもディストも、一体なんの話をしてる。大爆発ってのはなんだ?どうしてアッシュの話をしていてルークの名前が出てくる」
「立ち聞きとは行儀が悪いですね、ガイ」
「どのみちアッシュのことを話しに来たんだ。……なんで死んだはずのアッシュが戻って来て、ルークが戻ってこない。大爆発ってのが関係してるのか?」
「突然入って来てなんですか!ジェイドはわたしと話をしているんですよ!」

「邪魔ですから出て行きなさい」と追い払おうとするディストに構うことなくガイは視線で問い詰める。真顔でそれを受け取るジェイドは瞼を閉じて眼鏡を押し上げると、「とりあえず扉を締めなさい」と口を開いた。奥に位置するこの研究室まで廊下は長く、とても静かでよく響く。中に招き入れるかのような問答にディストが機嫌を損ねて騒ぎ立てるが、彼はそれを気に留めることなく話しだした。

「大爆発とは、完全同位体の間で起こる一種のコンタミネーション現象です」

音素振動数が完全に一致した二つの存在を同位体、そしてそれが被験者とレプリカであった場合、完全同位体と呼ばれる。自然界に同位体は存在せず、フォミクリーを使っても今の技術では作為的に同位体を作ることは不可能とされていた。ルークとアッシュが完全同位体であることは他にない極めて異例なものであり、これはルークレプリカ作成時に事故が起きたことが関係していたのだとディストが語る。

「完全同位体が誕生した被験者は音素乖離が起こり、身体から緩やかに音素が放出する現象が始まります。それに合わせて徐々に体力や譜術力が失われていく」
「音素乖離?ルークが生まれたことで、アッシュがってことか?」
「そうです。彼はそれを単純な音素欠如による消滅と勘違いした為、死に急いだ」

二年前の冒険で、アッシュが無謀ともとれる行動をしていたのはその所為だった。否、実際に自暴自棄になっていた部分もあっただろう。

「この放出された音素は完全同位体であるレプリカへ吸収され、最終的に一体化します。これが大爆発の全容です」
「……!?ちょ、ちょっと待ってくれ!」

淡々と話すジェイドの言葉に、ガイは眉を寄せて手で制止した。

「レプリカに……吸収?一体化?なら余計、帰ってきたのがアッシュなのはおかしいだろ?その話が本当なら、大爆発が起こって残るのはルークのはずじゃないか」
「話はまだ終わってませんよ。自分から聞いたんですから、ジェイドが話し終えるまで黙ってなさい」

矛盾に頭を抱えるガイに、横からディストの声が飛ぶ。ふつふつと沸き始める疑念が不安に変わり始め、彼の表情に焦りが滲みだした。そしてそれは次の言葉で確信に変わる。


「大爆発によって吸着するのは音素だけでなく、被験者の意識も融合します。いえ、正式にはレプリカの意識を弾き出し、乗り替わる……という表現の方が正しいですかね」


追い打ちをかけるように抑揚なく続けられた声が、ガイの体の熱を芯から一気に冷やしていった。言葉を失って、どんな表情を返したらいいのかもわからずに、ただ目を開く。

「ですが意識は消えても記憶は残ります。結合という言葉の方がニュアンスは合いますよ」
「いえ、記憶しか残らないんですよ」

真っ白になっていくガイの頭が物事を整理しようとしていることなど一切触れずに、二人の科学者は話し続ける。
一つの個体から生みだされた分身と本体が融け合い、一つに戻って『完全』になった。その表現が科学的か否かで違ってくるのは、個々で強調される感情が違うからだろう。
不意によぎる、タタル渓谷で見たアッシュの顔を、『ごめん』と告げた時の笑顔を思い出して眼の裏が震える。尚も話し続けている二人から視線を落として、笑顔の裏にあったものを想像すればするほど瞼はきつく視界を歪めていった。

「……なら、あいつは……ルークの記憶を持ったアッシュだって、そう言いたいのか」

彼は言った。

『ルークじゃなくて、ごめんな』

最後の最後まで、帰って来いと言われた記憶を持って。

「ルークはもう戻ってこないんだって……そう、言っているのか」

あの柔らかい声色は、なにか、自分たちには想像できないような感情をたくさん詰め込んでいたからなのだろうか。思いだせば思いだすほど、一言二言を交わしただけの声に肩が震えそうだった。
俯き気味に眉を寄せるガイに、会話を止めて視線を送るジェイドとディスト。ジェイドはその様子に一度目を閉じると、「では、わたしは軍の方へ戻ります」とレンズを押し上げ歩き出した。

