短編
- ナノ -


 転がり落ちた先


 ただ幸せになりたかっただけなのだ。それだけだったのにどこで何を掛け違えたのか、あのチャンピオンとして威風堂々とガラルの頂点で鬣を靡かせるダンデに目を留められてしまったのは、我ながら一体どこで?と疑問を禁じ得ない。なんで私のことが好きなの?とダンデに訊くと必ず「そんなの愚門だ」と笑っていかに私が魅力的であるかを熱烈にプレゼンしてくれるのだが、自分のことをそんなにヨイショされ過ぎると逆に気持ちが引いてしまうのだった。

 ダンデは素敵な人間だと思う。豪快な性格ながら紳士然としていつも気が利くし、ポケモン馬鹿ではあるけれど少しだけだとしても私に時間を割こうとするし、好きな物を把握してくれているからプレゼントは絶対に私が気に入るものであるし、食事も私が必ず好物があるところばかり決める。
 待ち合わせによく遅刻することが玉に瑕であるが、エスコート力も備えている。そして情熱家らしく毎回欠かさず私に愛を囁いてくる。最早耳タコではあるが。
 気がないのなら食事もプレゼントも断るべきなのであろうが、言葉巧みに受け入れざるを得ない状況にまで追い込まれる、というのが正しい。要らない、会えない、と心をぎゅっと固くして抵抗を口にすると「そうか……残念だ……」と捨てられた子供ポケモンのような顔をするから良心の呵責に苛まれる。厄介で性質の悪い理不尽な男であったならばそんなことにもならないのだが、いかんせんダンデは「良い人」なのであった。雑そうに見えてレディファーストを忘れず、優しさの塊で私にぶつかってくる。長らく華やかながら厳しい社会構造に揉まれてきたせいか、大人として様々なことを弁えている節もある。

 だけど、そんなダンデも、結局は「良い人」でしかない。アプローチをしてくれても、私はダンデを好いてはいない。だって単に苦労しそうだからだ。その立場を踏まえれば自明の理。私は誰かに注目されることは苦手だし、ダンデは無意識なのか他人に厳しい一面もある。努力を怠った人間にそれはもっぱら向けられるのだが、もしも懇ろな関係になったとして、気心が知れてきたら小言を食らうかもしれない。加えて片やチャンピオンに、片や突出したものも持たないオフィスワーカーたる私ではどう見ても釣り合わない。忙しさはダンデの方が桁違いであるから自然と私が支える側になるだろう。
 ダンデの生活力はてんで知らぬことではあるけれど、ドキュメンタリーなんかで見るアスリートの妻達は美談にしたい演出ではあるだろうが夫を支える良き妻ばかりで、なんとなくもそんな自分を想像してみると途端に辟易してしまった。自分のことで毎日精一杯なのに、どうして他人の縁の下になれるというのか。
 そんな私でもいいとダンデはのたまうから余計に困る。別に支えて欲しいとは思っていないだとか、ただ私が好きだから共にいたいだけだとか、そんな耳障り良い言葉ばかり。信頼に足る人物であると思っているのに、それでもやっぱりダンデと共に歩む人生は想像し辛い。

 いい加減にしないとな、と段々と思うようになったのも良心が痛んだ結果だろう。いつまで経ってもガラルで一番愛されると言っても過言ではない男を振り回すべきではない。だから飽きもせず愛を囁いてくれたダンデに、きっぱりと、今度こそ、気持ちには今後も応えられることはないと言い切った。その瞬間私はチャンピオンを振った女、などと我ながら大層な立場になってしまったわけだが、相手が相手だろうと応えられない好意に一々付き合うのも中々骨が折れるものなのだ。

「他に気になる人もいて」

 これは嘘ではない。取引先にて良くしてくれる人がいて、今度ご飯でも、と誘ってくれているのだ。
 しかしダンデは、きっぱりと私がそうして振ったというのに、いつものように捨てられた子供のポケモンのようにはならなかったのである。寧ろ至極穏やかな瞳をして、泰然と構える態度に「今日はどうした?」と私の方がたじろいだくらいで。

