短編
- ナノ -


 偏執


 ダンデという一人の男を愛していた。確かにそれは愛で、熱烈な感情を抱いては、愚直にそれを向けてきた。
 ダンデという男も、私に対して同じであると信じていた。ジムチャレンジを同じ歳にこなし、時と共に少しずつ体が大人になり、その内ありきたりな恋人のように日々を過ごし、ああ二人は同じ方向を向いて、同じ愛を持っていると、思っていたのだけれど。
 そういう空気は簡単にわかる。ダンデの目が欲に揺らめき、心なしか呼気も浅く、間隔も短くなる。しかしそうそう言葉では媚びてこない。自らその空気を纏い、私に遠回しなアピールをして気付かせようと、許しを待ち侘びているかのようなその態度はまるで殊勝にも目に映るかもしれないが、私は残念なことに全くもってそうとは思えない。
 どうせ遠回しにアピールをしてこようと、最後には自分の好きなようにするのだ。拒否しようと私が折れるまで手を尽くすのであるから、悠長に無駄な過程を踏むのも馬鹿なことなのに。私が頷かなければ、指一本ダンデは私に触れてこない。

「イリス」

 そうは言っても拒否したいのは山々なので素知らぬ振りを続けていると、とうとう我慢も利かなくなったらしい。名を呼ばれて顰め面のまま顔を上げれば、予想通り過ぎる――欲に惑う顔をしているものだから、殊更眉根を寄せた。

「……今日も」
「嫌だって言ったら?」
「とても困ってしまう」

 私が困るのはいいのかよ。そう言っても聞かん坊な男だ。人生経験が私の比ではない人間なので、あれよあれよと言い包められたり機嫌を取られたり、そうしていつも私をころりとベッドに転がしてしまう。抵抗も無駄だと既に学んではいるから、どうせ今日も拒絶を絶対に受け入れやしなかろう。だったらさっさと終わらせたいと、げんなりとしつつ大人しくダンデに抱えられて寝室に連れ込まれてあげた。
 はぁ、と溜息が漏れた。それを気にも留めず、早速ダンデが私の足を丁寧に抱え込んだ。しかし重い溜息は口から止められない。そうしてようやく気が付いた。なんてこと、暇つぶしのスマホをテーブルに置いてきてしまった。
 内心舌を打った。気を紛らわす手段がないと、ダンデの気がいつになったら済むかわからないから、終わりが見えない時間が苦痛でしかないのに。

「イリス……、イリス……」
「はいはい」

 漫ろな返事よりも無視されるのが嫌らしく、適当な言葉を贈ってから天井をボンヤリと見つめ、そのまま体の力を抜いた。そうして、この後のことを憂うる。またシャワーを浴びないといけないのは面倒だな、なんて。
 私の家よりも家賃も含め高い天井に染みなどあるわけがなく、何か暇を潰せるもの、とベッド周りを探したのに結局何も見つけられなかった。本でもあればそれがどれだけ難しい内容であろうと手放しに喜べたのだけれど。
 そうこうしている間にダンデの唇が二つの膝に落とされ、べろりと円を描くように舌が這った。ぞわりと鳥肌が立ってしまっても、それすら興奮するのか熱い溜息をそこに押し付けられ、そのまま自分の好きなように足を愛で始めた。

 ――滑稽も滑稽な話である。私はダンデとありきたりな恋愛をしたかっただけなのに、ダンデはどうにもそうはいかないらしくて、ダンデがめいっぱい愛でてくれるのは、あろうことに私の足ばかりであった。どこでその性癖を開花させたのかは知らないが、二人同じ気持ちを持っているとわかった途端、ダンデの愛は一心に私の足に注がれるようになった。初めこそ戸惑いながらも愛してくれていると思って、心臓をドキドキとさせながら受け入れていたが、ここまで足ばかりに夢中になられれば、気持ちが少しずつ静まっていくのも仕方ないだろう。
 ダンデと恋人となった折はまだ男との蜜事を知らなかった頃だったから、まぁそういうプレイもあるのかと無垢にも考えていたくらいで、しかし、一向に足ばかり愛でられれば、もしや、と最早疑わざるを得ない。
 ダンデは多分、私が好きなのではない。私の足が、ただただ好きなのだ。