「なあ、それならなんであいつは昨日、何も言わなかったんだ」

扉に寄る青い影を隣にガイは言う。ジェイドは一瞬止まったものの、答えることなく取っ手へ手をかけた。カラカラと重みのない音がレールを走る。彼が出て行くとまた同じ音が鳴って、閉じられた戸の向こうからはコツコツと硬い音が響いて離れていった。

「それにミカルは……」

問いかける相手がいなくなっても声は落ちた。薄くなる瞳が視界を狭めて眉を寄せると同時に、「ミカル?」と名前が復唱される。


「そういえばミカルはレプリカルークと共に地核へ降りたと言っていましたか。アッシュに聞けば音素化までの動きがわかるかもしれませんね」


独り言のような呟きに、細くなった世界が元に戻る。ハッと顔を上げると、ディストはすぐ隣の椅子へ腰掛けて机の引き出しを開けていた。

「おい!地核って言ったかっ?」
「ぎゃあっ!な、なんですかいきなりっ」
「ミカルがどうして戻ってこないのか、知ってるんだな!?」

肉のない肩を掴んで詰め寄ると、ディストは煩わしそうに手で払い落とす。不愉快そうに顔を顰める彼へ更に「教えてくれないか」と懇願すれば、ディストは嫌々ながらにも口を開いた。

「何故もなにも……二年前の時点で乖離直前だったんですから、そんなに長期間、個体の維持が出来るはずないでしょう」
「……乖離……?」
「何も知らないんですか?ハア、頭の悪い人間に説明するのは嫌いなんですけどね」


そう言って話されたのは、旅をしていた二年前のことだった。
彼女に埋まった第七譜石の話から、地核での共鳴、ヴァンとの戦いでの代償と乖離、そして大地の枯朽。あの時ずっと傍に居たはずなのに、聞かされる話はほとんどが初めて耳にすることばかりだった。それも当時は敵だったはずの人間に、こんなに時間が経ってから、詳細に。
ガイは驚くことも出来ぬまま、ただ聞かされる全てを受け入れることしかできなかった。そして同時に、彼女の行動の意味をようやく理解する。今更、二年も経って、やっと。

「たま〜にジェイドの周りをウロウロしているようですけど、話されていないのならやはりその程度の人間なんですね。フ、フフ……やっぱりジェイドの相棒はわたししかいないということですか……。フフフフ……ハーッハッハッハ!!」

度々何かに憂う横顔を見かけたことがあった。声をかけても「なんでもない」と笑って誤魔化されて、下手に強がるのはルークのそれと全く同じで。あのタイミングであの場に残ると、最後まで何も言わなかったのには何か深い事情があり、むしろ言えない理由があるのだと思っていた。それが最悪の可能性であることは限りなく黒で、まさに聞いた通りの結末を考えたことがないといえば嘘になる。
それでも実際に誰かの口からそれが事実だと聞かされるのは、想像していたよりもずっとずっと重く、嘘だと言い聞かせて耳を塞ぎたくなった。

「あ、言っておきますけど他言しないでくださいよ。帝都での士気だの覇気が下がるだとか、事実で傷つく人間がいるだとか、噂になると面倒くさいそうですから」
「……」
「ですがアッシュが戻ってきましたし、ミカルの死も公にした方がベルケンドの勘違い研究者たちも静かになりそうですけどねぇ」

喋り続けるディストは、彼女のことを話していてもなんとも思っていない様子だった。むしろ、科学的に死が立証されていることで変に希望を持つ理由がないというのか。話を聞くかぎり彼がミカルの死因について知ったのは一年以上も前のようで、もし事実として呑み込むことが難しくても、それに抗ったのはもうだいぶ昔のことなのだろう。

(……きっと、口外禁止の対象は俺だったんだろうな)

心の中で呟きながら、不意に頭の中で横切る聡明な友人の顔に視線が床へ落ちた。否が応にもわかってしまう。彼女からの伝言なのか、ただの気遣いなのか、それとももっと別の理由なのか。無意識に眉間は詰められて、気が付かぬうちに歯を噛みしめていた。

(ルーク……ミカル……)

現れた光と共に叩きつけられた事実はあまりにも唐突で、残酷で。詰まる呼吸を噛みしめて、どう感じることが正しいのかもわからぬまま叫びたくなる衝動を拳で握り潰す。哀しいのか、悔しいのか、認められぬ葛藤と、さらには誰に向けたものかもわからない怒りや……。
沸き上がる感情がなんなのかわからず、どこにその気持ち持っていけばいいのかもわからず、ただ立ち尽くしていた。

 


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