短編
- ナノ -


 怖いものがなくなった日


 世界が終わる日に何をする?と訊いた答えが予想外で、正直驚きで目をぱちぱちとやってしまった。ベッドに二人で入る前に見た映画の内容で、こうして微睡む途中で不意に思い出して考えなしに口にしたことだったのだが、ダンデの答えには眠気が吹き飛んでいくようだった。

「大切な人とゆっくり過ごすよ」

 らしくない、と思ってしまったのは私にまだまだ理解力がなかったからなのかもしれない。あのダンデのことだからポケモン達と別れを惜しんだり抱き締め合ったりして終わりを迎えるかと思いきや。精魂尽き果てるまでバトル、も想定していた答えの一つなのに。
 大切な人、もまるで心在らずのように復唱すると、ああ、と酷く落ち着いた声音に返された。間近で見るダンデの瞳の両方に私だけが映っているのは、なんだか不思議な気分だった。

「朝日を全身に浴びて、思いっきり背伸びするんだ。ジョギングして、モーニングティーとブレックファストを食べたら読みたかった本を読んだり見たかった映画を見たり」

 指折り数えるダンデは、最後に「君と一緒に」という言葉と笑みで締めくくった。咄嗟に言葉が出てこない。クラッカーの洗礼でも受けたような間抜けな顔をしている自覚が、実のところあったのは確かである。

「なんか変なもの食べた?もしかして生で食べちゃいけないきのみ食べた?」
「おいおい酷いな」

 そう文句を言いつつも変わらず穏やかな笑みだった。目を細めて、柔らかい視線で、向かいで寝転がる私の頬をゆるりと撫でつける。その何もかもが優しさだけで構成されていた。

「イリスが一緒でなければ何も意味がない。大切な人って、もちろん君のことなのだから」
「リザードンとかホップじゃなくて?」
「確かにホップと言葉は交わしておきたいが。それにリザードンは人じゃないだろ」
「でも、大切な存在でしょう」
「もちろん別れは気が済むまで惜しむさ。リザードンだけではなくポケモン達全てと。でも、側にいて離れないで欲しいのはイリスだ」

 頬を撫でていた手が耳まで辿り着いて、そのまま耳に髪を掛けるように梳いて撫でてくれる。抱き締められて好きだ、愛してる、といつも囁きながらする触れ方と同じだった。たまらずその手に自分の手を重ねると、くすりと笑われてしまっても私はまだうまく飲み込んでやれない。

「目につくトレーナーと片っ端からバトルしなくていいの?」
「まぁしたくなるだろうけど。でもイリスは絶対に俺の側にいるんだ」
「ゲットしてないポケモン探さなくていいの?」
「探したいけど、でもイリスと一緒だ」
「……何でもかんでも、私が一緒なの」
「当たり前だろう?」

 当たり前、なのか。ずっとチャンピオンとして生きてきた、ポケモンと共にずっと前だけを向いて生きてきたダンデの、世界が終わる日にやりたいことの中には、私がずっとくっついているのか。しかもおまけじゃなくてメインで。時に私よりポケモンのことを優先してきたダンデの最後の願いが、もしもという仮定の話の中だとしても、それなのか。

「別れを惜しみたい人と別れを一緒に済ませたら、イリスと最後まで寄り添っていたいよ」

 ――ああそうか。ダンデは今、そう思ってくれるように、なっていたのか。
 チャンピオンという肩書が外れたダンデは、世界を眺めるフィルターが切り替わったようだと言った。食べたいものをゆっくり食べて、眠りたいだけ眠って、ポケモンとゆっくりしたいだけゆっくりして。好きなことを好きだと、臆することなく言えるようになれて。チャンピオンのイメージから逸れた発言はご法度だったから口にはできなかったことも山ほどあった。
 こうして夜、私と一緒に穏やかに眠りに就くこともあまりなかった。穏やかな眠りに入るまで二人で触れ合うことは多々あったが、常に明日からのことを考えていた。寝坊も得意だったから、目覚ましとして起こしてやり私の元から離れていくことも率先して手伝ってきた。それがダンデで、チャンピオンという男だった。

「どうしてそんな泣きそうなんだ。……いや、愚問だったな。ごめん」
「嬉し泣きだから。そんな困った顔しないでよ」

 子供の頃信じていた綺麗な恋愛ではなかった、ダンデと一緒にいるということは。自分を押し殺して健気を演じなければ足枷に簡単になってしまうから、行かないで、は絶対に言えなかった。新しい明日は欲しくなかった。ベッドの中で捕まえて二度と離したくなかった。
 でも、もう捕まえていなくても良くなっていたのか。穏やかにベッドで眠れる自由を手に入れたダンデが、世界が終わる日に私を望むと言ってくれたのだから。

「でも一日中ベッドでイリスと耽るのもいいな」
「台無しだよ」

 はは、と可笑しそうに笑うから、私も不格好でも笑い返す。自由になって世界を見つめるフィルターが変化しても情緒のなさは相変わらずだ。自分に素直、とも言い換えられるが、慰めにしても下手くそすぎる。

「……ダンデがいてくれるなら、なんだっていいや、私」
「家族は?」
「家族は大切だよ。友達にも会いたい。でも、全部ダンデが側にいてくれなきゃ」
「同じだな」
「同じだよ。何するにしても、一緒にいたい」

 体の倦怠感が辛くても精一杯背を伸ばして、無防備な唇にキスをした。不意打ちを食らったダンデは目を丸くしたのも束の間、ゆるりと弧を上げて、同じ速度のキスを返してくれた。耳の横にあった手が頭の後ろを撫でて、剥き出しの肩をするりと一撫でする。でもそれ以上の動きはなかった。私がそう思っているように、ダンデもまたベッドの中の睦言だけで終わらせたくはないのだろう。
 ダンデが望んでくれたから、もう明日が要らないなんて言わない。ベッドで繋ぎとめる必要もない。このぬくもりが側にあれば、明日が欲しくても世界が終わろうと怖くはない。


20210614