短編
- ナノ -


 ミッション・ポッシブル


※頭空っぽにしてください


 ネズは耳があまりに良すぎる男である。音楽を生業の一つに持ち、トップチャートにも折につけ食い込むネズにとってそれは当然とも言えることで、そのネズが我が耳を疑う事態になったのは、単にダンデの突拍子もない発言を基にしてのことである。

「この前暗殺されかけたんだが」

 とはいえ、ダンデはかねてより多方面で突拍子もない男だ。言葉一つにとってもそうだったし、ダンデを幼少期より知るネズにとってはダンデそのものが突拍子もない存在だ。チャンピオンを退いてそう間も置かずにさっさとバトルタワーを開業してしまったのもそうだったし、だから突拍子もないことなんかいつものことで、日常でもそう珍しくはないことで。

「いや暗殺?」
「ん?なんだ?」
「今暗殺されかけたって言いました?」
「なんだネズ人の話を聞いてなかったのか!もうその話は終わったつもりだったんだが」

 ネズの良すぎる耳をもってしても俄かには信じがたい台詞が、もう既にダンデの中では過去のものになっているくらいの時間を、ネズに理解を与えるまで要したらしかった。快活にいつも通り笑うダンデと、スパイクタウンの昼間でもアングラ感滲む飲食店の内装はミスマッチで、いややっぱり自分の耳が可笑しかったかもしれないと一瞬でも思ったのに、ダンデの態度からしてそれはやはり空耳ではなかったらしい。にしたってそんな、今日はいい天気だな、と同じトーンで言うことではない筈なのだが。

「そうだぞ、暗殺されかけたんだ」
「平然と言うことですか?」

 ただでさえチャンピオン時代から世間には触れ回れないような後ろ暗い案件に多々巻き込まれていたのに、今やこのダンデはガラル一の権力を持つと言っても過言ではなく、元はローズがそのポジションにはいたが、そこに後継として収まったダンデがその矢面に立たされるのは、言ってしまえば自然の摂理と言わざるを得ない。大きな権力を持って人々の前に立つ人間というのは、歴史で鑑みても得てしてそうある宿命にいる。リーグ委員長という時点でチャンピオン時代の比ではないのだろう。
 だからって、こんな真昼間に、飯を食いながらいつも通りの笑い顔で言う事だろうか?前々から他の人間とは一線を画すと評していたが、さらりと言われたことにネズは米神が痛む気がした。

「よくもまぁ。いつもいつも無事で済みますね。お前のパートナーが居てくれれば百人力でしょうが」
「いいや、この前の件だとリザードンは活躍していないぞ」
「え?そうなんですか?じゃあドラパルトとか?」
「違うんだ、俺の秘書が」
「秘書……?」

 随分にこやかなダンデを前にして思い出したのは、そういえば、とうとう秘書を雇ったらしいということ。その件は身内の中でも最近のホットニュースだった。ネズはもうリーグには関わらない身なのでマリィより伝え聞いたことだったが、この前ジムリーダーも招集された会議においてダンデと共に若い女性が入室してきたものだから、一同ざわっとしたとか。
 どうやら大変有能な人材らしく、ローズとまではいかずとも中々に詰められたダンデのスケジュールを管理してはその都度捌いてくれるらしい。ネズはまだ直接見たことがないが、「すっごく綺麗な人だったけん……」とマリィの頬を染めさせていたくらいだから、顔面の高さも相当であるようで。
 けれど、だとしても、暗殺と秘書にどう関係が出て来るというのか。ジンジャーエールを含みながらダンデの言葉を待っていると、またもや随分とにこやかにダンデは、再びネズの耳を躊躇いなく攻撃してきた。

「暗殺者をばっさばさとなぎ倒してな」
「は?」
「舌を巻くほどの圧巻な身のこなしだったぜ!」
「どういうことです?」
「どうもこうも、そのまんまの意味だぜ!」

 ますますネズを混乱に陥らせていることなど露知らぬ様子で、ダンデは一方的にその秘書について語りだした。どうやらその秘書に全幅の信頼を置いているのか、いっそ晴れやかなまでの笑顔で。

