短編
- ナノ -


 白昼迷宮


「助けてソニアちゃん!」
「も〜〜またぁ?」
「だって〜〜!!」
「はいはい、わかったからぐずらないの」

 困ったように眉を下げながらも笑顔を向けてくれるソニアちゃんのその顔が、私はたまらなく好きだった。
 ちょっと呆れているのに、しょうがないなぁって甘やかしてくれる、優しさの塊みたいなソニアちゃん。
 その顔が見たいから、私はいつまでもソニアちゃんに助けてって抱き着くのだ。

「で、今日は何?」
「パーティーに呼ばれたんだけど、どんな格好していけばいいかわかんない…」
「ネットで調べればいくらでもでてくるでしょ」
「だってソニアちゃんの方がおしゃれだしセンスいいし…今日のメイクもすっごい似合ってるね」
「…あー、もう!ほら、一緒に選んであげるからそんな泣きそうな顔しないの」

 頬をぷにぷにつついてくるソニアちゃんは、絶対に伸ばした爪で傷がつかないよう注意してくれる。口では面倒くさいなんて声音を出しているくせに、こうやって私のお願いを無下にはしない。
 とってもとっても優しくて私に甘いソニアちゃん。

 だから、私はソニアちゃんが大好き。
 世界で一番、ソニアちゃんが好きなの。

 本当はソニアちゃんと一緒に出掛けたいだけって白状すれば、ソニアちゃんはどんな顔をするだろう。別に理由なんか作らなくてもいいのにって、笑うだろうか。それとも照れくさそうに目を背けるだろうか。
 多分、怒らないと思うの。ソニアちゃんは、自覚がないだろうけれど、必要とされることが好きだから。



 我儘に付き合わせてドレスを選んでもらって、最近見つけて気になっていたカフェに誘った。初めてはソニアちゃんと来たかったんだ、頬杖をつきながら目を少しばかり伏せて口にすると、目を泳がせて唇を結びながら照れていた。

「アンタ、ほんと、昔からオブラートがないよね」
「だって本当のことだもん。ソニアちゃんが大好きだから」

 初めて会った時からソニアちゃんのことが大好きだった。快活で、天真爛漫で、同い年なのにお姉さんぶる女の子。一歩前を歩いて手を引いてくれるのが頼もしくて、嬉しくて、いつもついて回った。

 ジムチャレンジの間もそうだった。二人きりにはならずダンデ君もくっついてきて、ダンデ君ばっかソニアちゃんに構ってもらってずるいなっていつも頬を膨らませて、そうじゃないでしょって呆れるソニアちゃんに頭を撫でてもらって、ワンパチみたいにすりすりと掌に擦りつけて嬉しいって全身でアピールした。そうすれば、ソニアちゃんが可笑しそうに、でも満足そうに笑ってくれるって知っていたから。

 迷子ばかり繰り返してソニアちゃんの手を煩わせるダンデ君は、そのまま順調にトーナメントに勝ち進んで、チャンピオンにまでなってしまって、ソニアちゃんの手を放れて行ったから嬉々としていたのだけれど、それからというものソニアちゃんは俯くことが多くなって、あまりポケモンバトルをしなくなってしまった。
 私はファイナルトーナメントまで残れなかったけど、ソニアちゃんは違ったのに。

 それからしばらくは、ダンデ君が関わると、ソニアちゃんは途端に渋い顔をするようになった。顔に出ないよう気をつけていたようだけれど、数少ない家への訪問が、ソニアちゃんの心に棘を刺しているようで、私はよくダンデ君に通せんぼした。
 ダンデ君は何もわかっていなかったし、教えてあげる義理はないから、私はただ幼馴染同士の顔合わせを邪魔ばかりする子になった。

 ダンデ君が来ると、ソニアちゃんが辛そうな顔をするの。ダンデ君はチャンピオンって凄い存在になったんでしょう。だから、これ以上私からソニアちゃんをとらないで。
 言葉にはしなかったものの、私の顔から心を読んだのかもしれない。ダンデ君は、苦い顔で大人しく帰っていくことが増えていった。

 結局その後、ソニアちゃんの方が何やら受け入れたようで、私は通せんぼをやめたのだが。諦めがついたのだろう。だから、ダンデ君とも前みたいにお喋りすることができるようになった。女の子の方が、男の子より心の成長が早いのだ。
 でもやっぱり、私とソニアちゃんがお喋りしていると突然割りこんできて、ソニアちゃんの手を煩わせているダンデ君はずるい。ダンデ君ばっかりソニアちゃんに構ってもらって、ダンデ君が来なければずっと二人で楽しくお茶会を楽めたのに。

 だからかもしれない。ソニアちゃんがいないと何にもできないんだよって、私がアピールするようになってしまったのは。



 アールグレイのミルクティーを飲んでからミルフィーユをそっと横に倒して、フォークで一口分を切り分けて口の中へ。サクサクのパイ生地とクリームに舌鼓を打って、これ美味しい!ってソニアちゃんに笑顔で教えてあげる。そうすれば、一口ちょうだいっておねだりが来るってわかっているから。

