短編
- ナノ -


 君と箱庭


 なんだかなぁ。
 憂鬱を通り越して世界の終わり染みた空を見上げて、ぼんやりと心の中でぼやいた。最早ここまでくると恐怖どころの騒ぎではない。今にも家屋を吹き飛ばしそうな雨風。天空に住まう幻の龍が唸り声を上げて苦しんでいるようだ。外の世界は闇のように暗い。光をどこかへ置き去りにしてきたようだ。太陽はもちろん分厚い雲に隠されて拝むことなどできない。ガラルでハリケーンなんて珍しい自然現象である。終末って、きっとこのことを指すのかもしれない。

「紅茶淹れたぜ!これは自信作だ!」

 しかし、隣にぱたぱたと駆けてきたダンデの顔はあまりに晴れやかである。空で雲に隠された太陽は、つい先程我が家に文字通り飛んできていた、なんて。怖がっていないか心配でたまらなかったんだ!そうのたまいながらも、顔は酷く明るいものだった。

「……ありがと」
「デリバリーは難しそうだったから、軽く食事も作ったぜ!冷めない内に食べてくれ!」

 勝手に人の家のストッカーと冷蔵庫を漁って紅茶と軽食を用意してくれたことに、素直に感謝は持てない。何故配置も中身も知っているのだろうと薄っすら疑念が沸くが、タイミングよく窓を強風が叩きつけたので、どうでもいいかという気持ちになってきた。
 何をどう足掻いたところで今日外に出ることは難しい。アーマーガアタクシーも運行中止しているし、言わずもがな地上のタクシーも同じこと。歩こうものなら一瞬で吹き飛ばされるのがオチ。こんな悪天候の中キャリーケースを引き摺りながら道を往くのは、考えずとも無茶な芸当と言わざるを得ない。

「え、うまっ」
「嬉しいぜ!」

 にっこにこ、何が楽しいのか弾むような笑顔で私を見ているダンデ。自分が作ったものを私が食べているから、という理由一点だけではない笑みの正体を察しつつ、今はまだ知らんぷりを続ける。だって馬鹿な考えだ。人間がここまでの自然現象を操れるわけがないのに。

「嵐が止むまで一緒にいてやるからな」
「え、いいよ別に。そんな怖くないし」
「遠慮するなって。それに、きっと夜が明ける頃には止むぜ」

 相変わらず顔は明るい。私の側にいることに幸せを滲ませている。ダンデにとってはキャンプと同じような感覚なのだろうけれど。私がイエスを答えない限り指一本手を出してくることはないだろうけれど。ダンデは端から私を害する気は皆無なのだ。だから、一緒に大人しく紅茶を飲んで、食事をして、悪天候が終わるまでを健全に待っていればいいだけ。ダンデの言葉を信じるのならば、夜が明けるまで。

「……くふ」
「何急に」
「いや、悪いけど、嬉しいなぁって。イリスがどこにも行かなくて」

 平気で、悪びれもせず。ダンデは花のように笑う。私の側にいられることに幸せを滲ませて、私がガラルから出られなくなったことに喜びを見出し、キャリーケースを部屋の隅に追いやって。
 その夜。二人でサブスク配信の映画を観たり、ダンデのバトルを見返したり。飽きたらゲームをして。そんな遊びに興じている間に朝がやって来る時間に。ソファでブランケットに包まりながら丸くなる、子供みたいなダンデの寝顔を見つめながら窓を見やれば。終末を匂わせたあのハリケーンはすっかりと消え失せて宝石のような朝陽が覗いていた。


  ◇◇


 気晴らしに買い物に出たら、うまい具合にダンデと鉢合った。自分も休日で時間を持て余しているという理由で私の隣に勝手についたダンデは今、私の服を選びことに大変ご満悦そうである。これが似合う、あっちの色の方が、等々ダンデからのお言葉に適当な返事をしても、どうということもなく。とにかく私の生活に関わりたいらしい。つまらなくはないが、この場をどう凌ごうか。
 頭にも部屋にも、隅に未だ鎮座するキャリーケースの存在を思い出しつつ、今度は靴を選んで私の足にはめ込んでああじゃないこうじゃないと悩むダンデの旋毛を見つめながら思っていると、急にダンデの手が伸びてきて、私の後頭部を引き寄せた。心ここにあらずで自分の足の色も形も変わっているのを眺めていたのでかなりびっくりしたが、一瞬心が防御姿勢をとったが、ダンデは私を引き寄せて色めく様子もなく平然としている。

「危なかった。彼女のバッグの角が頭に当たるところだった」

 何事かと思えば。振り返れば、大きく角ばった革のバッグを肩にかけた女性がいた。彼女が私の後ろを通りがかった際に、丁度私の後頭部に角をクリーンヒットさせる寸前だったらしい。本人は全く気付いておらず、並べられたワンピースを吟味している。バッグを注視してみたが、確かに重量もそこそこありそうなブランドバッグの角は当たれば結構痛そうだ。

