短編
- ナノ -


 レプリカにしたい感情(拍手お礼)


 ダンデが帰って来ない日は、どうにも、こう、やる気もなかなか出てこなくて。
 その日の内に帰って来れるかどうかは、もちろん仕事の進捗によるので朝一でわかるわけもないだろうが、にしても、夕飯時の時間にそれが連絡してこられると。

「……」

 胸の内が、つきりと微かに痛んだ。どうしてなのか答えが自分では出せなくて、痛みを散らすためにも大きめに息を吐き出した。
 夜が明ければ帰ってくる。今のところ、ダンデが一日以上家を空けることは絶対にない。だから一晩と少し辛抱すればいいだけ。

 ――辛抱って、何を辛抱するというのだろう。

 頭の中ももたついてきたので一度頭を振ってから夕飯の仕上げにかかった。念のためにダンデの分も用意して、一人でテーブルにつく。父親への連絡だって済ませた今、もう私に成さなくてはならない事柄はない。ただただ、一人でベッドに入って、寒さから身を守るために布団を頭から被って、頭の奥底から這い出るように目と耳に届く人間の尊厳を汚すようなあの部屋での出来事の残像と戦わなくてはならない。
 ダンデが隣で寝てくれれば、そんなことないのに。
 最早一人では容易に眠れないことも慣れたものだ。一人の夜がどれだけ恐ろしくても、私一人ではどうにもできない。怖いけど、ダンデがこの場にいない以上できることもない。さっさと食べて、さっさとシャワーを浴びよう。


  ◇◇


 シャワーまで済ませていよいよ寝るしかないという頃。洗面所で歯を磨きながら、ぐだぐだと迷っている。
 ダンデと自分の、どっちのベッドで眠ろう。
 どっちを選んでも、いや寧ろダンデのベッドを選んだ方が結局きついことはわかっているけれど、今日はどうしたのかいつもよりも寂しさが強烈に襲ってきている。今夜与えられない予定の温もりがどうしても欲しくて、欲しくて。

 迷った末に、一先ずダンデのベッドに潜ろうと結論付けた。耐えられなくなったら自分のベッドに入ろうと決めて、ダンデの寝室の扉を開ける。そして目に最初に飛び込んできたものに「あ」と溢していた。
 床の隅に置かれた段ボール。その中身を思い出して引かれるように真っ直ぐ近付いて開ける。
 後で実家に持っていくからとダンデが言っていたそれは、発売日を控える公式のチャンピオングッズだ。レプリカ品からモチーフグッズといった、スポンサーから貰ったものを一纏めにしていたそれを、じっと見つめていると一つ考えが浮かんできた。
 箱の中を探って取り出したのは、ビニールに包まれたダンデのイラストが描かれたパーカー。この中で唯一、ダンデの顔を模した物。
 最初見た時は軽く笑ってしまったそれとしばし睨み合う。そして、それを持って寝室を後にした。自分の部屋に入ってベッドに座り、ビニールをそっと外してパーカーを広げる。当然、ダンデのイラストが描かれた背面を前にして。
 心底馬鹿だなぁとは思うけれど、とにかく寂しくてたまらなくて。朝家を出ていったきり顔を見ていないダンデの、玄関を出る間際に頭を撫でてくれたダンデのぬくもりが、くすぐったいくらい、とても恋しくて。

「……怒るかな、勝手に開けて」

 怒られるのは嫌だ。怖い。世界で一番嫌い。だけど多分、これを使ったところでダンデは怒らない気がする。自分に甘い予想かもしれないけれど、最近以前よりも優しくしてくれるダンデが、たかがパーカー一枚勝手に使ったことを咎めるとはどうしても思えなかった。
 ベッドに入って、ダンデのイラストのある背面を目の前にして、少しの間見つめた。着て眠るつもりはない。一枚着こんだ分の温かさが欲しい訳ではないから。
 そっと顔を近付けて、埋めて、ぎゅっと抱き締める。外気に晒したばかりの生地の表面はダンデの温もりとは程遠い。匂いだって、ダンデのものであるわけがない。
 ほんと、馬鹿みたい。



 馬鹿な行動の結果だが、なんと、少しは眠れたのだから自分でも驚きだった。ダンデに似たものならなんでもいいのか。自分の単純さと不可解さに起きて暫くは何とも言えない気持ちが胸に広がっていた。
 だけど、人の気配を感じたものだからさっとベッドから抜けた。気配なんて、そんなのダンデ以外あるわけがない。
 心無しか足早になってしまう自分もやっぱり変だが、リビングのソファでくったりと座り込んでいるダンデを見つけて胸の裏がじんわりとするのもやはり奇妙。

「ダンデ君おかえり、おはよう。お疲れ様」
「ただいま、おはよう」

 微かに首を傾けてこちらに薄く笑うダンデは見るからに疲れているので、そっとしておこう。朝食がいるかどうか確認すると食べるとの返答があって、キッチンに回ろうとしたその時。

「え、それ」
「ん?……あ、ごめん、借りちゃった」

 ダンデの目の先は私の手元で、視線を落としてようやく思い出した。そうだ、パーカーを抱いたままベッドから抜けたのだった。

「……いや、かまわないよ」
「そう?良かった。これこのまま貰っていい?」
「いいけど……イリス、それ着て寝たのか?」
「ううん。抱いて寝た」

 そう素直に白状した瞬間の、ダンデの顔と言ったら。

 ほんと、変なの。唇をきゅっとして目を丸くする、そんな顔を作るダンデも変だけど、絶対に好きにならないダンデの、こんなパーカー一つで安心感を少なからず得られてしまった私も、本当に変なの。