「好きにするといいぜ」

 は?と思わず口を開けても、ダンデはなんだか余裕そうなまま私を見つめる。

「だけど覚えておいてくれイリス。俺の気持ちはいつまでも変わらないから」

 いつも通り優しく頬を撫でられ、いっそ熱で溶けそうなくらいの眼差しで、ダンデは笑った。

「でも、俺の方が良いって思う日が絶対に来るぜ」

 そんな不穏なセリフを残して。



 なんとなく腑に落ちない気はしたが、今回こそ私はきっぱりとダンデの気持ちに報うことは出来ないと言えたのだから、もう何も躊躇う必要はない。あれから毎日送られてきたメッセージや電話も途絶えたし、それはつまりダンデもわかってくれたからの筈。気持ちを断ったのは私の手前後ろ髪引かれる、というのはいささか可笑しな物言いではあるが、そんな心地のままとりあえず件の人と食事に行った。釣り合いの取れて、私と同程度だと思える人だ。
 初めての食事だからか互いに遠慮し合う空気がどことなく漂い、でもそれを特に悪いとは思わなかった。互いが気を遣って話を模索するのは、それだけ相手を意識している証拠であろう。少し食の趣味が合わないところはあったが、中々上々、と次の約束まで出来てしまった。
 メッセージのやり取りだって苦ではなかった。なかったのだが、若干、上からな言葉遣いが気にはなった。でもこの年代の男ではそう珍しくもないことだし、初めて食事してプライベートな時間を過ごしたから緊張や興奮もあったのだろうと、楽観視していたわけで。

 しかし残念ながらそれは本当にただ楽観して都合よく無視しようとしたことで、結果から言えば甘く無視も出来ないような男だったと徐々に見えてきてしまった。数回デートを重ねた後に彼から告白をされて付き合うことにしたのだが、その人は他人を卑下する癖があるらしく、社内の人間から友人達などの話を見下しつつ笑い話のように語る。不快に思ったのは言うまでもなかった。この手の男は女も同様に扱うケースが多い。
 案の定更に親しくなってくると言動が優しくはなくなり、寧ろ粗雑になっていく。気を遣ってくれない、と言えばいいのか。いつでも自分の都合や感情を優先する人だった。任せると言うから私がカロス料理の店を決めたら「今日はアローラ料理の気分だったのに」と平然と文句を言ってきたのでさすがにキレかけた。プレゼントはしてくれる時もあるが流行や価格だけで見ているらしく、検索ワードランキング一位を誇るような、全く趣味ではないものばかり渡してくる。どうやら見栄っ張りな気質なのだ。

 ――ダンデだったら違うのに。レディファーストを弁えて私を尊重してくれるし、そもそも私の好みを十全にわかってくれているから食事でもプレゼントでも落胆した覚えもない。思えばぺらぺらと自分語りをしたわけでもないのにいつの間にか好みを理解していたダンデは、どうしてなのかと問うと「それくらいわかるさ」と微笑んだ。今思うと、それだけ私のことをしっかりと見ていてくれたからなのだろう。それだけ、私に心を向けてくれていたから。
 などと考えてアホかと、我に返って頭を自分で殴った。好意に応えられないと振ったのは私なのに、比べるだなんて失礼極まりないどころか最低だ。
 男なんてそんなもの。幼稚な面なんて誰でもある。ダンデが特別なだけ。そうやって、全部飲み込んでしまおうと必死になった。


 とは言ったものの、悲しいかな件の彼とはやはり馬が合わない。とうとう私というか女を見下すような発言も出てきて、文句を言えば十倍にして言い返してくるし、私がしたことに感謝の気持ちも見せてくれない。体の相性は悪くないせいかデートの日は必ずどちらかの家のベッドに入って、そんな時ばかり彼は満足そうな顔をする。
 そういう時にどうしても浮かぶのがダンデの顔だった。
 人を蔑むことはしなかった。見栄を張ることはなく、私を尊重して優しさと気遣いをいつどんな時も与えてくれた。言わなくても理解してくれる観察力があって、先回りして私を喜ばせてくれてばかりいた。自分の気持ちを一方的に押し付けることはせず、私の気持ちを慮ってくれた。
 馬鹿か私は。思うところはあれど付き合う恋人がいるのに、振った男と比べて勝手に落ち込むなんて。面倒くさいどころか我儘すら通り越せる。
 落ち込む私になど気付く様子も全くない彼は相変わらずというか、私を見下すような言葉を吐きながらも呑気に将来のことを話すのだから。何も話し合っていないのに結婚をちらつかせてきて、実家に来て欲しいとか、あまり繋がない手を握り締めてサイズを測るような真似をしたり。仕事は続けてもいいと言うが、不安を覚えないと言えば嘘になってしまう。

