- ナノ -


コズミック・パルス-2



 結局、森を抜けて街中に戻れた頃にはすっかりと陽が落ちて、世界はとっくに夜色に染まっている。やっとのこと開けた場所にようやく出ると、ナマエは珍しくもくたびれた面持ちで俺を見上げた。こんな疲れてくたびれた姿なんて、出会ってから初めて見た。

「……ミスター・ダンデ、それで、スーパーはどこに」
「腹減ってないか?」
「は?…………かも、しれないが」
「飯、先に食べに行こう」

 怪訝そうに眉の形が動く。急な目的地の変更が受け入れにくいらしい。

「物資の調達のためにここまで歩いてきたのだろう。ならば、それは最優先事項。早々に目的を果たすべきだ」
「でも疲れてるだろ?夕飯時は少し過ぎてしまっているし、俺だって腹が減った。腹を満たすことだって優先事項さ」

 ペラペラとそんなことを口にしたが、普段はそれを言われる側であることは伏せておく。食事よりも優先すべき事柄は本当に数えきれないくらいにあり、腹を満たせるなら手段も中身もなんだってかまわない。だけどどうしてだろう。ナマエを前にしていると、素直に同じようにしようとは、なんだか言い難くて。

「なら、目的地を設定してくれ。今度は私がナビしよう」
「歩きながら探しても」
「時間のロスを許容すると?貴方がそこまで非効率な人間であったとは」
「……多分街中にうまいステーキ屋があったと思う」
「了解した。探索を開始する」

 自前の端末でテキパキと店の探索とルートを確認したナマエが、「こっちだ」とそそくさと俺の前を歩きだしてしまう。疲れなど隠してすたすたと歩くものだから、置いて行かれないよう必死に着いて行かなくてはならなくて、けれどその真っ直ぐ伸びているのに薄っぺらい背中を追うことは、別に悪い居心地でもなかった。



 辿り着いた目的の店でテーブルを挟んで座り、そのせいでメニューを眉を顰めながら眺めているナマエの眉間の皺がみるみると深くなっていくのもしっかりと見て取れた。

「……理解不能」
「今度はどうした?」
「固形物しかない」
「そりゃそうだろうな」
「非効率だ」
「まぁ、噛むのも煩わしい時もあるという意見なら賛同できる」
「そうではないのだが」

 AIが算出した必要栄養素で仕上がったペーストしか食べたことがないナマエには不思議な光景に見えてしまうのだろうな。俺の家に匿うようになってからだって食事はさせているが、健康補助食品に分類される栄養バーだったりゼリーだったり、俺に合わせた食事を普段はしているものだから、こうしたしっかりとした固形の食べ物を食べさせるのは実は初めてなのだ。その上、周囲のテーブルは家族や友人同士など、何らかのコミュニティーに当て嵌る人たちで埋まっているので、余計に頭を難解なもので一杯にしているに違いなかった。
 何を選べばわからないとのたまうから、金額のことは一先ず考えないでとりあえず勘でもなんでもいいから選んでみろと返せば、勘と言うものもよくわからないと眉を少し下げたので笑ってしまいそうなのをメニューを立てることで隠す。たっぷりとうんうん悩み抜いた後、本当に何が何だか想像もつかないままにメニューを選んでしまって、余計に笑いそうになる。それ、多分この店で一番分厚いヤツ。
 そわそわと落ち着かない様子で、キョロキョロと目だけで忙しなく店内を観察するナマエの目の前に、やがて案の定分厚くて見るからにジューシーなステーキが登場し、器がテーブルにぶつかるいい音を立てて置かれ、ギョッとして目を見開くナマエにとうとう笑いを堪えることができなくなってしまった。

「……っく、……くふっ……!」
「……ミスター・ダンデ!これがどういった物なのかわかっていて黙っていただろう!」
「こら!あんまり大きな声で名前を呼ぶな!」
「〜〜〜、全く意地が悪いな貴方は!」
「ごめんごめん、ほら、俺のと交換しよう」

 この事態を見越してナマエと比べれば大分薄い、標準サイズにしてある。笑いを堪え切れないまま交換してやると、まだ不満顔ではいたが、生まれ育って環境的にも恐らく文句を延々と言い続けられるような熱量を初めから持ち併せていないナマエが、少しずつ大人しくなっていく。だけどどうやって食べればいいのかわからないようだったので、先にナイフとフォークを持って切り分け始めて頬張ると、じっとそれを見つめた後に全く同じように倣いだした。
 恐る恐る。その表現がぴったりだった。一口分を切り分けるのにも苦戦して、慣れない手つきでナイフとフォークと戦った後、ようやく不格好な一切れが生まれる。また恐る恐るそれを口の前まで運び、数秒睨むように見つめ、意を決したように口の中へと入れる。
 数回ゆっくりと噛めば、パッと顔色が明るく咲いた。

