短編
- ナノ -


 愛に保証つけて


「イリスに似合うと思ったら、あれもこれもとなって、決められなくなって……」

 そうして眉を下げる、羞恥やらで上背も厚みもある体を縮こせるこの男を、世界で一等愛しいと思った。


  ◇◇


 ダンデと会えたのは久々だった。ダンデの家にお邪魔することもまた。連絡は取り合っていたが直接顔を見られたのも、体温を感じられたのも、匂いも、全部が全部本当に久しぶりだったから、嬉しさやら昂ぶりやら色々と混じって勢いよくダンデに飛びつくと、俺も寂しかった、なんて声を震わせて噛みしめるように言うのだ、私の肩に顔を埋めたダンデが。
 恋人にしてもらっているから、私に心を砕いてくれているとわかっている。けれどダンデの世界にはダンデにしかわからない、ダンデだけの特別がある。ポケモンやバトル。それに付随する情熱や努力。トレーナーではない私を好きになってもらえただけでも僥倖であって、それは大袈裟かもしれない言い方でも、ダンデを見ているとそうとしか思えないのだ。
 たくさんのことを厳選して生きてきたダンデの世界に必要だと、特別であると入れてもらえたことがこの上なく喜びであるから、少しくらい会えない時間があっても平気。でも本当はちょっと嘘。会えないときは寂しくてどうしようもなくて、だから目の先のメディアに手を伸ばしてみたところで、満たされることもなく寧ろ虚しくなるばかりの一人きりの毎日。

「シャワーありがと」
「おかえり。俺も浴びてくる」

 散々メディアで目を騙してきた分、本物の威力はそれはもう凄まじい。五感で感じる愛する男。それに浸るのはどうやら私だけではないと痛感できる喜ばしさ。離れたくはないなと思ってはいたけれど、どうやらダンデは私と同等かそれ以上に思いが強かったらしい。一度抱き締められたら、以降中々離れなくなり、耳元で鼓膜が燃えそうなくらいに想いを囁かれれば体がぐつぐつと煮え滾るようだった。会いたかった、寂しかった、顔が見たかった、声が聞きたかった、触れたかった。好き。愛してる。ありふれた言葉のオンパレードが、好きな人から吹き込まれるときらきらと美しいものに思えるから不思議だ。
 一通り触れ合った後にご飯を食べて、少しだけソファでゆっくりしてからシャワーを浴びる。大体のお決まりの流れで、一番を譲ってもらった私がさっさと身綺麗にしたらダンデと交代。別に一緒に浴びても構わなかったが、きっと二人して気持ちが高ぶっているせいでまともに身綺麗もなれないだろうから、私とてちょっとも離れたくはないし後ろ髪は引かれたが諦めた。

「先にベッドで待っていてくれ」
「うん」

 横を通りざま一つ軽いキスをくれて小さく笑うダンデであるが、その顔には早く早くと、そうした焦燥みたいなものが滲んでいる。特に口にされてはいないが、まぁお決まりの流れであるしそのつもりでいたから私も何も言わない上で了承しているから、素直に頷くだけに留めた。余計な言葉で離れる時間を増やしたくはない。
 ダンデに言われた通りお利口にベッドへ向かった。きっとさっさと戻ってくるだろうから、こちらもそのつもりで今かと待ちわびて。不思議と何週間も直接顔が見られなかった期間よりも、今の方が気も急いているような気もした。手が届く範囲にいるせいか、ダンデのテリトリーの只中に入っていることも相俟って、底なしの貪欲になって落ち着きを失くしているらしい。

「あーあ、脱ぎっぱなし」

 せっかく待とうと思っていたベッドには無機質な先客がおり、でーんと大きく広がったままそこを占拠していた。仕事の服をこんなぞんざいにと思いつつ、らしいなぁと苦笑してしまう。きっと忘れてしまっているのだろう。片してやろうと手に持つと、ふわりと鼻に香ったのはダンデの匂いで、それに嫌でも胸が高鳴ってしまった。微かに感じる汗のにおいもまた。さっきまで抱き締め合ったり寄り添ったりしていくらでも匂いに包まれていたのに、脱いだ服からもわかる匂いに少なからず興奮するのは、我ながら変態臭い。これからもっと匂いに包んでもらえるというのに随分と気が早いものだ。
 このままだと皺になりかねないと名残惜しみつつ、家で気軽に洗濯できるものでもないから消臭スプレーをふりかけてからクローゼットに掛けようと考え、一先ずはスプレーを探す。確かクローゼットの中に置いていたはずだなと思い出してまっすぐそちらに向かって戸を開き、そうしてすぐに違和感に気が付いた。
 何かのペーパーバッグが、いくつもそこに置いてあった。パッと見、一瞬わからなかったが、よくよく見ればロゴがハイブランドばかりである。しかも、ジュエリーの。
 どくどくと心臓の躍動が大きくなったのが嫌でもわかった。ここで浮かんだのは二択。プレゼントするものか、されたものか。しかしブランドがほぼ女物であることから、恐らくは前者だと思われる。そうすれば更に細かく分けて二択にすると、私にか、それとも。さすがにこれだけの数があれば少なからず疑心が生まれるというものだ。

