霹靂12



――――――side 一舞――――[藍原邸]――――

 夜も更け、住宅街の空気も寝静まった頃。

 使い慣れた藍原邸のキッチンに立ち、疲れて帰宅するであろう翔のために夜食を用意している。

 こうして翔のために食事を作るのは何度目だろう?最早数えきれないけれど、今夜はなんだか特別なのかもしれないな。なんてちょっと後ろ向きにもなる。


 先ほど撮影所で偶然にも翔と出会って、一度は沈静化した筈の混乱した気持ちが再び湧き上がった。

 どうにか泣き顔を見せずに済んだけど、会ったらまた泣いてしまいそうで怖い。


一舞
「…っと」


 翔の好物でもある、あたし特製の肉じゃが。その材料を準備中、うっかり指を切ってしまった。自分で思っているよりもボーっとしているようだ。

 一旦キッチンを離れ、傷の手当をするため救急箱を取り出す。

 左手の人差し指に、どうにか絆創膏を巻き付けたところで一息つくと、とても身体が重くなった。



 学ちゃんからあの話を聞いてから…どうにかして翔の気持ちを理解したいとか、このまま一緒に居たいとか思いながら、同時に考えていたことがある。


 それは、あたしが隣に居ていいんだろうか…という気持ち。


 翔にとってあの過去は消せないものだろう。

 それがわかっていて、あたしが、パパのような覚悟で隣に居続けられる保証など無い。

 要するに自信が無いのだ。

 どんなに今、欲しい言葉を貰えても。あたしがそれを信じ続けられるのか、という自信が…。


 これ以上、翔を傷つけたくない。だけどあたしは子供だ。彼に追いつけるまでには、いったい何年かかるんだろう…そう考えると、何一つ確かなものが無いのだから。






















 どうにか夜食の準備を終えるとすっかり深夜。

 翔はまだ帰ってこない。



(遅いな…)



 時間の指定などできないのはわかっているし、待っていると言った手前、帰るわけにもいかない。

 一階リビングの大きなソファに一人ポツンと座って待っているこの時間は、今はやっぱり少し怖い…。

 こんな状態があまり続くと、会った途端に自分から決定打を下しそうで怖い。



(あたしって、こんなに憶病者だったんだな…)



 あまりにも後ろ向きで逃げ腰の自分の思考が信じられなくて、少々ガッカリしてしまった。

 翔を好きになる前はこんな気持ち…知らなかったんだけどな…。


一舞
「はぁ……」



 溜息がひとつ零れた瞬間、外から車のエンジン音が聞こえてきた。


(!)


 その音で急激に軽くなった身体が勢いよくソファから立ち上がり、早足で玄関ホールへと動き出した。



(なんだ、やっぱり会いたかったんじゃない)



 心とは裏腹に、身体の反応は至って単純でわかりやすい。

 一緒に居ていいのか不安なのは確かだけど、好きな気持ちはそう簡単には変えようも無いらしい。


 急いで飛び出したリビング。飛びつくように押し開けた玄関扉。

 其処に立っていたのは…




透瑠
「こんばんは」

一舞
「…?」




 押し開けた扉の向こうには、とても久し振りの透瑠くんが…立っている。



一舞
「…あの」

透瑠
「ふふ…翔なら来ないよ」

一舞
「…」

透瑠
「来ない…って言うより、来られない。が、正解かな」

一舞
「どうして?」

透瑠
「そんな泣きそうな顔しないでよ」

一舞
「!」



 泣きそうな顔と言われてハッとした。

 恥ずかしさから顔を背けてしまったけど、本当にどうして透瑠くんが来ているのだろうか。

 しかも「翔は来ない」なんて、それも意味がわからない。



透瑠
「どうして来られなくなったのか教えてあげようか」

一舞
「…」

透瑠
「透瑠くんが意地悪したからだよ」

一舞
「…?」



 あたしの反応を見て、透瑠くんが目の前で微笑んでいる。

 とても楽しそうで、嬉しそうな微笑みだけど。あたしが知っている透瑠くんって、こんな風に笑う人だっただろうか…。

 綺麗なのに、なんだか…



透瑠
「翔は、たぶんもうキミの前には現れない。そういう魔法をかけたから」

一舞
「…なに、言ってるの?だって、約束したんだよ?」

透瑠
「一舞ちゃんは、翔に幸せになってほしいでしょ?」

一舞
「…?」

透瑠
「俺もだよ。だから、翔が忘れたくても忘れられない人に、会わせてあげたんだ」

一舞
「え…?」

透瑠
「わかる?俺の言ってる意味」

一舞
「…」



 わかる…意味がわかるだけに怖い。透瑠くんが怖い。

 あたしの知らない笑顔を張り付けたままの顔で、あり得ない事を言っている。

 だって、透瑠くんが連れて来たというその人は…



透瑠
「大丈夫。心配しないで。慣れるまでは、俺が翔の代わりになってあげるから」

一舞
「!」



 笑顔を深くして、透瑠くんは更に信じられないことを言った。

 透瑠くんが翔の代わり?それってどういうこと?

 そもそもそんな代理なんて欲しくない。



透瑠
「だから言ったでしょ?強くなってねって」

一舞
「…な」

透瑠
「強くならないと、俺に壊されちゃうよ?ふふふ」

一舞
「!!」



 こんなにも背筋が凍りつくような、恐ろしい感覚を味わったことなんて無い。

 最早、目の前の微笑みに抗う気力も奪われて、あたしは愕然とした気持ちで数歩後ずさった。

 扉のノブを握りしめていた両腕は力なく落ちて、視界は焦点が合わなくなって…。

 もう…何が何だか…考えることも出来ない。



透瑠
「…少しは諦めがついたかな?」

一舞
「…」

透瑠
「お口が無くなっちゃったみたいだね。ふふ。これでも俺は忙しい身だからさ、明日には日本を発つんだけど…」







透瑠
「可哀相だから、今夜だけは一緒にいてあげるよ」





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