「はぁ……イリスの爪、小さくて可愛いな」
「そりゃどうも」

 踵を恭しく持ち上げられ、金色を細ませてうっとりと足の先を観察している。前にペディキュアをしたのだが、どうやらお気に召さなかったらしく、少々機嫌も悪そうに無理矢理落とされてしまって、いつにも増して乱暴にがじがじと噛まれてしまったから、それ以来面倒事は避けようとペディキュアは封印した。ありのままの足がいいらしい。
 そのお気に入りの爪先を眼前にして、ぶるっと唇が震えた後、味見するように咥内に導かれて、舌が勝手な動きで愛で始める。この調子だと、ベッドの上だというのに恋人ならごく自然の営みもしないのだと、再び溜息が零れた。最後に二人で全身で触れ合ったのはいつだっただろう。私は、好きな人とありきたりな恋愛をしたかっただけなのに。
 嫌だと問われれば、そうだと答えるだろう。変質的な男に足だけを愛される気持ちなど、一体どれだけの人に共感を得られようか。足にばかり指も唇も這わされ、この恍惚とした表情が、私に向けられているわけでもないのに。

 可笑しな話だ。私は一個の人間で、足は私の付属品でしかないのに。足は私ありきのパーツで、分けて考えられても困るだけだ。足だけに興奮する性質なのか、私の平均的な足がお好みなのかは知らないし訊きたくもない。どんな答えだろうと、気持ちが冷めるだけだと自分でわかっていた。
 暇を潰せるものがないから、そんな直接訴えても聞き入れてもらえない愚痴ばかり頭の中をぐるぐるとしている。足以外も触って欲しいと以前勇気を出してお願いしても、滅多なことではそうもいかなかった。ダンデが最も興奮できるのは私の足だけで、今もこうして足にしか目が向いていない。
 脹脛を啄まれ、指の腹が感触を楽しむようで。足の甲に口付けが施されても、従順な証明をしているわけでもない。口付けの後には唾液塗れの舌が当てられるから。素肌を触られること自体にはぞくりとする感覚もあるし、ガラルの偉大なチャンピオンが私の足元に蹲るという倒錯的な光景には、惚れた弱みか若干ながらも興奮は覚えるけれど、ここまでくれば諦めの方が勝る。
 何より、正直、気味が悪いのが本音だった。今や英雄と民衆から呼び慕われる栄光ある男が目元を赤く染め、なんなら瞳も潤ませ、女の足に夢中になっている姿。悲しいかな私は男を自分の足元に侍らす趣味も、ダンデと同じ変質的な性癖もないので、さっさと終わってくれないかといつも祈るしかない。
 それに、ダンデは自分の好きなようにしかしないのだ、私の足を。舐めたいように舐めて、触れたいように触れて。私の気を高める算段も全くないから、これはダンデが己を存分に満足させるだけの、独り善がりな行いで間違いなかった。

「愛してるイリス、愛してる……」
「へぇ」

 耳にタコができそうだ、これも。同じ言葉を恋人となる瞬間に口にしてもらったのに、ここが人生の天辺などと有頂天にさせたそれが、まさか私ではなく足を対象にしていただなんて、どうして予想も出来ただろう。厄介なことにダンデはその自覚がないようで、普段は私という個人を愛するような態度をとるくせに、一度欲を覚えるとこれなのだから、英雄の裏の顔というのも考え物だ。
 私はなぁんにもしていないのに、一人で勝手に興奮しているダンデの息は上がり続ける一方である。足の裏を丹念に舐められ、暇だったこともあり気まぐれに足先のダンデを見下ろせば、ばっちりと目が合ってしまって反射で顔を顰めた。よくよく見ればいつもの通りジーンズの下を大きく膨らませ、再びかち合わせてしまった、煮詰めたようにどろりとした瞳が、その瞬間極上の恍惚に煌いた。

「愛してる」

 うっせぇな。お前が愛してるのは私じゃないだろ。


20210126