Épelons chance | ナノ



51.静けさはざわめきを





タルタロスの大きな甲板には、アルビオールが設置されている。その下には脱出するための譜陣。シェリダンとベルケンドの彼らが、最善を尽くして手を加えてくれた唯一のここからの脱出手段。これがなくなれば皆はここから出ることは出来ず、いずれ譜術の壁が消えて膨大な圧力に押しつぶされ死んでしまうだろう。

駆け込んできたミカルの目にはその白い翼がはっきりと映る。侵入者がもし彼らより先にこれを使ってしまえば……そんなことを想像したミカルは、不謹慎にも安堵の息を漏らさずにはいられなかった。そして、彼女の瞳に、アルビオールの影に何かが映る。


「そこまでよ!それ以上何かをすれば、炎があなたの身体を焼き尽くすわ!」

譜陣を構えて牽制すれば、その影はこちらに気がついた様子で姿を現す。
地殻の光が足元から影を消して、少しづつ露わになった身体を漆黒の瞳が捉えていく。

「できるの?アンタに」

馬鹿にした声は、音のない空間でただただ無限に広がって消えていった。
身構える様子もない目の前の人物は、ミカルなぞ敵と認識する必要もないと言わんばかりの余裕を見せる。握り締めたミカルの拳は小さく震えたが、それでも彼女の瞳は臆することなく揺れる毛先へ向かう。

「どうして…どうしてあなたが!なんで……」
「話が噛み合ってないね。どうしてもないだろ。ボクはヴァンの手下だ」
「それでも…何度もわたしの手を引こうとしてくれた」
「でも、アンタは結局ボクの手を取らなかった」

ミカルの足元で光る譜陣が、波を描いて揺れる。


「ボクは 六神将 烈風のシンク。言ったはずだ、次会うときは神託の盾だって」


心臓がドクンと波打つのがわかった。とても冷徹な声が静かに脳内に落ちていく。それと共に、シンクが腕を構えて臨戦態勢に入った。
シェリダンで言われた言葉の意味を、やっと理解した。彼は元々敵なのだ。これが、本来あるべき関係性。何もおかしいことではない。それなのに、ミカルの瞳はどうしようもなく揺れていた。

「…お願い、大人しくわたしに捕まって。ここはじきに譜術壁が消滅してしまう」
「知ってるよ、それくらい。だからこんなとこまで待っててあげたんでしょ。アンタらもボクも、ここで死ぬんだよ」
「な…なに言ってるの!そんなことさせない!わたしもあなたも、生きて地上に戻るのよ!」
「ボクの任務は地核の静止を防ぐこと。そして…邪魔者は排除するよう言われてる」
「どうしてそこまでして謡将に味方をするの…?こんな……まるで命を投げるようなやり方で……」


戸惑いが見え始めたミカルのスキをシンクは見逃さなかった。言葉を遮って地面を蹴ったかと思うと、彼はそのまま瞬足で駆けてミカルの顔へ拳を振り抜く。咄嗟に紙一重で避けたミカルの頬を拳がかすめて、流れる黒髪を追う仮面の中の瞳と視線が合わさった。だがそれも束の間、次の瞬間には半身を回して勢いを付けたシンクの足がミカルの胸を蹴り飛ばした。

「どうしたの?得意の譜術を使うんじゃないの?」

両腕で蹴りをガードしたはいいが、威嚇していた譜陣は消えてしまっている。
ジンジンと痺れる腕を体の前で身構えて、ミカルは険しい顔をしたまま言った。

「…わたしは、あなたとは戦いたくない……」
「甘いな。そんな考えでよくここまで生きてこれたもんだね。ザオ遺跡の時からカケラも成長してないってこと?」

皆との戦闘で傷ついた腕を、思わず治してしまったあの時。
違う。あの頃とは、何もかもが違う。
そんなことはわかっている。今の状況もわかっている。でも、ミカルに彼と戦う利点は何一つ生まれてこない。

「……シンク!」
「忘れてないよね。アンタがくれた掌底の借り、まだ返してないってこと」
「シンク!」
「さ、始めようよ。アンタの体術がどれだけのもんか、ボクが見極めてやるよ」


言い終わり、動きを止めたと思った次にシンクは再びミカル目掛けて走り出した。
冷たい仮面が地殻の光を反射して表情は写すまいと輝く。仮面の端から覗く口は、無表情に噤まれていた。

ガッと鈍い音が小さく響く。シンクの拳を受け止めたミカルは「ぐっ…」と唇を噛み締めて距離をとり、腕を抑えた。
一体どこからその力が出てくるのだろう。とても重たい攻撃は、防いでも尚身体に衝撃をくれる。

些細なことに気を取られてハッとすると、目の前にいたはずのシンクの姿がない。影になった上空を見上げると、重力と、体重と、全身の力をそのままに振りかぶった彼が思い切りタルタロスの床を叩き割った。
飛び退いたミカルの横で、床は割れて木が抉れ、その衝撃で周囲一辺にヒビが大きく入っていく。
それを目に、ミカルは埃煙の中シンクを再びゆっくりと見つめた。彼は本気だ。生か死か。それがどういうことなのか。もう…言葉を聞いてくれないだろうということも、やっと、ここで。


「……」

ゆっくりと瞼を閉じて再び身構え直したミカルに、シンクは見えぬ位置でフッと笑みを零した。
それが何を意味するのか、きっと彼にしかわからないのだろう。再び彼女が目を開いた時には、迷いが消えて真っ直ぐに仮面の内を見据えていた。

「……」

向けられた眼差しはとても哀しそうに光る。漆黒の瞳に映る仮面は、その中でジワジワと熱くなっていく。見つめられた彼は、「…ホントに、腹が立つ」と小さく小さく呟いた。

 


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