霹靂5




――――――side 一舞――――[橘邸]――――


 大泣きしたあの日。

 ママは、何も聞かずにただ頭を撫でてくれた。

 あたしは夜通し泣き続けたけど、答えの出ない問題を抱えたまま、またいつもの日々に戻るしかなかった。


 あれから幾日過ぎたのか。毎日は変わらず過ぎていく。

 今朝もリビングのソファーでは、ママがコーヒーを口に運びながら新聞を読んでいる。

 そんな平穏な景色の中で、あの夜の事を引き摺っているのはあたしだけかもしれない…。そう感じて、いつも通りに振る舞い、ママの隣に座った。

 いつもママのために欠かさず用意されているコーヒーの香り。家政婦だった頃に翔に淹れてあげていたものとは少し違う種類のようだ。


(あ…)


 そういえば今夜は翔に会う日だ。

 思い出して少し血の気が引いた。こんな感覚、初めてだ。

 話し合うと決めたのだから、約束通り会ってあの話を聞いてしまった事を伝えなければならないのだけれど…冷静になって考えると、先ずどんな顔で会ったらいいのかわからない。

 

「……どうした?」

一舞
「へ?」


「そんな難しい顔して…」

一舞
「…あ…ねえママ…聞いてもいい?」


「…なに?」


 あたしの表情が余程おかしいようで、ママから返ってきた返事は訛りを隠し忘れて上ずったような声。

 ママの過去を。あたしの記憶から消えてしまっている昔のママを垣間見せた。


一舞
「…あのね?」


「?」


 向き合ったママの表情はとても不思議そうだけれど、どう聞けばいいのか迷うあたしの言葉を待ってくれている。

 教えてくれるんだ。そう思った瞬間、パパが…龍二くんが今この場に居ないことを確認しようと咄嗟に辺りを見回した。



「…龍二に聞かれると困る話か?」

一舞
「…う、ん、っていうか、聞かせちゃいけない気がして」


「…?」

一舞
「あのねママ。ママは今でも…お父さんの事…え…っと…」


「……あぁ。ソレか」


 今のパパである龍二くんの気持ちを思うと、全部を言葉にするのは躊躇われた。

 なんだかハッキリしない曖昧な言葉になってしまったけれど、ママはそれだけで察してくれたようだ。

 あたしの問いかけにただ微笑み、そして静かな声で答えてくれた。



「…そうだな、今も気持ちは変わらない」

一舞
「…」

(変わらない…)



 「変わらない」という言葉の意味は、それだけでとても重いものに感じた。そして、龍二くんという存在の危うさも、痛いほどに胸に刺さった。




「ふふ…でもな一舞。龍二の事も、あたしは大事なんだよ」

一舞
「…え?」


 微笑むママの表情にギクリとした。

 龍二くんを心配するあたしの心と、更にその裏にある心までもが読まれてしまったように感じたからだ。



「翔のことで何かあったのはわかるが…それとコレとは何か関係あるのか?」

一舞
「…し、知りたいだけ」


「そう?…まあいいけど。そうだな。どう言えばいいかな」

一舞
「…」


「何が違うかと言えば…その違いは大きい…」

一舞
「…?」


「お前の父親はもう、肉体こそ存在してはいないが…あたしの中でずっと生きている」

一舞
「……」


「アイツ自身も、その心も、永遠にあたしのモノだ」

一舞
「!」
(わ…ぁ…!)



「こう言ったらお前は引くかな……」

一舞
「…ひ、ひかないよ」


「ふっ…そうか?じゃあ言うけど。もしアイツが生きていて…もし他の誰かのもとに行きたいと言っても、あたしは行かせない」

一舞
「…」


「どんなことがあっても、他の誰にも渡さない。とはいえ、アイツがあたし以外の女に行きたがるとは思わないけど…」

一舞
「……」


「…だけどもし龍二が、他の誰かのところへ行きたいと望むなら。あたしは笑って送り出してやるつもりだ」

一舞
「……え」


「あたしと居るより幸せになれるだろうからな。龍二はあたしの本心を全部わかって、隣に居てくれている…だから縛る気は無いんだよ」

一舞
「…そ」


「その違いだ。わかるか?」

一舞
「………まだ…難しい、かも」


「はは、だろうな」

一舞
「……」



 ずっと穏やかな表情のままで、返ってきた質問の答えとその意味は、やっぱりあたしには少し重くて難しい。

 あたしが会ったことも触れたこともない本当のお父さんの存在は、今でもママの心を支配していて、そしてママ自身もそれを手放そうとはしていないなんて。


(変わらない……か)


 「永遠にあたしのモノだ」そう言った横顔はとても強く、綺麗で…愛されていたであろう自信と幸せだったその頃を、何も知らなかったあたしにも感じさせた。


 これで少しはこの気持ちを解決するヒントになると思ったけど…見せてもらえたのは、どれほど愛していたかという記憶の断片。

 本人から気持ちを聞き出す勇気が、ますます萎んでしまった気がした。



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