「美味いだろう?」
「……?」

 美味い、不味いも知らないナマエはもごもごと噛むのに一生懸命なせいで、俺の言葉には何も返してこなかったけれど、いそいそとまた切り分けだしたから、生まれて初めてのステーキはよっぽどお気に召したようだった。



「貴方達は、やっぱり不可思議だ」

 あっという間に器を空けたナマエが、何もなくなったそこを見下ろして、ポツリと呟いた。

「どうしてこんな、時間のかかるものを食べる。人間に必要なのは体を生かすための栄養だ。食事ではない。ましてや、こんな」
「栄養だけで済めば俺も楽なんだが、生憎味気ないものを多くの人間は好まないんだ」
「貴方だって普段はこういう食事をしないのに」
「俺にはやらねばならないことがたくさんあるから。食べる時間も惜しむ程に。でも休みの日に、ポケモン達とキャンプをしてカレーを食べる時や、大事な人と一緒に食べる時なら、ちゃんとした物を食べるさ。味にはこだわらないけど」
「……」

 わからない、と書かれる沈んだ顔に、俺も大概偉そうなことは言えないが、なんとなく、少しだけ、周囲がナマエに対して俺がそうしているように窘めてくる気持ちが、わかったような気がした。


  ◇◇


「ナマエ、今日の俺のバトルを観に来ないか」

 未だに救難信号を拾ってもらえないナマエは、あの共に外で食事をした日から、どこか落ち着かない様子を見せるようになっていた。自分の星に帰りたいと焦っている風には見えない。それはほんの些細なことかもしれないけれど、ナマエの胸に何かを落としたからなのだろう。だから、今ならバトルを観てくれるかもしれないと思い至り、あれからナマエが部屋に籠るようになってしまっことも相俟って、外に連れ出したいという算段でもあった。

「行かない」
「一度でいい。一度でいいんだ」
「私は、行かない」

 扉を挟んだ向こうから届くのは、固い声音だった。でもそれは、俺の前に現れた時のような、うまく調声された機械が話しているような、温度も感じさせない無機質さではなくて。なんとなく、膝を抱えてベッドに座りこんでいるのではないかなんて、そんな想像を抱かせた。

「……チケット、リビングのテーブルに置いておくから。気が向いたら来てくれ。時間と場所は記載されている。ナマエならスタジアムまでの道もわかるだろう」

 来るだろうか。俺にはまだわからない。来てくれればいいとは思うが、無理強いはしたくない。ナマエの生まれ育った星を否定はしたいわけではないから、そこまではしたくない。
 でもどうか、少しでいいから、ポケモンに愛着を抱いて欲しい。彼等がしっかりと命を持った、生きている存在であると、俺達と同じように意志があることを、どうか。


  ◇◇


 父を尊敬している。世界一、いや、銀河一。政府の高官たる父は私に様々なことを享受してくれた。それは最早、啓蒙とも呼べたのかもしれない。
 私の星は広大な宇宙においては比較的早い段階で先進技術を手に入れ、逸早く星の海へと漕ぎだした。資源が枯渇しているわけでもないから移住と開拓の為ではないが、それは単に“可能だから”という理由であったのだろう。そして、より良い環境を作る為。それを推進しているのが、私の父である。
 星の海を何度も渡った経験を持つ父の口から語られる話は、誰と話すよりも私の記憶に深く深く刻みこまれた。そして父が言うのだ。お前も後々、自分のようになるのだ、と。
 だから、見聞を広める為に、私は艦に乗ったのだ。目的は最も近い同盟を結んでいる星へ降り立つこと。異星の環境や生活を知り、知見を深める。そこは私の星と似たような環境が広がるらしく、二足歩行の人類も存在する。身体的特徴に私達とは小さいが差異があり、生活様式も同様ではあるが、一番初めに星の海を渡って降り立つには最適ではあった。
 けれど、どういう訳か艦にトラブルが発生し、搭乗者が脱出ポットに乗せられ、最も近い距離に位置するステーションへワープする予定であった。それがどうして、全く掠りもしない星系の、遠い星へと私だけが落ちてしまったのか。
 この星はあまりにも理解に及ばないもので溢れ返っていて、更に私を困惑へと陥れた。人種も言語も異なる人間同士が破滅的なトラブルを起こすことなく一つの街を行き交い、或いは定住し、営みを育んでいる。私にとっては権威の象徴たるポケモンも人間の隣を歩き、彼等はそれを平然とした顔で互いに受け入れている。愛玩用と見られる個体や労働の補助のための個体などと、有り様は様々ではあったものの、私の常識から見れば何もかもが有り得ないことばかりで。