 ここで全部私に、と豪語できない辺りが自分でも途轍もなく寂しい。だって私はこんなにダンデを愛しているが、ダンデは本当はどうなのだろうって、時たま不安になることだってないとは言えないから。私達は日常的にすれ違う時間も多ければ頻繁に会えることもない。大部分が多忙なダンデの都合であるけれど、今日とて顔を合わせられたのは本当に久方ぶりのことで、ほぼ一月ぶりの逢瀬なのだ。
 人の心は薄情だから。些細なことが原因で時々違う方向を向いてしまうことも、いっそのこと向きたくなることもある。保証をつけられない愛は、特に。

「……」

 これ等は、誰に宛てたものなのだろう。中身は一体。誰のかもわからない――いや、今のところはダンデのものであるが、それの中身を許可なく暴くだなんてこと。そう人間性の良性部分で首を振ってみるが、悪性部分はそうとはすんなりと言わない。疑わしい。ダンデが忙しいから中々会えないとわかっている。でもそれって、本当に?会えない間に他の女に現を抜かしやしないか、誘惑されないか。信じていたとしても疑ってしまうのが女の嫌な性分だ。仕事だと言われても私ではバトルタワーのこともリーグのことも、何もわからないのだから。
 きっと私にくれる気なんだと思いたい。けれど、それは果たして百パーセントそうだと言い切れることなの?

「あっ!」

 その時だ。背後からの大きな声に我に返り、同時に肩を跳ねさせてしまった。今の今までとはまた別の意味で心臓をばくばくとさせながら振り返れば、目を見開いた、熱で肌がうっすらと上気させたラフなTシャツ姿のダンデが、寝室の入り口で茫然と突っ立っている。

「そっ、それは」

 そして、明らかに狼狽える様子。目にした途端ほんのちょっとでも指先が冷えたから、全部勘違いであってほしくてこっそりと指先を擦った。

「その……え、と……見つかってしまった、な」
「ごめん、見つけちゃいけなかったかな」
「……そういう、ことじゃ」

 じゃあなんだろう。こんな動揺されては、女の嫌な部分で勘繰ったことが現実になりそうで、それから目を逸らすようにダンデからも目線を外した。
 ダンデはそんな私の様子を知ってか知らずか、ゆっくりと近寄ってきて、隣までやって来て。そうしたら一番自分に近いペーパーバッグを徐に掴むと、私の名を呼ぶ。変にドキドキしながら顔を上げれば、視界に入り込む眉を下げた情けない顔。シャワーに行く前とは打って変わった顔色だ。

「……中、見たか?」
「ううん」
「そうか」

 ダンデがペーパーバッグのシールをはがし、左右に開く。まだ決められなかったから、言えなくて。そう口で下手くそに添えながら。
 そうして中から現れたのは、小さな四角い箱だった。短くも上質そうなベルベット生地に覆われた、私が手にしたままのテールコートと同じ色の。

「え」

 瞬間、頭の中で渦巻いていた、自分では答えの出せないあれやこれやが、現金にも見事に吹き飛んでいった。
 それが何かわからない程無知な女ではなかった。ぽかりと口を開けた後、ダンデを勢いよくもう一度上げる。相変わらず眉を下げて情けないのに、薄っすらと頬を染めるのは、多分湯上りのせいだけではない。
そうして、疑心を抱いてしまった自分を大いに恥じた。
 ぱかりと、ダンデが箱の蓋を丁寧に開けた。現れたのは予想通りにも中央で煌めく指輪。ガラルで知らぬ者はいないであろう高級ジュエリーブランドの、シルバー。

「これだけじゃなくて」

 驚きや嬉しさと恥やらで言葉を失くした私に、ダンデは吹っ切れたように次々とペーパーバッグを開けていく。出てくるのは箱の色が同じだったり別だったりするし、その中身もそれぞれ異なっていた。細身でシンプルな、普段着けていても邪魔にならないようなものから、真ん中に小ぶりながら目を奪われるような美しい宝石のついたものまで。それは定番のダイヤであったり、私の誕生石であったり、ダンデの瞳の色だったり。

