覚醒2



―――――――side 翔


(…すっかり夜だな)


 講義は早く終わったけど、ゆうべの事もあって家には足が向かず。なんとなく街を彷徨いてみたけど、暇を持て余して結局は自宅に戻ってしまった…。

 とにかく今の状況では浅葱家にも行けないし、純は店のことでいっぱいいっぱいだし…とどのつまりは行くところが無かったりする。

 昔の俺ならこんな時、転がり込める女の家とか、都合のいい場所くらいはあったんだろうが…生憎、今はそういう存在すら無い。


 時刻は夜の10時。

 玄関の鍵を開け、家に入ると、そのままいつも通りにリビングへ向かう。



「はぁ…」


 ソファーに腰を下ろすとため息が出た。



「…」


(静かだな………そりゃそうか)


 ここ最近じゃ珍しく何も用意されていないキッチン。一舞の姿が無い空間。



「…さすがに嫌われたよな」



 誰かからの好感度を気にするなんて、いったい何時振りなんだろうか。なんだか自分が情けなく思えてくる。


(…アイツちゃんと眠れたのかな)


 不意に、昨日の泣き顔が脳裏に浮かんで胸が軋む。


(あの涙の意味は、どれなんだ?)


 涼を突き飛ばしたことにショックを受けているのか、それともこれまでのストレスなのか。本人じゃないから判断しようもないが、何かのキッカケでまた、あんな姿を見ることになるかもしれないと思ったら…切ない。

 何気なく視線を動かした先のキッチン。帰るといつも、元気な笑顔がそこにあった。それがどんなに俺を癒してくれていたのか…居ないと思うと、寂しい。



(俺ん家って…広かったんだな…)



「………」



    ガタッ!







 どうも落ち着かなくてソファーから立ち上がる。

 上りかけた階段の分岐点でふと立ち止まり、何気なく方向転換して香澄の部屋へ。暗い室内に、人の気配は無かった。



「…やっぱり帰ったのか」



 独り言を言っている自分が滑稽に思えてくる。なんだか酷い寂しさが襲ってきて…香澄の部屋の扉を閉め、今度こそ自分の部屋へ…。

 部屋の灯りも点けず、何も無い床に荷物を放り投げたその時。




「………」



(…?)



 いつもとは少し部屋の空気が違う気がして、暗闇に慣れた目であたりを見回した。





 灯りを点けなくても躓くような物など無い自分の部屋。ぐるりと見回したその部屋の、隅に置かれたベッド。その足下に…不自然に影が出来ていることに気づく。



「……?」


 ゆっくり近づいて目を凝らすと…







(!!)




「…一舞?」



 暗闇の中、月明かりに照らされ、目に映る赤髪。一舞だ。


(…!?)



 途端に、胸が締め付けられるような強い安心感が湧いてきて、床に崩れるように膝をついた。





 眠る一舞の目の前に跪くような形で、その寝顔と向かい合う。


一舞
「……」


「………一…舞?」


 すーすーと安らかに聞こえる寝息。穏やかな顔。


(もう、瞼の腫れは治まったみたいだな…)


 そっと手を伸ばして頬に触れる。

 ゆうべは大粒の涙を湛えていた長いまつげ。マスカラの付いていないそのままの柔らかな感触。瞼や頬の細やかな肌の感触。こんなに何度も指で触れているのに、まったく目を覚ます気配も無い。

 安心しきって眠る顔に触れながら、じわじわと湧いてくる感覚に気が付いた。


(……あぁ、そうか…俺…)


(つーか一舞は化粧しないほうが綺麗だな)


 起きない一舞をどうしたものか考えながら、今度はそっと髪を撫でる。


一舞
「…ん……」


「……!」


(…起きたか?)


 自分の行動は傍から見るとたぶんよろしくないんだろうなとか、気づいてはいたが、触れずにはいられない愛らしさ。きっと触りすぎたんだろう。起こすつもりはなかったんだが起きてしまった。

 瞼を閉じたまま頭を起こし、ゆっくり目を開けて俺の姿を確認する…その一挙一動さえ俺の頬を緩ませる。


一舞
「……」


「…起きた?」

一舞
「……ん…あ?…翔?」


「あぁ」

一舞
「……お帰り…さん」


「…ただいま」


 寝ぼけながらもにっこり微笑む一舞を見て、俺もつられて笑った。



「…ずっとここに居たのか?」

一舞
「あぁ…うん」


(そういえばいったい何時から居たんだ…?当然、こんな時間だし帰ったと思ってたのに)



「…ごめんな…帰り遅くて」

一舞
「ううん…大丈夫〜」


 まだ寝ぼけているのかむにゃむにゃと目をこする姿に、こんなことなら早く帰ってくれば良かったと今更後悔する。



「…飯は?」

一舞
「……あ〜…う〜んと」


「……食ってないな」

一舞
「…あはっ」


「まさか…一日中何も食ってないとか言わないよな?」

一舞
「…」


「……」

(仕方ねーな…今夜は俺が作るか…)






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