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イデア



 人間って、死ぬために生きている。それが私の結論付けた答えである。
 これはそんなに的外れではない考えだと思っている。だって本当に人類皆等しく最後は必ず死んで終わる生き物だから。死ぬことがわかっているからより良い人生にしようと躍起になるものだし、死ぬ間際になってようやくもっとこうすればよかっただなんて後悔にも襲われるくらい。
 じゃあみんながみんなそう思って、考えながら毎日を生きているのかと言えば、当然そうではない。知っている筈なのにそんなこといつ来るかもわからない遠い未来のように思い込んで、無駄で無意味な時間ばかり繰り返して。中身のない一日を無為に過ごしているのに、きっかけもなければそんな自分を顧みて正すこともなく、何かがあった時だけ我が身可愛さに喚き散らして。

 でもダンデ君だけは違った。大好きで、愛してやまないダンデ君は、そういう頭の空っぽな大衆とは明らかに一線を画す人間だった。たったの十歳の折、私のまだまだしっかりと作り上げられていない未熟な頭にがつんとその強烈な輝きを叩きつけてきた、世界で一番偉大で栄光あるダンデ君。私達をみぃんな地べたに這いつくばらせて、頂に上り詰めた本当の神様。生きる理由をちゃんと持って、そのために生きて、私に生きる理由をくれた。
 ただのジムチャレンジ同期として終わりたくなかったから、ダンデ君がチャンピオンになって以降まとわりついたせいか、ありがたくも友人の一人に今も置いてもらっている。と、思っている。メッセージのやり取りはするし時々外でも会うから、そうなのだと思う。別に友人でなくともよかったのが本当のところで、兎にも角にもダンデ君の近くにいれたのならそれだけで良かったのだ。あの目を潰さんばかりの輝きを、間近で見られるのならば。

『ダンデ君。私はダンデ君が大好きです。あの初めて出会った日、初めてバトルをした日、あの日からダンデ君だけが私の全てでした』

 体に纏わりつく風が冷たくて、なんだか酷く心地良かった。特に体が熱いわけでもないのだが、多分、この場所が初めてダンデ君と出会った地であるから。ワイルドエリアの片隅。崖の近くに生える木からきのみを取りたくて近寄ったら、鈍臭いせいで足を滑らせて危うく落っこちそうになった時。落ちかけた私を、偶然通りがかったダンデ君が引っ張り上げて救い上げてくれた所。

『ダンデ君がチャンピオンになって本当に嬉しかったです。あの瞬間は今でも鮮明に思い出せてしまいます。花火の咲く大きな音と火薬の匂い。心が躍るような軽快な音楽。満開の笑顔の、真ん中のダンデ君。瞼に焼き付いた輝きを今まで大事にしてきました。本当にとても感動した。あれから誰にも負けることのないダンデ君を応援してきました。信じてきました。ダンデ君が誰かに負ける筈がないんだから。それを覆ることのない普遍的なことで、世界の掟のように思っていた程です』

 きのみの生る木を背にして、ひたすらに思いを綴った。文字にするだけで愛しさが募り、特に誰かへ見せたいわけでもないのに指だけはどんどん動く。薄い画面であっても、栄光と共に生きるダンデ君と繋いでくれる大事な物だった。これを綴り終えたらその役目を終えてしまうけれど。だって、もう必要ないから。
 人は生きる理由がなくても生きていける。生活に必要な条件さえ揃っていれば明日の心配もせずに漫然と。
 息をするだけなら至極簡単で、この星は生き物が生きるのには最適な環境であるし、医療技術が進歩した現代であれば早々に病で命を落とす確率も低い。しかしどうしたって人はいつ死ぬかはわからない。最後には死んで終わるのに、その最後がいつ訪れるのかまでは誰もわからない。だからそれを理解していれば幸福な毎日を心掛けられるけれど、数多の人間はそうではない。特にダンデ君に集っていた羽虫達。ダンデ君の零した甘い蜜を啜るだけ啜ったアイツ等は、生きる目的をろくに持ってもいない低俗な輩だった。
 でも、私は違う。私には生きる理由があった。ダンデ君と出会ったお陰で希望と共に生きて来られた。ダンデ君こそが、私の世界で唯一の美しい光で、その綺麗で煌々しい輝きを見られるだけで、それだけで、良かった。
 要は、満足してしまったのだ、私は。自分の人生に満足してしまった。もう後悔も何もない、ここが終着点と見定めてしまっただけの。