「ありがと。全然わからなかった」
「いいや。悪気はないだろうが、気を付けてほしいな」

 私が痛い思いをしないように、トラブルに巻き込まれないように助けてくれたダンデには、素直に感謝した。けれどもう彼女には興味を失くしたのか、早々と私の足を彩ることに専念し始めてしまった。
 ブティックの梯子を終えて、今度は生活用品を買いたいと告げれば、これまた当然のように隣に張り付いたまま。まぁ荷物を持ってくれているのでありがたいと言えばありがたいのだが、あれも全部ダンデは選んでダンデのカードで買ったものだから。遠慮は何度も何度もしたが、全く聞く耳を持たないでさっさと会計を済まされたので、最早成す術を見いだせなかった。
 新しいカップが欲しいなぁと雑貨店の棚を探していれば、にゅ、と視界の横から顔を現したダンデが「俺はこれにするぜ!」と何故かマグカップを見せつけてくる。好きにすれば、とただ頷いたが、「これでイリスの家に行った時にカップに迷わなくて済むな」などとさらりと言ってのけるのでぎょっと目を丸めた。そんなあっさり、家主の許可もなく。私の家に置く気満々である。ここで抗議しようと絶対交わされるというか、もうダンデの中では決定事項なので全部跳ね返されるに決まっているから、まぁ置くだけならいいのかな、と首を傾げつつも何も文句はつけなかった。
 外はずっと、燦々と太陽が光を降り注いでいる。



 両手いっぱいに荷物――9割が私の為にダンデが選んだものだが――を抱えたダンデは本当に終始笑顔だった。
 とにかく私の側ではしゃぐようなダンデは、まるで私に優しさと愛を植え付けてくるよう。それを肯定するかのように朝から眩しく輝く太陽が、私達の上に鎮座している。風も穏やかで、ささやかに木の葉を揺らすだけの光景は、あの終末のような世界などなかったかのような豹変ぶり。今日だったら飛行機飛んだのになぁ、と、取れなかったチケットを憂いてもしょうがないけれど。どの道、恐らくはキャリーケースを外に出した途端に吹き飛ばされるか、今みたいにダンデが当たり前に隣に張り付くのだろうと簡単に予測できた。

「暑いな……アイスでも食べるか!?」
「いらない……テンション高いね?」
「嬉しいからだぜ!」

 弾ける笑顔のダンデはなんて眩しいのだろう。好意筒抜けのそれにこっそり嘆息をする。面倒だなと思わなくはない、と言えば嘘にはなるが、子供みたいに無邪気な顔は嫌いではないから困る。純粋に私との時間を楽しがって、嬉しく思ってくれているだけなのだ。わかるからこそどうしようってなるだけで。万が一うまくガラルから飛び出せたとしたら、ダンデは小さな男の子に戻って泣きじゃくるのだろうなんて、ふと考えてしまって、またこっそり溜息を吐いた。

「あ、」

 不意にダンデが小さく零したと思ったら。これまた強引に腕を引っ張られて強靭な肉体に受け止めてもらう。なんだ、と思う前に真横を猛スピードでココガラが飛びぬけていった。ばびゅん、と力強い風が吹き抜けて髪も服の裾もばさばさと揺らされる。それにしてもかなりのスピードだ。もしあのまま同じ位置で歩いていたら、くちばしが背中に突き刺さっていたかもしれない。ダメージを想像して今回はぞっとした。

「危なかったな」
「う、ん……」

 ココガラが猛スピードで飛び去って行くのはガラルでは決して珍しい光景ではない。彼等も容易に人間にぶつからないようしているようだが、今みたいにスピードのあまり衝突を避けられないケースもあって、偶にニュースにされている。危うく渦中の人にされるところだったと肝が冷えた。

「俺がいなかったらと思うとぞっとするぜ……イリスに何かあったら俺は正気じゃいられないんだ」

 強靭な肉体に受け止められた私の体を、今度は片腕でそうっと包んで、でもくっつきすぎない絶妙な加減で。頭に顔を寄せて悲しそうに、寂しそうに憂うダンデ。荷物は全て片手に集約されて、その上で軽々私を引き寄せて抱き留めていた。
 その片腕の中で、ふわっと、何故だか今までの光景が流れていく。主にダンデとの時間だ。あの嵐の日以外にもダンデの気持ちに呼応したような天候は間々あって、でもダンデが心から笑うと祝福を受けたような穏やかな世界に戻っていく。ありえないことなのでダンデが自然を左右しているとまでは言わないが、あの太陽みたいな笑顔を間近で見ているとそうとしか思えない時は少なからずあった。もちろん単なる妄想に過ぎないが、いつの間にかダンデが中心に居座るようになってからは。

 それに、いつだってダンデは私の身の安全を最優先してくれる。今日のバッグの角やココガラの件以外でも。どうしてなのか、私の身に大なり小なり何かが起きようという時には必ずダンデが現れるのだ。それははたして虫の知らせなのかなんなのか。お陰様で怪我という怪我も、病気という病気もすっかりしなくなっている。それはつまりはどこにでもダンデが現れる、ということなのだが。
 でも改めて気が付いてしまったら、どうしてガラルから出ようと思っていたのか、なんだか馬鹿らしいことのように思えてくるから摩訶不思議である。諦めとはまた違うが、近しくて、だけどとても遠い感情。自分でも判然とはしないが、この腕の中が存外嫌ではなかった。
 あんなにこの太陽から逃げたかったのにな。

「……私、ガラル出るの、やめようかなぁ」
「!!!!」

 ――その瞬間のきらめきと言ったら。

「本当か!!!?」
「うるさっ」
「だって、だ、だってッ!!」
「落ち着きなって」

 ダンデのきらめきに触発されたように、心なしか太陽の輝きが増したような気がする。そろそろ陽が落ちてもいい時間帯にも関わらず。暗に私の心のフィルターのせいであろう。

「なんか、ダンデの側が世界で一番安全な気がしてきた」
「もちろん全力で守るぜ!!愛してるからな!!…………あ」

 さも初めて外に気持ちを出してしまったと言わんばかりに自分で驚いて、次いで頬にほんのり赤みをさして。もごもごと口をやってから、あー、うー、とか唸って。そして、最後は私の反応を伺うようにちらちらと。なんで初心な反応なんだよって、思わず笑ってしまった。安心しな、最初から知ってたよ。


20240402