短編
- ナノ -


 そんな君が好き


「これスタッフが借してくれたから、観ようぜ」
「え、何?映画?」
「らしい。去年ヒットしたやつだって。俺は知らなかったけど」
「私も覚えがないなぁ。ジャンルは?怖いのはやだよ」
「ミステリーらしい」

 ダンデが手にするのは暗めのテイストのパッケージで、確かにミステリーと言われたらそれっぽく見えなくもない。ホラーは苦手だから一瞬抵抗を覚えたけれど、それならまぁいいだろうと、二つ返事で「いいよ」と答えた。
 そう。答えてしまったのだ。そう前置きしたからにはありったけの後悔をすることになったわけである。

「え、まってまってまって」
「お、頭飛んだ」
「言わないで!!」

 冒頭は確かにミステリー要素の詰まった流れだったのに、何故か途中から一気にきな臭くなってきて、今は目の前で被害者の頭がそりゃもうとんでもないことになった。テーブルの上に置いたパッケージを慌てて引き寄せて裏を見てみると、煽り文句がミステリー×ホラー、となっている。きっ、とダンデを横から睨むが、ダンデは素知らぬ顔で私が用意したポップコーンを余裕そうに頬張っている。

「俺はミステリーだって聞いていたからちゃんとそう答えたぜ」
「平気な顔でポップコーン食べれるの神経疑う」
「それは偏見だって。ほら、どんどんストーリーが進んでしまってるぞ。さっきそこの廊下の床の下から……」
「だから言わないでってば!」

 信じられないってむきになろうとダンデは全く堪えた様子もない。平然とソファの上でくつろいでポップコーンをもしゃもしゃしている。私がホラー苦手って前に言ったのを覚えている筈なのに、これは絶対こちらの反応を面白がっている。時たまダンデは何もかもわかった上でこうして私の反応を楽しむ節があるので中々厄介なのだ。

「シャワー浴びてくる!」
「おいおい、最後まで一緒に観ようぜ」
「見てらんないよこんなの!夜眠れなくなる!シャワーも一人じゃ怖くなるし!」
「寝るまで一緒にいてやるから。それに俺一人だと寂しいぜ」
「うそつけ……」

 眉を下げるわざとらしい困り顔に怒りも沸いてきたが、ぽんぽんと自分の膝を、まるでここに座れと言うように叩くのでちょっと迷いが生じてきてしまった。私はあそこの座り心地を十二分に知っているからだ。あまりに魅力的なスペースにぐっと喉を詰まらせると、ダンデはにまりと口角を上げた。確信犯らしい。

「……今回だけだからね」
「わかったから」
「絶対寝るまで一緒にいてね」
「もちろん」

 渋々という顔を忘れずに作ってから、私が座りやすいように腕を広げて待ち構えるダンデの足の間に入って、そっと背中を倒せば途端に広がる心地良い温かみ。力が抜かれている筋肉の程良い柔らかさ。ダンデの太くて血管の盛り上がる腕が二本後ろから私を軽く抱き締めると、ふわりと香るダンデの匂いに包まれる。知らずほっとしている自分がいて慌ててだらんとした気をなんとか引き締めた。ダンデは子供体温だからくっつくととても暖かくて安心できるから、このポジションは割と好きで気を抜くと全身でリラックスしてしまいがちなのだ。

「ほら、今の見たか?」
「言わないでいい」
「そうか、集中して観たいんだな」
「やっぱり喋って」
「俺の恋人は気難しいなぁ」

 一々実況してくるのもうざいが、沈黙を続けられると言葉では表したくない状況を映す画面の展開や音が気になってびくついてしまうので、適度に話はしてほしい。むろん実況以外で。苦手なものと相対しているのでそれはもう複雑な心境なのである。

「……うっ」
「凄いな」
「ひっ」
「スプラッタ要素もあるのか。中々詰め込んでるな」
「……っ!」
「断末魔がリアルだな」

 リアルだなって断末魔聞いたことあるのかよって言いたかったが、あまりの恐怖に絶句してそろそろ言葉が出てこなくなってきているのでダンデにストップをかけられない。そうやって私が一々ビビっている間にも映画はクライマックスに向けて怒涛の展開を見せ、次々と人の首や腕があれこれしていく。ミステリーはどこに行ったかと気が遠くなってきた。

「っ……!〜〜〜〜ッ」
「こら、そんなに引っ付かれるとキスしたくなるだろ」

 いっそのことキスして欲しいくらい画面を見たくない。

「……!……っ、……」
「ちょっ……、おい、イリス?」

 目まぐるしい場面展開にそろそろキャパオーバーになりそうで、とりあえず必死に後ろのダンデにしがみついた。大きな音にも一々肩をびくつかせて、ダンデのシャツの胸元を握り締めながら顔を半分埋めて、なるべく画面から目を逸らした。本当に自分はこういう系統が苦手なんだって改めて再確認したものの、なんにも嬉しくはない自己分析である。

