Épelons chance | ナノ
49.儚くも蕾
「…まさか陛下と一緒になって逃げる日が来るなんて思いませんでした」
「ははは!違いない!」
宮殿の庭に立っている景観の良い背の高い木の上で、二人は下を見下ろしていた。
大生と葉を付ける緑に覆われて、ミカルとピオニーの姿はすっぽりと隠れてしまう。宮殿内ではピオニーの名を呼びながら兵士たちが駆け回り、よく見慣れた光景がそこには広がっていた。
反省もせずに逃亡をするピオニーは、今日もまた走って隠れてを繰り返していたようだが、途中でミカルの部屋を目にして忍び込んだらしい。
庭に隣接する寝室の窓は空いていて、そこから入って隠れていたはいいものの、あまりにも静かすぎる部屋に疑問を感じて扉を開けると、書類漬けのミカルが振り向いたそうなのだ。
ミカルも自分の職務に追われて疲労も溜まっていた為叱る気にはなれず、思わずピオニーの甘い誘いに負けてここにいる。
彼女からしてみれば、追う側から追われる側になるなど、夢にも思わなかっただろう。
「でもこれでわかったろ?俺だって大変なのは嫌なの。これからは匿ってくれな」
「それとこれとは話が別です。陛下は少しのお仕事でも逃げ出すじゃないですか」
ミカルが息を吐き出しながら言うと、ピオニーはがっくりと項垂れた。
不満そうにブツブツと不貞腐れる皇帝を見て、ミカルはフッと笑みをこぼした。口ではこうは言っても、なんだかんだ休息すらとれない状況で、ピオニーが現れたことはかなりありがたかったのだろう。
「アニスには休んでいていいって言ってもらえたけど、これじゃあ…」
羽休めには到底なっていないし、むしろ一緒にダアトに行った方がしっかり眠れるし自由に動けるしで楽だったのかもしれない。
それが目的で残ったわけではないのだが。
はた、とアニスの名前を出して気がつく。
もちろんヴァンの危険を踏まえてグランコクマに残ったのだが、それと同時に確かめたいこともあった。
ここ数日はずっと部屋に篭りっぱなしでろくに出てこれなかった所為もあり、やっと出てこれたと思った隣にはピオニーがいる。
一瞬にして、ミカルの面持ちが硬くなった。
「…あの、ピオニー様。この旅で、沢山の心配とご迷惑をおかけしてごめんなさい」
急に話題転換されて、ピオニーも「どうしたんだ?」と疑問そうにしながらも笑って頭を撫でてくれる。
「出先で消息を絶って、何も連絡せずに、戻って来たらまた出たい、だなんて……勝手でしたよね」
「全くもってその通りだな。セントビナーからなかなか帰ってこないと思ったら、戻ってきたのは青い顔した兵士だけ。そいつからジェイドの名前を聞いたからよかったが」
「……青い顔?」
セントビナーでミカルを見失った護衛は、ひどく憔悴しきった様子で帰ってきたそうだ。もちろん仕事を放棄したと同義の行為に悔やんでいたこともあるが、何よりも、死霊使いに素晴らしいお叱りを受けたのが原因なんだとか。ジェイドが人を“叱る”という行為をすることに疑問はあるが、笑顔のまま言葉で追い詰めた、と考えれば幾分か想像も容易だ。
兵士がジェイドの言葉で帰還を命じられたと聞けば、彼が必ずミカルを捜して共に行動していると信じていたらしい。
「今となっては過ぎたことだから、気にもしてねぇけどな」
ピオニーは、ミカルの頭に乗せている腕をわしゃわしゃとかき乱した。
楽しそうに覗く白い歯が眩しい。ミカルは目を細めながら、髪の毛が絡むことも厭わずにピオニーを見つめる。
「戻って来てから出て行ったのも、仕事が増えて困るのはお前だろうから」
月をまたいで戻って来ないミカルに、誰もがもう彼女は戻らないと思っていた。それは、ジェイドも同じことだ。
だからこそそれまで職務も積まれてはいなかったが、戻って生存の確認をしてからは別。ここまで仕事が増えたのは、その後に戻ってきてからでも片付けてもらうために回されたものだという。
結果、ピオニーの思惑通り屍になる寸前なわけであるが。
「あの…ピオニー様」
枝から下がる足を、手でぎゅっと握り締める。
ピオニーは面白そうに足下で駆け回る兵士たちを目にして、「うん?」と耳だけ傾けた。
「前に戻った時、ジェイドが何かをしていたようなんですが、ご存知ですか?」
静かな声色でミカルは話し始める。
一瞬、ピオニーの指がぴくりと動いたが、彼は尚も口に笑みを浮かべて下を向いたまま「仕事だろ」とだけ言った。
「調べ事をしていたみたいなんです」
「あいつがする事は幅広いから、俺には検討もつかんな」
「不明な死を残した男爵についてだそうなんですが」
ミカルの言葉を聞いて、ピオニーの表情は一変した。笑んでいた口元は閉じ、瞳も濃い色に染まる。しかし、ミカルとは目を合わさなかった。
その横顔を見て、ミカルもピオニーから視線を外した。
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