弓弦5



 翔さんの部屋のドア。今日は開いていた。



一舞
「こんばんは〜」



 そう言ってから、翔さんのオーラ漂う領域に足を踏み入れると、部屋の主は、だだっ広い空間の隅に置かれたシンプルな机に向かっていた。


(…あぁ…だから食事は部屋に持って来いって言ってたんだ。あれでも一応、大学生なんだもんね)


 納得して、抱えていたバッグを下ろそうとするけど…食卓になりそうな物が見当たらない。


一舞
「………」


 当たりをキョロキョロと見回して、なんとか食卓の代わりになりそうなワインの木箱を見つけた。


(ワインとか飲むんだ?)


 とか、ふと湧いてしまった疑問は無視して、木箱を部屋中央に移動させようと試みた。





一舞
「…ふんっ!」


 木箱のくぼみにしっかりと両手をかけて、思いっきり持ち上げようとしたんだけど…中身が入っているからなのか、自分が非力になっているのか、びくともしない。

 引きずることもできるけど、それじゃ床を傷つけてしまうし…早くしないと料理が冷めちゃうし。とりあえずもう一度、思いっきり持ち上げようと、両手に力を込めると、フワッ…と木箱が浮いて…



一舞
「ふわっ!?」



 勢い余って後ろに倒れそうになった。



(ひゃっ!!)



 勢いよく床に頭を打つ覚悟を決めたけど…




(……?)




 床は意外に柔らかく、痛くもない…。













「お前…何やってんだよ」







 頭のすぐ上で、金色の髪が揺れた。



一舞
「…あは、ごめん」



 最初から手伝ってもらえば良かった…かも。




「お前…意外に鈍くさいな」



 すぐ頭上で翔さんが言う。

 なんだかかなりの密着状態らしく、後頭部に翔さんの喉の振動が伝わってくるのがわかる。

 その艶やかな声に、不覚にもドキッとしながら体制を立て直し、2人で木箱を運んだ。












 夕食の入ったタッパーを木箱に並べながら


一舞
「…レポートですか?」


 平静を装い、話題を振ってみた。



「…まぁ、そんなとこだな」

一舞
「………」


 普通に答えてくれたことに少々驚いた。

 こんな風に普通に会話が成立するなんて、たぶん初めてのことじゃないだろうか?



「やっと歌う気分になった途端にレポートの山」


 タッパーの蓋を取り外しながら、小さいため息を吐いている。

 意外だけど、翔さんなりにテンパってるのかもしれない。

 表情が無い…って聞いて、そう思い込んでいた翔さんの顔には少し、疲労の表情が浮かんでいた。


一舞
「…まぁ…食べて体力つけてください」


 思い込みって良くないな…なんて反省して。ちょっとだけ翔さんを気遣ってみた。




 …それにしても広い翔さんの部屋。入るのは、あの初対面の日以来。

 身動きするたびに起こる衣擦れの音。翔さんが箸を動かす音。

 もしかしたら髪が揺れ動く微かな音さえ聞こえてきそうな…小さな物音さえ鮮明に反響し、2人で居ても淋しさが拭えない部屋。

 翔さんはこの部屋に1人で居て、平気なんだろうか…。




(あたしは無理かも…)





 黙々と食事を進める翔さんの向かい側で、この室内に漂う淋しさに…震えていた。




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