「……」

 ――ミスター・ダンデが玄関から出て行った音がした。彼は自らの役目を果たすために、いつも通り外へ向かったのである。ポケモンバトルをするという、彼の役目のために。
 膝を抱えていた手を自由にし、そっとベッドから降りる。ポケモンも人間もいなくなったこの家の中は、ようやく私がホッと一息つける空間になったから、こうして与えて貰った部屋の中から出ていくことが叶うのだ。
 リビングへと向かえば、はたしてミスター・ダンデの言い残した通り、一枚の紙が置かれていた。彼がこれから行うポケモンバトルの、観戦チケットである。大きなスタジアムに大勢の人間を収容し、そのど真ん中でポケモンバトルをするらしい。コロシアムかと問えば、そうではないと首を振られたことは記憶に新しい。そんな殺伐としたものではなく、エンターテイメントであると、彼は弱く笑った。
 私は、何故彼が堂々と笑わなかったのか知ることはできない。この星の人間は、顔にも言葉にも感情を露わにし過ぎている。ミスター・ダンデも一概にそうであると言い切るには、彼の被る見えない仮面があるせいで難しいが、少なくとも何かしらの引っ掛かりを抱えていることだけはわかった。それしか、私にはわからない。感情を露わにする知的生命体と生まれてこの方交流がない私には、どうにも困難である。

「……」

 端末を翳し、チケットに記載された文字を翻訳して読み取る。日時、場所。そんなのを読み取ったところでどうもしないのに。最近、私の中に無駄が生まれているような気がしてならない。しかしそれに対する理由を、自分の中ではどうしても見つけられない。
 異星の生命体と交流を持つことは良いことである。新たな知見が刺激となり、我々により良い生活をもたらすであろう。父の考えで、延いては私の星に住まう人間の考え。けれど、その刺激を与えられてより良い生活を生み出すのはあくまで政府に属する人間であって、最終的にはそういう技術職に就いている人間であって、その人間がプログラムしたシステムによってである。他の星においては私達の祖先が忌み嫌った芸術的文化を有したまま発展した星もあるし、父を始め星の海を渡った人々はその一端にも触れている。触れた上で星独自の文化を否定はせず、影響など微塵も受けずに自己を保っている。そもそも、私達はそのように出来上がっているのだ。遺伝子研究の賜物により、私達は。
 だから、私は、可笑しいのかもしれない。もしかしたら、一人であることが一番の要因なのかもしれない。長らく自分の星から遠ざかり、私の星が排除した文化に塗れるこの星に一人でいるから。
 同類と分析した筈の彼の言動も頭が痛い。結局のところ、彼もまたこの星に根付く文化の中に生きる人間であるから、内層的な部分まで解析が及ばなかったようだ。それもまた、痛いことで。

 顔を上げれば、棚に置かれたデジタル時計が目に飛び込んだ。その時刻は、今家を出ればバトルの開始時間に間に合う頃である。
 もし、もしも、私がこのチケットを握って観客席に座れば、彼は私を見つけるのであろう。誘った手前私がいるかどうか確認するであろうから、それは簡単にできる推測である。そうして、私を見つければ、彼は笑みを浮かべるのであろう。あの日、二人で外で食事をした時のように、ナイフとフォークに敵意すら抱きながらステーキと言うものを初めて食べている間も、食べ終わっても私を見つめていた時のような、生温い笑みを。
 どうしてそんな笑みを浮かべるのだろう。何を考え、何を思い、何のためにそんな顔をするのだろう。私もあの時は変だった。嫌でも人間とポケモンの波に翻弄されていたせいか、感情を露わにしてしまって、すぐさまそれに気が付いて自分を諫めたものの、あの火のせいで頬が火照るくらい熱気の籠る空間の、個人のみではなく誰かを伴って笑い合いながら食事をしていた人間達がいた空間の、何とも言い表せない時間のことを、ここ数日思い返すことだって増えた。
 わからなかった。あの空間にいた人間達の気持ちも、行動の理由も、全て。

『美味いだろう?』

 そう、優しく問うてきた、意味も。

『我々は優れた種族である。お前は、その誇りある種族の一員であり、ゆくゆくはその種族を束ね、指導していかねばならない。悪しき歴史を忘れず、鑑み、我々の行く末を決めねばならない。過ちは、決して繰り返してはならない』

 父は偉大だ。優れた種族たる私達の最高層に生きて仕事をしている。過ちを良しとせず、立派で、模範的で、尊敬に値する大いなる存在。私にその継承を望んでくれて、目を掛けてくれて、行く道を教えてくれる父。
 父が今の私を見たら、どう思うだろうか。父が私についてどう思っているかなんてこと、そもそもこの星に来るまで一度も思いついたこともなかったのに、何故、私は私のことをこんなにも考えて――いや、恐れているのだろう。


20201215