「……」
「まだ終わんない……?」

 途中からダンデが口を閉じてしまったせいで余計に画面の音が際立ってしまうので耐えきれずに声を掛けると、むぐ、と何やら呻いたダンデは、「……もすこし」と普段のバカでかい声が嘘のような小さな声で答えた。相当集中して観ているのかもしれない。顔を埋める心臓辺りがどくどくと脈打ってはいるが、本当に肝が座り過ぎだ。
 けれど不意にダンデの腕が私の肩を抱いて、ぎゅって引き寄せてくれた。気を遣わせてしまったのだろう。けれどこの逞しくて何事にも簡単には動じない男の屈強な体はあまりに頼りになるから、嬉々として甘えることにした。若干縋りつくシャツが湿っているのはスプラッタシーンにアドレナリンが沸いているのであろうか。だとしたら私からすればかなりの悪趣味だな。

 それから間もなくして映画は終わり、エンドロールが流れ出してようやくほっと息吐く頃には私も冷や汗で全身びしょびしょになっていて、むわりと香る汗の匂いにそれはダンデも同じようなものだった。ダンデに関しては冷や汗ではないだろうが、どの道お互い汗で濡れてしまっているから、風邪を引く前に流したほうがいいだろう。

「シャワーどうしよ……一人じゃ不安なんだけど……夢にも見そう……」
「一緒に浴びよう」
「う、んっ、えっ」

 一緒に、の時点で既に体が持ち上げられ、まるで担ぐようにされてそのままバスルームに真っすぐ連れていかれてしまった。いいけど、着替えも何にも用意できていないのに。
 あとその、別にいいんだけど、服を脱いだダンデのそれがもう立派に上向いていたから、これでもかと口を引き攣らせてしまった。後半はほとんど目を逸らしていたから自信もないが、ベッドシーンなんかなかった筈なのでどのシーンで感化されたのか知らないけれど、ホラーとスプラッタでこうなってしまえるなんてほんとに大変な趣味の男だな。


  ◇◇


 しかし大変な趣味の男であると度々実感することになるのがそれからである。まるで水を得た魚のように生き生きとしてその後頻繁にホラーとスプラッタ映画を持ち込むようになって、怒りで顔を真っ赤にしながら張り手を食らわして抗議しようと、如何せん屈強な体はびくともしない。抵抗虚しくひょいっとソファの上に抱えられて、強制的に恐怖映画と何度も対峙する羽目になってしまった。

「もうむり……」
「がんばれ、がんばれ」
「楽しんでない?」
「そんなことないぜ?」

 私が恐怖で慄いてシャツを掴むと背後のダンデは声を弾ませる。改めて悪趣味な男なのである。

「ひっ……」
「ほうら、画面をよく見るんだ。ストーリーがわからなくなるだろ?」
「やっぱり楽しんでるでしょ!」
「そんなことないって。……ほら、もっとしがみついていいぞ」

 結局それが狙いらしい。私は見たくもない映画を見せられて最近はダンデがいないとトイレも怖いしダンデの体温がないとろくに眠れもしないのに、この男それを喜んでいる節がある。今もこうして自分にしがみついて震える私を楽しそうに見ている。お前こそ画面を見ろよって顎を鷲掴みしてぐいっと乱暴に画面に向けて動かすが、それすら楽しそうにしてにまにましている。

「あ!目を閉じるな!」
「もうやだよ!」

 最近はこうして私を完全にびびらせた後にバスルームでもベッドでも好きにされてばかりだ。目を潤ませてくっついてきて甘えてくるのが嬉しいし可愛い、などと犯人はのたまっているが、じゃあ誰のせいでこんなことになっているのかと言えばお前のせいだよって。こちとらそんな気全くなかったんだよって主張してみても、楽しそうなダンデは一向にこの拷問を止めようとしはしない。人の嫌なことはするなって頬を抓っても何にも効いていない。

「はは、なんだか楽しいな」

 たのしかないよ、そうむすっとしてまた機嫌を損ねかけたが、その無邪気に笑う顔が存外子供じみていて、この時ばかりはしゅっと怒りがしぼんでいってしまった。だって本当に心底楽しそうにするのだ。やることはやるくせに、こんな、小さな子供同士で戯れるような顔で声を弾ませられると。
 そんなに甘えたことなかったかな……とダンデと一緒にいるようになってからの自分を振り返ってみたが、恥ずかしいからあまりそうしてこなかったから新鮮みもあるのかもしれない。これは偏見かもしれないけれど、ダンデはお兄ちゃんだからか頼られたり甘えられるのが本当は好きなのだ。
 こうやって子供みたいに肩の力を抜いてはしゃげるようになったのも、いい傾向なのかもしれない。チャンピオン戦で負けたときは気丈に振る舞うのに悔しさは隠せていなかったし、どうなるかと思ったけれど、力の抜き方を覚えだした頃合いがたとえ私で遊ぶようなやり方だとしても、今なのだろう。
 前まではこんな顔、簡単にはできなかったから。

「イリス、たった」
「そんなことまで言わなくていい」

 しかし残念なことに、力を抜けるようになったのはいいが、なんだか情緒もへったくれもなくなった気がする。


20210928