「狙撃もされたんだが、スーツの内側からショットガンを取り出したと思えばあっという間に狙撃手を戦闘不能にさせて、秒で縛り上げたんだ。銃撃戦の渦中での淀みない体さばき、とても華麗だった」
「銃撃戦??」
「チャンピオン時代の熱心なファンが俺が負けたことをお気に召さなかったらしく、とうとう堪忍できなくなってナイフと一緒に突っ込んできた時も、颯爽と俺の前に立ち塞がって腕一本でそいつを伸してしまった。危ないからとナイフも片手で折ってしまってな。演武でも見ている気分だったぜ」
「アンタそんなに頻繁に狙われてたんですか?」
「なんだかここの所多くてな!万一その場で相手を押さえられなくても、追いかければ直ぐに捕らえて戻ってくる!本当に、彼女が秘書になってくれて良かったと思う!」
「それ本当に秘書なんですか……?」

 何の話をしているんだ?とネズも素直に頷けないエピソードばかりに、ますます米神が痛んだ。そこから痛みは拡がり、最早頭全体が痛い。

「まずマリィからそんな話聞いたことがないんですが……」
「なるべく広めないようにと注意してあるんだ。ガラル中を騒がせることになるし、内密にと。俺個人を狙ったとはいえ関係者たちに万が一があるかもしれないし。ネズにはいいと言ったんだが、マリィがネズに言わなかったのは心配をさせないためだろうな」
「その秘書はあれですか、何か武術の心得でもあるんです?」
「いいや、俺も気になって訊いてみたんだが、『これくらい秘書なら当然です』とのことだ。最近の秘書は優秀なんだな!」
「オリーヴを思い出してくださいそんなわけないでしょうが」
「ポケモンを使って技で攻撃をされても、彼女はものともしないんだ!」

 何故だかきな臭い気もした。そもそも応戦したのがSPでもない秘書で?一介の秘書が銃を所持している筈がないのにそれを問い質すどころか華麗だったとはこれ如何に。
 だがしかし、次いでダンデの口にしたことが、更にネズの度肝を抜いた。

「それで、ここからが本題なんだが……。そんな彼女を見ていると、こう……胸が高鳴るというか……ドキドキするんだ」

 ジンジャーエールを噴き出しかけた。

「昨日も隣で予定調整をする彼女を見ていたら、段々と鼓動が速くなってしまって……あの細くて丸い指先がショットガンを撃った瞬間を思い出させて、そうすると余計に……」
「本気で言ってます?」
「本気も本気なんだ!昨夜も俺を守った彼女の背を夢見たくらいで……、今日も、他の誰よりも冷静で忌憚ない意見をくれる人間に聞いて欲しかったからここまで来たんだ!」
「……」

 もっとマシな状況で、正当な場において自分をそう評価して欲しかった。危うく器官に入りそうなのでジンジャーエールは一先ずテーブルに置いて、ネズは自身の額を押さえる。まずそんな秘書を周りも放っておくな。
 ダンデの言葉を真実と信じるならば、どの案件もとんでもない内容ばかりである。まず銃撃戦なんかあったことも初耳だったし、ほいほいとただの秘書が活躍するような場面でもないだろう。1000%確実にその秘書は只者ではないし、そんなビッグニュースがガラル中に駆け抜けないのならば徹底的な情報統制ができる腕を持っている。それだけで済めば「はいそうですね優秀な秘書です」と言えたのに、ショットガンの下りからしてもうクロだった。
 シロであろうとクロであろうと、ダンデが胸を高鳴らせる原因はそこそこ女と場数を踏んでいるネズには残念なことに簡単にも予測がついてしまう。溜息を吐いて額を押さえたまま、気落ちした声音でネズはダンデに、例え彼には残酷であろうときちんと率直な意見を告げようとして――。

