進化6




 日が傾き始めて、蓮ちゃんの体が離れる。

 夕日に照らされた彼の顔は、もう泣きそうな顔ではなくなっていて。その目は、ブレることも潤むこともなくあたしを見た。

 あまりにも真っ直ぐ見つめられるから、あたしの方がキョドっちゃうくらいだ。


(!)


 堪らずあたしが目を逸らした一瞬の隙に、頬に当たる、柔らかな感触…。



「…しょうがないから…コレで勘弁してやる」

一舞
「………ツンデレ?」


「…うるさい」

一舞
「……」

(…照れ隠しですかね?)


 不意打ちでホッペにチューとか、あたしが知る蓮ちゃんのキャラには合わないんですけど。…なんて。

 …そりゃあ…いくらなんでも、そんな簡単にいつも通りになんていかないことくらい、あたしにだってわかる。

 だからこれは、彼からの助け舟なのだろうと理解した。




「…先に戻っていろ」

一舞
「…うん」


 蓮ちゃんに促されるまま、1人で別荘に戻る。

 こんな雰囲気は今だけ。

 次に顔を合わせるときは、いつものあたしたちに戻らなきゃ。

 彼もきっと、そうしてくれるはずだから…。



……………


………







 ひとり戻ってきたリビングには誰も居なくて、その広々とした空間にポツンと立つ。


一舞
「…………」


 なんだか寂しいような、虚しいような気分になりながら、部屋を見渡し…テラスの、開け放たれた窓を閉めて…次の行動を迷った。そしてなんとなく、地下のスタジオに足が向いて…短い階段を下りたところにある防音扉を開く。





 聞こえてきたのは、聴き慣れないピアノの音…。

 中を覗くと、涼ちゃんがピアノを弾いている。


一舞
「……」

(わぁ…)



 鍵盤に向かう真剣な姿。

 付き合っていたときには聴かせてもらえなかった演奏。

 ジワジワと湧き上がる感動を抑えて、邪魔にならないように卓の前の回転椅子に座り、その姿を見守った。



 初めて聴く涼ちゃんのピアノ…透瑠くんのそれとはまた違う。

 力強くて、重なった音の響きが、より耳を刺激する旋律。

 彼は《下手くそ》とか言ってたけどとんでもない…。


一舞
「……」

(凄いな……)


 これが、英才教育を受けて育った彼の実力なのだろうか。

 だとしたら、その腕がありながらピアノを辞めてしまった事実が、他人であるあたしには酷く勿体ない事のように思えてならなかった。





……………



………










「!」

一舞
「あ」


 ピアノの音が止み、涼ちゃんがあたしの存在に気付いた。

 苦笑いをこぼしながらこちらへ向かって歩み寄る。



「…なんだ…居るなら言えよ」

一舞
「へへ…盗み聴きだよん」


「…ダメだよ。俺のピアノは美樹に聴かせるためのもんなんだから」

一舞
「…美樹ちゃん?」


「そ。…約束してんだ。一舞とゴタゴタした時に迷惑かけたから…」

一舞
「あぁ…」


「でもなかなか感が取り戻せなくてさ。ふっ、ちょっと苦戦してた」

一舞
「そうなの?凄かったよ?」


「そうか?」


 やっと涼ちゃんが笑ってくれて、少しホッとしながら、あたしの側に座る涼ちゃんと軽く微笑み合った。







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