苦悩1




――――某日…[浅葱邸]――――


「なんや、無理しとんなぁ…」

透瑠
「あー、いらっしゃーい」


 メンバーからの差し入れを片手に透瑠の部屋を訪れた純は、その顔を見るなり呆れた表情を浮かべた。

 半分くらいは心配も混じっているらしい親友の表情にとてつもない懐かしさを感じ、身体から抜けかけていた魂が戻ってきたような安堵感で、透瑠は微笑みを返した。



「あー、起きんでええ」


 傍らで点滴を取り換えていた看護師が部屋を出るのを見計らってベッド脇に腰かけ、起き上がろうとする透瑠を制止した。そしてすぐさま手に持っていた袋から、預かってきた差し入れを取り出し、サイドテーブルに並べていく。

 それはいずれも栄養ドリンク。それぞれ考えに考えて選んだのだろう、すべて効能は違うものの、どれも今の透瑠には必要なようだ。

 線も細いが食も細い透瑠のこと、手っ取り早く且つ抵抗無く体に栄養を取り入れるにはこれが一番だと思ったのだろう。



「誰が何を選んだんか一目瞭然やろ?」


 にやりと微笑む髭面。見慣れた髪とこめかみから顎までのラインは、染め直されたようで真っ黄色だ。

 出会った頃はあんなに可愛らしかったのにと、髭がそれほど生えなくて悩んでいた頃の親友を思い出す。今ではなんともむさ苦しいなと透瑠はまたクスリと笑った。



「しっかし自宅に看護師付きで療養とはなぁ。ボンボンめ」

透瑠
「ボンボンって。まぁボンボンですよー、ふふっ」


「…ったく……」


 今にも儚く消えてしまいそうなほど艶を失った銀色の髪、その枕元にはこれでもかとピアノのスコアが詰まれている。いったい今どの曲を練習しているのか、まさか全部?と純はまた心配になる。


透瑠
「そんな変な顔しないでよ。今はピアノに向かってる時が一番落ち着くんだから」


「…寂しいんやったら戻ってきたらええやん。そんだけピアノ弾けんねやったらライヴくらいイケるやろ」

透瑠
「そうだねぇ…でも、どっちも中途半端は良くないじゃない?」


「……」


 思っていたよりも真面目な答えが返ってきて面食らう。



「最終選考、いつ?」

透瑠
「まぁ近々?でも課題曲は完成してるから余裕だよ」


「そうか…」

透瑠
「あ、みんなで見に来るとかダメだよ絶対」


「え、なんで?」

透瑠
「ダメだから」


「理由になってへんし、俺らかて見たいし」

透瑠
「透瑠くんのカッコイイ所は、いずれ見せてあげるから我慢しなさいよってこと」


「あー…あれか、失敗するかもしれへんからか」

透瑠
「失敗なんかしないよ天才だもん。でも評価するのは赤の他人だからねー。落とされでもしたらカッコ悪い。ふはっ」


「せやなー…勝負の世界は何があるかわからんからなぁ」

透瑠
「そうそう」


「誰も応援しに行ったらあかんの?」

透瑠
「あかんねぇ」


「ふうん…あ。そういえば」

透瑠
「なに?」


「翔と一舞がええ感じやねん」

透瑠
「えー何そのいらない報告」


「元気でたやろ?」

透瑠
「うん。闘志燃えた」


「どこに闘志燃やしとんねんアホか」

透瑠
「純には言った事あるでしょ?翔にだけは勝ちたいんだよ。いろんな意味で」


「まぁ知っとるけども。一舞を巻きこんだらあかんやん」

透瑠
「仕方ないよ。そういう感じになっちゃったんだから」


「ほんま解らん奴やなぁ…」

透瑠
「あーなんか元気出てきた!早くピアノ弾きたい!」


「そーですか…ま、どうでもええけどこのドリンク、いっぺんにキメたらあかんで」


 ベッドに横たわったまま手足をばたつかせ、早くいつもの生活に戻りたいと駄々をこねる透瑠に、純はまた違う心配事が芽生えて溜息を吐いた。




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