『ダンデ君が活躍する度に私の心は満たされました。私の功績でもなんでもないのに、他の誰でもない世界で一番大好きで尊敬するダンデ君が讃えられると、まるで自分の事のように嬉しくなって、誇らしくなって。大衆は時に優しく、時に辛辣な態度を見せましたが、それでもダンデ君を英雄と讃えることだけは私も嬉しかった。だって本当に、ダンデ君は英雄だったから』

 瞼を閉じなくても、すぐに思い出せる。きらきらと眩しく瞼に張り付いた光景の全てを。苛烈でありながら人の心をわくわくとさせるバトル。渦中にいる真剣な顔のダンデ君。全力を出して相手を下す圧倒的な力。正に王者として長年ガラルに、私達の前に君臨し続けた偉大で神々しい存在。
 けれどここ数年は私の前だと、ほんの少しだけ顔に乗せる色を変えるから、心底不思議でならなかった。どうしてそんな、困惑するような、苦しそうな色を見せるのだろう。ダンデ君は誇り高いチャンピオンで、英雄で、いついかなる時でもそうであらねばならないのに。
 そのダンデ君とのメッセージのやり取りは数日前を境に途切れている。というよりも、私が無視していると言うのが正しかった。話があるんだ、そう送られてきたそれを見ただけで返事もせず、電話が掛かってきても、いつもだったなら嬉々として応答したのに見向きもしなかった。ごめんなさい、だけどどうか許して欲しい。私も、色々と現実を認知することに忙しかったの。

 だって、ダンデ君が、私の大事な神様が、ころされちゃったから。

『あの試合の結果を、ダンデ君が誰よりも受け入れていることはようくわかりました。だから、私も時間を掛けましたがようやく受け留めました。取り込んで、噛み砕いて、飲み下して、腹の奥深くに納めたら、驚く程すんなりと、自ずと答えが出ました』

 神様が神様でなくなった。神様を殺した罪深き子供が、あの日から英雄の冠を戴いてダンデ君のガラルに堂々と君臨する。ダンデ君のものだった地にやって来たあの子供が、きっともう誰かの神様になったことだろう。
 あの子供もいつかは殺されてしまうのだろうか。神殺しの大罪を背負うであろう、その罪の重さもまだ知らぬような新たな無知なる人間に。

『大好きでした。ダンデ君がいたから生きてこられた。ダンデ君だけが生きる理由だった。だから私は、ダンデ君が眠る地まで歩いていきます。たったの一人ぼっちで眠りに就くだなんて可哀想だもの』

 私の神様が眠りに就いた場所に、私もこれから行くから。だから安心してね、一人きりは寂しいもの、私が手を握って、抱き締めて、温めてあげるから。
 命の終着には未練が付き纏うという。そういうのってはっきりと終わりが見えるようになったらようやく頭に浮かぶらしい。でも、私にはそんなのなぁんにもないの。だって生きる理由が常に目の前にあったのだし、これからそれにまた会いに行くのだから。満足のいった人生で、終着の先もわかっているのだから、何を困ることがあるのだろう。

「ナマエ!」

 後ろのほうかな、名前を呼ばれたのだが、誰だ。ダンデ君のようにも聞こえるし、ダンデ君のようにも聞こえない。即座に回答を導き出せず疑わしいということは、これはダンデ君の声ではないのだ。だって、私がダンデ君をわからないわけがないもの。
 送信ボタンを押さないまま、薄っぺらい、でも私とダンデ君を確かに繋いでくれたそれを胸の前で握り締めて、木から背を離した。送らなくてもいいんだ。送る相手は先に眠ってしまったから。終着に行く前くらいは思い出に浸ってもいいだろうとこうしていただけ。
 そこからはあっという間の作業だ。早く会いたいって強く願いながら、気を逸らせたまま駆け出すだけ。あそこを飛び越えたら、ダンデ君にやっと、もう一度会える。私がダンデ君と一緒に眠る場所がすぐそこに横たわって待っている。

「お願いだからやめてくれ!」

 さっきからうるさいの。あんなにたくさんの人の笑顔に囲まれてきたのに今や一人きりのダンデ君があんまりにも可哀想だから、早く会って抱き締めてあげたいの。私のかみさま。

「俺は……、おれはただ、きみと普通の、友達になりたかったんだ!」

 だから、もう喧しく叫ばないで。


20210212