 この人は、本当に私が好きなのだろうか。好きで一緒になりたいと思ってくれているのだろうか。だとしても、私は今後この人とやっていけるのだろうか。私が望んだ釣り合いの取れる、同程度の男であるのに。こんな、私をあんまり尊重してくれないプライドが高く不遜な男と、結婚なんかしてもいいのだろうか。プロポーズもしていないのにそれが当然、みたいに振る舞う男と?
 ダンデだったら、こんな不安にならないかもしれないのに。
 そうやって鬱憤を溜め続けた結果、彼のやはり上からな物言いにとうとう我慢ならなくなり口論から大喧嘩に発展し、その末あっさりと別れが決まった。所詮その程度の女だったということである。


  ◇◇


「楽しかったか?」

 もう暫くは連絡を取り合っていないダンデが、私にそう問うてきた。その笑みは今まで散々私に好意を向けてきていた時と何も変わらない。
 なんというか、タイミングをわかっているというか。まだ誰にも別れたことを話していないのに、どこで聞きつけて来たんだ。
 呼ばれた店は、私が最近気になっていた店だった。あの人と付き合い出して以降話どころか顔も合わせていないのに、全く本当にどうしたらわかってしまうのやら。

「……私、まだ何も言ってないけど」
「顔を見ればわかるさ」

 そうなのか、なんて。ダンデは、私が何も言わなくても、会ってもいなくても、私のことがなんでもわかってしまうのか。
 ダンデじゃないと、わかってもらえないのか。

「どうだった?」
「楽しかった時もあったけど、最後は疲れることの方が多かったかな」
「俺と居るとどうだ?同じか?」
「……ううん、全然」

 席まで悠然とエスコートされたのは久しぶり。運ばれてきた料理も、ワインも、全部私が好きなもの。渡されたプレゼントも。正面には優し気に微笑むダンデ。今日はすんなりと全てを受け入れられてしまった。

「まだ他の男を探したいか?ちなみに、俺の気持ちは一切変わっていないぜ」

 慣れた手つきでナイフとフォークを操るダンデに正直ビックリしたこともあった。考えてもみれば早い年齢で大人の世界に入ったのだから、それくらい出来ても可笑しくはないのだった。

「もう、いいかな」

 緊張せずに誰かと食事するのはいつ振りだろう。別れたあの人といると何が彼の琴線に触れるかわからないから、あんまりゆっくりと出来なかった。
 どうせ苦労をするならば、本当に私を大切にしてくれる人とした方がいいのだろうと、今は思う。

「なぁ、好きだぜ」

 デザートを待つまでの僅かな合間。テーブルの上で手を取られ、労わるかのような優しい手つきで撫でられる。かさついているのに温もりが伝わる頼り甲斐のある大きな手だ。すりすりと、指先が手の甲を滑ったり、指と指の間を這ったりする。ダンデは好きだと、それ以上を言わない。いつもそうだった。気持ちをこうして告げてくれるのに、それ以上を求めてこない。押し付けてはこない。
 私が応える側であるから。

「……まだわかんないけど、たぶん、私も」
「十分だ。とても嬉しい」

 本当に喜んでいる顔だった。バトル中に見せる笑みとも違う、私だけに愛を伝える顔。これまで私が中途半端にダンデの気持ちを袖にしていたことも、他の男と付き合って寝たことも、何もかもを許してくれると、まるでそう言ってくれているような気がした。

「だから言っただろ?俺の方が良いと思う日が来るって」

 預言者かよって、笑い飛ばしたいのに笑えなかった。


20210605