「……冷静で忌憚ない意見をあげられる人間として、正直に言わせてもらいますけど」
「ああ!」
「それって、多分――」

 ――のだが、この直後に勃発した予想もしていなかったことのせいで、ネズは最後まで忌憚ない意見を言い切ることが出来なくなった。
 ガッシャアン!とダンデの後ろのガラス窓が派手な音と共に吹き飛んだのだ。店内に轟いた盛大な音には店内にいた客も店員も何事かと目を丸くし、一斉に同じ方向を向いて驚きを露にし、口を開けたまま硬直する。ネズもまた例に漏れず驚いたまま固まっていると、すぐさまネズの真横を高速で何かが過ぎ去っていった。
 俊足の影が背後を振りむくダンデの前にまるで盾のように立ち塞がり、彼の頭を抱え込んで共に地面に倒れ込む。全員伏せろ!と若い女の掛け声が響き渡った直後に、何かが店内を飛び交いだした。
 ……銃声だった。
 悲鳴と銃声が狭い店内を交差し、蜘蛛の子を散らすようにパニックに陥った客がドアへ殺到して、縺れ合いながらも外へ一目散に逃げ出す。逃げ遅れた人間はテーブルを防御壁にしてなんとか身を守り、ネズも同じようにジンジャーエールのグラスが吹き飛んだテーブルを防御壁にして自分の身の安全を図った。パニックなのは皆同じで、誰もが状況に全くついていけないまま、耳を劈くような激しい銃声が間もなく一度止まったことで、ネズはドッドッと喧しい心臓を抑えながらちょっとだけテーブルから顔を覗かせた。まだ塵埃やら硝煙は完全に晴れてはいなかったが、元凶の男を見られるくらいにはネズの目も良い。

「イリス!来てくれたんだな!というかもしかしてどこかで待機してたのか?」
「不穏な気配を察知したので休日出勤したまでです」
「嬉しいぞイリス!丁度君に会いたいと思っていたところで、というか君の話を正にしていたところで」
「喧しいので顔引っ込めてべそ掻くおチビちゃんみたいに丸まっててください。あと休日出勤代くださいね」

 ――スーツ姿の、声のままに若い女である。長い髪をばさばさと翻しながら片手で短銃を難なく操り、背中しか見えないから推測でしかないが、声音から判断してもきっと平然とした顔で敵へ撃ち返していたことだろう。
 束の間の静寂を喜べないネズの近場で、ピリピリとした場にそぐわない彼等の呑気な会話が聞こえてきた。その二人が転がる手前のガラスがあった場所を境にして、あちら側にはサブマシンガンを抱えた武装した男がゴーグル越しに苛立たし気な瞳をしており、標的を撃ち損じたことを盛大に嘆いているらしかった。それと、どうやら撃ち返されたのか片腕を庇う様子。
 ……どう考えても、標的はあの喧しいから首引っ込めて丸まってろと怒られている男で間違いなかった。先程本人から話をされていなければ他にも可能性はいくらでもあったのに、悲しいかな暗殺の話なんかされてしまっていたので、全くもってそうとしか考えられない。

「ネズ!ネズ生きてるよな!俺はやっぱり胸が高鳴っているんだ!こんなにも胸が破裂せんばかりにドキドキしている!」
「ちょっと黙っててください……ちっ、障害物が多いせいで仕留め損ねた。オーナー、安全な場所まで連れて行きますから、大人しくしていてください」

 秘書らしい女が大きく腕を振りかぶり何かを投擲すると、この惨状を生み出した犯人らしき男がその場を離脱し始めた。とりあえずもう銃弾の嵐の心配はなさそうなのでテーブルの壁から体を出す。銃痕の残るテーブルを見て吹っ飛ばされなくて良かったと心底思った。
 よく見る必要もないくらい壁のあちこちに銃痕があり、銃にはさほど詳しくはないが9mmが妥当というところか。レジ台の下から恐々と顔を出した店員と目が合っても、今だけは町の代表として安否の確認も慰めも掛けてやれる余裕がなかった。
 わっ、と間抜けな声が聞こえたので顔をダンデの方に戻せば、スーツの女に両腕で抱えられた元チャンピオンがいて、いわゆるお姫様抱っこにネズは唐突な眩暈を覚えた。なにせほんのりと髭面の男が頬を染めているので。
 短銃を手にしたままガラルのリーグ委員長兼バトルタワーオーナーを抱き抱える、パリッとしたスーツ姿の女。足元は飛び散ったガラスの破片だらけで、ヒールの踵で容赦なく踏みつけている。なんて取り合わせと絵面だろう。
 イリスと呼ばれた女の横顔は確かに整っていて、その瞳を敵への殺意に染めるでもなく、とても凪いでいるようにも見えた。怜悧そうな眼差しは、こうした戦闘というか殺伐とした状況に慣れきっているようにも見えて、休日出勤とは口にしていたが恐らくここのところ雇い主が狙われていることを危惧してその辺で待機していたのではなかろうか。
 くるり。口を開けたまま女の横顔を眺めてしまったネズを突如として女が振り返り、目が合うよりも早く恭しそうに首を微かに下げられる。成程確かにマリィが頬を染めてもいいレベルの顔面で、クールな雰囲気を漂わす女ではあったが、その凛々しさとこの店に残る惨劇の後がやはり釣り合わない。

