Épelons chance | ナノ
20.見ろ、雲は止まっていない
「同位体の研究のようですね。3.141592653…。これはローレライの音素振動数か」
一同は船室へ集まり、解析した資料を手にジェイドが話し始める。
それを聞いて、唯一頭を抱えるルークがぼやく。
「ローレライ?同位体?音素振動数ぅ?訳わからねー」
「ローレライは第七音素音素の意識集合体の総称よ」
ティアが説明を始める。それにミカルが続けた。
「音素は、一定以上数集まると自我を持つらしいの。それを操ると高等譜術を使えるのよ」
「それぞれ名前が付いてるんだ。第一音素集合体がシャドウとか、第六音素がレムとか…」
「ローレライはまだ観測されていません。いるのではないかという仮説です」
引き継いだガイの言葉にジェイドが付け足した。
口々に説明してくれる様子に、ルークは感心したように息を漏らす。
「はー、みんなよく知ってるなぁ」
「まぁ…。常識なんだよ、ホントは」
「仕方ないわ。これから知ればいいのよ」
ルークの記憶喪失は、ただ記憶がなくなってしまっただけのものではなかった。それまでに紡いできたすべてのこと…言葉や歩き方さえ忘れてしまったという。記憶喪失というよりは、障害に近いのかもしれない。身体は大きいままの生まれたての赤子のようになってしまった彼は、一般的な言葉や生活の仕方、さらに自分の身内の顔さえもを覚えなければならなかった為、ここでは一般常識と言われる事柄に疎い。今まで何かとルークと衝突していたティアがこんな風に言うのを珍しく思ったミカルは、思わず彼女の顔を見てしまった。
「なんか…ティアってば突然ルーク様に優しくなったよね」
ベッドの上で足をぶらつかせたアニスが、ミカルと同じように疑問を抱いたようだ。しかし、彼女の顔はつまらなそうに膨れている。
「そ、そんなことないわ。そ、そうだ!音素振動数はね、すべての物質が発しているもので、指紋みたいに同じ人はいないのよ」
「ものすごい不自然な話の逸らせ方だな…」
「ガイは黙ってて!――同位体は、音素振動数が全く同じ二つの個体のことよ。人為的に作らないと存在しないけど」
ルークはティアの方を向いてひたすら耳を傾ける。
「昔研究されてたフォミクリーって技術なら、同位体が作れるんですよね?」
「フォミクリーって、複写機みたいなもんだろ?」
人為的、という言葉にアニスとガイが口を挟んだ。その眼差しはどちらもジェイドへ向いていて、彼に答えを求めている。
「…いえ。フォミクリーで作られるレプリカは、所詮ただの模造品です」
その様子をミカルは黙って見つめる。どこか歯切れの悪い回答…ここのところ、彼の様子が普段と違う時があるのが気になる。
「見た目はそっくりですが、音素振動数は変わってしまいます。同位体は出来ませんよ」
「……」
イオンはただ黙ってその会話を聞いていた。その表情は普段と変わらず凛々しさを保ってはいるが、瞳の緑色が濁る。一度にたくさんの事柄を説明され、ルークは頭を掻きむしりながら「訳わかんねー!」と嘆いた。
その時、船室の扉が乱暴に開かれキムラスカ兵が駆け込んでくる。荒い息を整えもせず、その口は大きな声を出して報告した。
「た、大変です!ケセドニア方面から多数の魔物と…正体不明の譜業反応が!」
直後、轟音が鳴り響き渡り船が大きく揺れる。外から聞こえてくる鎧の音と金属の弾かれる音に、皆武器をとった。
「もー!どうして襲ってくるのー!」
目指すは船橋。船を制圧される前に辿り着き、襲撃を食い止めなければいけない。ミカル達は船の中を走りながら、船へ襲撃してきた神託の盾兵達を薙ぎ倒していく。空中からの奇襲のせいかその数は少なく、集団でかかればいとも容易く突破できる。アニスは苛立ちを露わにしながら叫び走る。シンクの追跡から逃げ延びたばかりだというのに、休む暇がない、と腹を立てているようだ。
「やっぱり、イオン様と親書をキムラスカに届けさせまいと…?」
ティアが目線を伏せながら呟く。
「船ごと沈められたりするんじゃねぇか?」
「ご主人様、大変ですの!ミュウは泳げないですの」
「うるせぇ。勝手に溺れ死ね」
こんな時くらい優しくしてあげればいいのに、とミカルは思う。少しでも不安を安らげてあげようと声をかける。
「だけど、水没させるつもりなら突入はしてこないと思うわ」
船橋に近づくにつれ、隠れる場所も少なくなる。敵との遭遇も増え、少数とは言えど連続した戦闘は体力を消耗していく。
「海上で襲われたら逃げ場がないわ。もしかしたら、敵の狙いはそこだったのかもしれないわね」
真剣な顔をしてティアが言うが、そのすぐ後ろでジェイドは失笑した。
「ただ無計画なだけでしょう」
「あれ?大佐、なんだかテンション低くないですか?」
「気のせいですよ。それよりも船橋に急ぎましょう」
明らかに面倒くさそうな仕草をする彼は、とても脱力しているように見える。
「この一見計画性のありそうな、そのくせ胡散臭い襲撃…。私の予想が的中しなければいいのですが…」
「…ジェイド?それは?」
「あぁいえ。そうでないことを祈りましょう。その方があなたも困りませんからね」
「…それは…もしかして……」
同じようにしてミカルの身体に脱力感が芽生えると、彼女は目を細くして遠くを見た。
「なになに〜?気になる!」
アニスの声に失笑しかできないミカルは、下手な笑いを顔に浮かべて走った。
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