Épelons chance | ナノ



56.喝くれて俯れた唇また朱き



明け方にホテルから抜け出したミカルが街北部にある公園で朝日を迎えていると、誰も居ぬはずの場所で唐突に背後から雪の踏むが聴こえた。
振り返ると、街の裏口から現れたのはアッシュ。燃える焔を靡かせて、彼は目立つ小さな姿に眉を寄せた気がした。



「そうか。すぐにアブソーブゲートに向かうんだな」

ミカルはロニール雪山であったことを話すと、この陽が登った頃にはヴァンの待つ場所へ向かうことを告げる。真っ直ぐに見てくれる瞳は何を思い描いているのだろう。こうして見る冷静な瞳はいつも何かを考えていて、そこにルークが関わると熱を露わにしてしまう。静かに言った言葉に、ミカルは気がついてしまった。その言い方は、まるで。

「…アッシュは一緒に行かないの?」

誰よりも自分が率先して行こうとするはずなのに、彼はミカルたちの行動にただ頷いただけだった。きっと根本的なところはルークと変わらないはず。彼の性格なら、誰かに頼ることなどなく、自身の手で。
ミカルの問いに対してアッシュは何も答えなかった。言わずとも答えなどわかっていた。だが、対峙した彼女はハッとする。「まさか…!?」と目を大きくした彼女にもアッシュは答えず、返そうとした踵の手前でミカルに腕を掴まれた。彼は目を瞑り、その眉間に寄せた皺が言いたいことを物語っていた。

「やっぱり……あなた、ダアトでの傷が、まだ…!?」
「……お前には関係な…」
「ちょ、ちょっと見せて!」
「な…!?お、おい!うわっ!」

抵抗するアッシュの腕を思い切り掴んで、バランスの崩した身体は二人して雪の上に倒れこむ。衝撃で「ぐ…!」と顔を顰めたアッシュの上に乗り、ミカルは彼の法衣を捲り上げた。服の上からでもわかる程血が滲み、赤黒く布を染め上げている。怪訝に眉を寄せた彼女は彼のことなど目に映さずに血で汚れた布を更に捲り、そこに現れたものに愕然と言葉を失った。

「ど、どうして…こんな……」
「……フン。俺だってこんな体でなければ、とっくにアブソーブゲートへ向かっている」

横たわり、激しく苦痛そうに呟いた。しかしミカルはそれよりも、目の前の傷に動揺している。数日前にダアトで切られたこの傷は深く、確かに簡単に治るようなものではなかった。それでもナタリア、ミカルと、腕に自信のある治癒術師が当てたのにも関わらずこの傷の有り様。ダアトで治しきれなかったとは言え、こんなに広がっているのはおかしい。むしろ、あの時よりも悪化しているようだった。人間の持つ自然治癒力と時間さえあれば少しずつ傷が塞がるのは当たり前のこと。ましてや彼は第七音譜術師であり譜術も使える。音素の取り込みは通常の一般人よりも遥かに鋭いはずなのに、この出血具合。
頭で考えられることを想定しても、前提のない症状は目の前に困惑を生むだけだ。ミカルは徐ろに手を傷口へ当てて、治癒術を施していく。彼女の下でアッシュが目を瞑り眉を寄せ「やめろ」と声をかけたのが聴こえたが、ミカルは髪を揺らめかせながらただ必死に音素を腕に送り込んでいく。しかしいつもと同じように譜術を使っているはずなのに、何故か傷がうまく塞がらない。まるで、治癒を受けた途端にその音素が流れ出ているような――そんな感覚だ。

「…よせ。治癒術をかけたところで変わらない」
「どういうこと!?」
「…………れには時間がないんだよ」
「え?」

小さく聞き取れなかった声にミカルが顔を上げる。それと同時にアッシュが起き上がった。後ろに流れていた髪が雪に濡れて垂れ下がり顔にかかる。
黒衣に包まれた手が音素で光る彼女の腕を掴み、その行為を止めさせた。どうして、と怪訝な瞳を向けるが、彼も同じように眉間を染めている。どちらも引かぬというのは平行線上、彼の腹から血が流れるのを見送るだけだ。

「……っ、やっぱりダメよ!せめて止血だけでもさせなさい!」
「だから、必要な…」
「さ せ な さ い!!」




公園のベンチに腰掛けて、その中央にある銅像をぼうっと眺める。その足元には花が植えられ、雪の上で懸命に育っている。彼にとっては、元々敵国だったこの景色も、今の心境ではどう映っているのだろうか。座る彼の足元に跪いて、巻かれた包帯の上からただひたすら治癒術をかけ続ける彼女も、元々は敵国の。

「とりあえず、出血は止まったわ」

額に脂汗を浮かべて、穏やかに微笑んだ。次いで「でも無理は禁物ね。本当なら、安静が好ましいのだけど」と苦く眉を寄せて笑う。
アッシュはふと、その笑みを上から見て心が穏やかになるのを感じた。どこかで見たことがあるその微笑み方は、彼は昔よく見ていた気がする。

「――アッシュ?」

ミカルは不思議そうに小首を傾げて手を止める。アッシュは彼女の顔をまじまじと見ながら「…表情が明るくなったな」と口を開いた。

 


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