「ちょっとちょーだい」

 ほら!と、内心大喜びでミルフィーユの乗った皿をソニアちゃんに差し出せば、苺のタルトの乗せられた皿を「交換ね」私へ渡してくる。
 ソニアちゃんが一口分フォークを入れて欠けているタルトに、恐る恐る私もフォークを入れる。固いタルトの生地が中々切り分けられなくて、力を込めたらフォークが皿にぶつかってしまいカツンと音が鳴ってしまった。

「ヘタクソなんだから」

 ふはって空気が抜けるように笑っているソニアちゃんはアッサムのミルクティーの入ったカップを指にかけて、形の良い唇を寄せた。
 マスカラでカールを形状記憶した睫毛をほんの少し伏せて、今日もきらきらとグロスで彩られた唇がカップの淵について、音を立てずに液体を吸い込む。そっと放したカップにはグロスの跡がほんのりついていて、唇の皺まで読み取っていた。

 はぁ、と知らずにか細い溜息が漏れた。
 ソニアちゃんが食べ物を口に入れる姿がたまらなく好きだ。派手そうなんてよくからかわれて、大口で笑うこともあるのに、食事のマナーがきちんとしていて、上品で、ちょっと色っぽいの。咀嚼の合間に時折のぞく舌も真っ赤で、唾液で艶々している。
 ソニアちゃんと買い物するのは楽しいしソニアちゃんを独占できるから凄く好きだけど、一番好きなのは、こうして何かを食べているときだった。
 可愛い唇。可愛い舌。ケアに余念がないから、いつだって抜群のコンデション。

「なぁに?」

 チークで薔薇色に染まる頬が僅かに傾いて、唇を注視していた目をアイラインが綺麗に引かれた瞳へ向ければ、黙ったままの私を不思議そうに見つめていた。
 きゅっと心臓が縮こまった。真正面からソニアちゃんに見つめられると、腕を掻きむしりたいくらい嬉しくてたまらなくなる。ぶわっと何かが込み上げてきて、頭から外へ抜けて行かなくて、また臍の下の方まで戻っていく。
 ソニアちゃんに名前を呼ばれて、わん、って返事をしたらケラケラと笑われた。ワンパチじゃんって。そうだよ、いつもわしゃわしゃ撫でてもらっているワンパチが羨ましいと思っているんだから。

 あの赤い唇で名前を呼ばれると、いつも幸せな心地になる。胸が高鳴って、でも気取られてしまわないよう平気な振りを強いられる。気付かれたら、もうこうやってお茶に興じることも、買い物にも付き合ってもらえなくなってしまう。それだけは、嫌でも最初からきちんと理解している。
 何でもない振りをしてミルクティーを含んでいると、ソニアちゃんが私達の間では“いつも”の話題を口にして、カップをガリッと噛みかけた。

「そろそろ彼氏作りなさいよ」

 噛み損ねた感情がじくじく膿んで舌の上に苦みを広げていく。砂糖菓子でできていない恋心から、ボロボロとカスが出てくる。
 えー?と惚けた笑顔を作って、細心の注意を払ってカップをテーブルへ戻した。力加減を間違えれば、カップは簡単に地面へと追突しただろう。
 足先がかゆくて、ヒールの先を擦り合わせる。エナメル同士が擦れた音を出さないよう、こちらも注意しなくてはならない。

「いつまでたっても男の影がないんだから…」
「まだいいかなぁ」
「いっつもそう言うんだから。誰か紹介してあげようか?」
「大丈夫、そういうのはちゃんと自分の力でどうにかするよ」

 膝の上で組んだ指先同士を合わせて押したりつまんだり忙しい。ソニアちゃんからはテーブルで隠れて見えないのを良いことに、爪に爪を立てる。ソニアちゃんに塗ってもらったネイルが、ガリガリと削れて間抜けな線を描いているだろう。

「ごめんねいつも、甘えてばっかで」
「あーごめん、そういう意味じゃないってば。私も楽しいよ、アンタとこうやって遊ぶの」
「なら良かった」

 本当、良かった。ソニアちゃんならそう言ってくれるってわかっているから。いつもいつも、面倒臭い女の真似をしてごめんね。

「ソニアちゃんとこうやって遊んでる時が、今は一番楽しいや」
「もー、そうやって誤魔化すんだからぁ」

 誤魔化してないよ、本心だよ。それにソニアちゃんだって、内心は喜んでること、私には筒抜けなんだから。
 彼氏なんて要らない。その人は、買い物にも付き合ってくれて、優しく頭を撫でてくれて、名前を呼んで甘やかしてくれるかもしれないけれど、全部私が欲しい特別じゃない。
 世界にたった一つだけの特別が、実を結ばなくても、私はかまわないよ。
 だって今が、一番楽しいんだもの。



 そろそろ帰ろうか。ソニアちゃんの言葉に頷いてショップの袋と鞄を持って立ち上がる。すると、ソニアちゃんの目が私の手元に向けられたのがわかった。

「あれ、ネイル剥げてきちゃったね」
「え?あ、ほんとだ。気付かない間に擦っちゃったかな」

 白々しく爪を翳すように見て、小さく首を傾けながらソニアちゃんの目を見やる。薄く、少しだけ申し訳なさそうで、媚びるような笑みを浮かべることを忘れないで。

「また、塗ってくれる?」

 しょうがないなぁ、ってソニアちゃんはほんのり眉を下げながら、頬を持ち上げて笑った。



20200408