「……いくつ用意してあるの、これ」
「もうわからないくらい」

 まるで観念したように、ダンデは目を泳がせながら零した。
 ダンデがベッドに開いた箱を並べきったら、今度はサイドテーブルの引き出し、部屋の隅にある小さなテーブルの引き出しを開けていく。そこから次々と出るわ出るわ。唖然とする私を置いて一度出て行ったと思ったら手にいくつもの四角い箱を抱えるようにして戻ってきて、一つずつ丁寧にベッドの上にまた並べていった。その全てが見紛うことなく指輪で、どれ一つとて同じものはない。どれだけあるのかと人差し指で指しながら数えてみたが、二十個を超えた辺りで止めた。

「どうしたの、これ」
「……決められなく、なって」

 ベッドの傍らに二人して立ち尽くし、これから二人でしようとしていた色事などとんと忘れ、並べた色とりどりの指輪を見下ろしながら声を震わせた。ダンデから返ってきたのは的を得ないような言葉で、けれど、真心に溢れた言葉であると思えて、不意に目の奥が熱くなった。

「イリスに似合うと思ったら、あれもこれもとなって、決められなくなって……」

 ――そうして眉を下げる、羞恥やらで上背も厚みもある体を縮こせるこの男を、世界で一等愛しいと思った。

「これだと思って買っても、後から別の店で見かけたものがいいような気になって、それも買ってしまってもまた別のモノの方がと、終わらなくなってしまったんだ」

 なんで指輪なんか、とここですっ呆けられるような気遣えない女でもまたなかった。見当違いな疑いを持ったことを恥じた自分を一先ず封じて、隣の赤い顔のダンデの手を恭しく取った。ごつごつとした、私の一回り以上ある、栄光を掴み続けてきた男らしい手。
 そんな頼もしい大きな手は、たったの一個だけを、こうして最後まで選べなかったらしい。

「……なかなか、会えない時間も多いだろう。もっと君と過ごすためにはと考え始めたら、いつの間にか指輪探しが終わらなくなってしまったんだ」
「……嬉しい」
「優柔不断だって、幻滅しない?」
「しない。寧ろ、中身見てなかったせいもあるけど、数も数だから他の女に渡すかもとかちょっとでも疑った。ごめん」
「えっ」

 絶句するダンデに、ごめんねって意味を込めて掌を優しくさすった。
 嬉しいのは本当のことだ。それに、私がだけが寂しさや不安を漠然と抱えていたんじゃないって、それがわかったことが、殊更に。

「これ、全部くれるの?」
「……イリスにに渡したくて買ったものだから。さすがに返品はしたくない」
「好きにつけていいの?」
「そうしてもらえると嬉しいよ」

 恐る恐る手近にあったものから拾い、箱に入れたまま真ん中の美しい指輪を眺める。角度を変える度にきらきらと輝くそれを、一個貰えるだけで一生分の幸せだったのに。図々しいけれど、ダンデの想いの分だと考えればこれだけの数も悪い気はしなかった。
 ただし高価なものだけは教えておいてもらわなくては。万が一汚したり傷つけたくはないし、指に嵌めるだけで気後れするようなものは覚悟の上で付けなくてはならない。

「毎日、変えようかな。でも“これ”ってものを見つけてずっと嵌めていたい気もする」
「その日の気分でもいい。全部イリスにのモノだから」
「ダンデが毎日選んでくれる?」
「それもいいな」

 じゃあ早速、と左手をダンデに向けると、真剣な眼差しで並べられた指輪の群れを吟味し始めて、それが可笑しくてつい笑ってしまった。それを咎めることもなく、一個ずつ拾っては眺めて「これも……いややっぱりこっち……」と悩み始めてしまったダンデに、悪戯心で「私のこと好きすぎじゃない?」と冗談めかして言ってしまったら。

「当たり前だろ。だから結婚するんだから」

 そう開き直ったようにぶっきらぼうに、でも頬を染めて指輪を選びながら返されてしまった。またハッとして、そういえば指輪に圧倒されて肝心な言葉を面と向かって貰っていなかったことに気が付いたら、無防備な背中をバシンと叩いた。私だってまだ何も言っていない。
 これだけ想ってもらえていたことに格別の喜びはあるけれど、シチュエーションに拘りを持っているタイプではないけれど、きちんと言葉でも欲しいと思ってしまうのは欲張りではないだろう。


20210729