苦悩2




―――――――――side 翔――――[事務所通路]――――


「透瑠の体調。大したことなかったらしいぞ」






「……あぁ、そうっすか」


 セットリストの確認を終えて廊下に出た途端、背後から学さんの声がした。

 それが俺に向けられたものだと理解するのに数秒かかったが、案外素早く返事を返せた事に安堵しそちらへ顔を向けると、どうも様子のおかしい先輩の顔がそこにある。

 本来の学さんならこの場合「返事が遅い!」とか「寝ぼけてんじゃねぇ!」とか絡んでくるところだが、ここ最近ではめっきり大人しくなってまったく気持ちが悪い。何か悪いモノでも食ったのか、あまり静かだと調子が狂う。



「…純の話じゃ、早くピアノ弾きてーつってジタバタしてたらしいからな。どうせ寝不足かなんかでへばってたんだろ」


「へぇ…つーか学さんこそどっか悪いんじゃないすか?静かすぎて気持ち悪いっすよ」


「…うるせー。誰のせいだと思ってんだ」


「…俺ですか?」


「俺の心を乱すのはいつもお前だろ」


「そんなつもり無いですけどね。っつーかそれってやっぱり一舞のことですか」


「当たり前だ。生意気だがアイツは娘も同然の可愛い姪っ子だ。それがテメーの毒牙に掛かってるのかと思うと俺は…止められなかった自分が許せねー…」


「随分な言われようっすね…それを俺に直接言うアンタの神経もどうかと思いますけど」


「ふん…」


 少し前の、レコーディングを放り出して一舞に会いに帰ったあの夜の事が原因らしい。まったくどんだけ親ばか気取りだか知らねーが迷惑な話だ。

 だいたい付き合ってるのに何も起こらないわけがないし、俺だって男の端くれだ。惚れた女に触れたいと思うのも自然な事なら、それをあんなに頑張って受け入れてくれた一舞を大切に思えないわけがない。

 過去の俺がどうあれ、昔とは違うんだとこの人に理解してもらえるにはいったい、何をどうすれば充分な材料になるのか教えてもらいたいもんだ。



「ここでどうこう言っても仕方ねーが…」


「…」


「とにかく誠意を見せろ。認めるかどうかはそこからだ」


「あんだけ思いっきり殴っといてまだ足りないんすか」


「一舞はそんなに安くない」


「…」
(なるほど…)


 確かに安くはないが、俺だって人間だぞ。



「ところで、一舞はお前の事をどこまで知ってるんだ?」


「さぁ…?昔話はした事が無いんで…」


「…そうか」


「まぁ、何れは話すつもりですけど。何か問題ありますか?」


「自分の口から言うつもりなのか」


「知っててはもらいたいんで。それでどう転ぶかはわかりませんけど」


「…だな。…俺はそのまま別れればいいと思うだけだが」


「酷いっすね」


「こっちの台詞だ」


「嫌われるのは覚悟の上ですよ。それだけの事してきましたからね」


「…」


「ただ、知ったうえで俺を受け入れてほしいとも思ってますけど」


「…そうか」


「…何すか?」


「…先に俺が話すかもしれねーぞ」


「……」


「俺はお前等を別れさせたいからな」


「…そうっすか。まぁその時は、しっかり覚悟決めてからにしたほうがいいっすよ。俺もそこまで心広くないんで」


「おー望むところだバカヤロー」


 そう吐き捨てて去っていく派手なメッシュ頭を見送りながら、若干の苛立ちを覚えた。

 しかも只でさえ透瑠が抜けて覇気が無いのに、主軸のリーダーまでがああだとバンドの雰囲気が更に悪くなる。こんな状態でプロモーションなど上手く回れる気がしない。


(参ったな…)


 たとえそれが俺のせいだとしても、一舞と別れる気が無い以上どうすることも出来ないか…。



「…ハァ」
(ま、とりあえず誠意ね…)


 学さんの言う誠意に当てはまるものが何なのかハッキリしないが、とにかく一舞を大事にすればいいんだと理解して、なるべく会う時間を作ってみようか。


(つーかあの人マジで先に話すつもりなんだろうな。めんどくせーなまったく…)


 とにかく殴る準備だけはしておこう。

 そう決めて、この日の事務所を後にした。




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