「ネズ様、この度はお騒がせして申し訳ございません。この店の修繕費やスパイクタウンの皆様へのお見舞金については後日お話に参りますので」
「アンタ何者なんですか。どう考えてもカタギじゃないだろ……」
「お戯れを。私はただの秘書です」
「秘書はそいつを軽々と抱き上げられねぇですよ」
「ネズ見てくれ!話した通りイリスは凄いだろ!」
「まずはオーナーを安全な場所に連れて行かないといけませんので、重ね重ね申し訳ございませんが一先ずこれにて失礼致します」
「犯人逃げましたけど、逃がしていいんですか」
「ご安心を。先程発信機を付けましたから」

 先程の見事な投擲フォームはそれだったらしい。あれで犯人に発信機を難なく付けられるのだから実際かなりやばい手練れなのかもしれない。

「あの手の輩はどこかで仲間と合流する筈。オーナーの安全を確保した後、速やかに殲滅……いえ無力化します。スパイクタウンの皆様はご安心を」
「殲滅って言いました?」
「イリスは本当に凄いんだぞ!ポケモンを相手にしてもポケモンは傷つけず大人しくさせて、人間だけを無力化するんだ!」
「ちょっと黙っててもらえますか頭痛い」

 頭痛が最高点に達するネズなど気にできないくらい興奮した様子のダンデが相変わらず自慢の秘書のいいところを一人で騒いでいるが、当の秘書はそれを意に介さず無表情のまま、淡々とでかい男を抱え直して再び踵を返した。ダンデの安全の確保のために移動するらしい。

「それでは。また後程」
「巻き込んですまなかったネズ!また今度意見を聞かせてくれ!」
「あ」

 だっ、とネズの横を駆け抜けた風のような俊足に、これまたネズが呆然となる。あっという間にこの場を離脱し、遠目にダンデを姫抱きしたまま、人の目を避けるためか建物から建物へ軽々と屋根移動するのが見えた。スーツのせいで実物は知れないが女性らしい細身であったように見えたのにとんだ腕力と脚力で、あれならすぐにスパイクタウンの外へと抜けられてしまうだろう。

 銃撃戦が起こった、耳を潰さんばかりの大音量が失われて静まり返った昼間の飲食店。ライブで大音量には慣れたネズの耳は他の人間と比べれば幾分も正常に近いが、それにしたって日常生活を送るだけでは銃声など耳に慣れることもないのだから、さすがに僅かばかり違和感も残っている。そしてネズと共に残された目も当てられない無残な光景。一日が過ぎるくらい長かったようで、こうして終わってみれば一瞬だったかのような惨状に、ネズの頭痛が快方に……向かう訳もなく、無意味だろうがつい天を仰いでしまった。
 ダンデは自分を取り巻く環境にすっかりと慣れ切っているようで、自分が狙われているというに終始叫ぶのは己の鼓動の高鳴りについてだけで。もちろんそれは無責任などではなく、秘書が参上したため任せておけば万事解決と信頼から来るものではあるのだろう。その秘書の応戦した腕がいいのか死傷者もいなさそうだからそれは心底安心できたし、確かに凄いってそれだけは同調できた。
 そうして、ダンデの言い残した最後の台詞。本当なら銃撃戦など起こる前にぶつけてやれたことが、ネズの頭の中をぐるぐるとしている。最後の最後まで口にできなかったためにそれはネズの中に留まり、伴う呆れやらもやりとしたものを溜息と共にようやく外へと吐き出した。
 ふざけんなオレだって状況が状況だから今ドッキドキだよって。

「それは吊り橋効果だろうよ……」

 え?と呟きが聞こえたらしい、レジ台から顔を覗かせたまま動けなくなっている我らがスパイクタウンの住人がもうずっと意味わからないって顔でネズを見つめていたが、その男もネズに無事を確認されたら呆けたままただ首を縦にした。
 とりあえず、町の様子を見に行こう。そしてマリィをダンデに近付けるのは暫くやめておこう。そうネズは床に散らばるガラスを踏みながら固く誓った。


20210131