短編
- ナノ -


 朝ぼらけをのぞむまで(拍手お礼)


 眠れないな、とベッドの中でごろごろと態勢を変えたり起き上がって首を回してみたりと、色々としてみたが未だに眠りに落ちそうにはない。目が冴え渡っているわけでもない微妙な感覚に溜息が漏れた。
 別に、明日は休みだから早起きする必要もなく、夜更かししても特に問題はないのだが。
 寝ようと思ってそのつもりでいたのにそんな気持ちとは裏腹な状況に、瞼を閉じても一向に微睡めない。

 よくないけど…と理解しつつ、スマホに手が伸びた。暗闇に慣れた目に眩しい光は辛いが、そんなものすぐ慣れてしまうから、顰めていた眉も時間をそうかけずに戻ってしまう。
 適当にネットニュースやSNSを閲覧してみるも、当然ながら眠気はやってこない。
 眠れないと、ついどうでもいいことばかり考えてしまうもので、そのせいで余計に眠りから遠ざかっていく。
 本当にとりとめのないことばかりだ。最近した失敗の話や、ベッドに入る直前まで見ていたテレビの内容。
 そして、最近会えていない男のこと。段々と、頭の中を占有するものがそれだけになっていく。
 今何をしているだろう。もう眠っただろうか。今日も立派に務めを果たしたのだろうな。そろそろ、あいたいな。

 もういっそのことこのまま起きていようかな。ホットミルクでも作ってみるのもいいかもしれない。そう思い始めた頃。
 バサバサッと、窓の外から何かの羽音が聴こえた。

「……?」

 野生の鳥ポケモンが通ったのだろうかと最初は思ったが、それにしては音の滞空時間が長いし、すぐ近くから聴こえる。電線か何かにとまれば羽音は止むだろうし、バサバサと羽音が止まないのであればそれは即ち、すぐそこで羽ばたいたままということになる。
 しかもこの音、なんとなく、聞き覚えがある気がする。
 なんの変哲もない、いたってありふれたポケモンの羽ばたき音の筈なのに。

「……まさか」

 急に予感が閃き、スマホを放ってカーテンを閉めた窓へと向かう。微かに月の光と電光を透かしているそれは、その中に更に暗い影を透かしている。バサバサと翼を動かす大きな姿と、その中央に伸びている形。
 カーテンを左右に開いてみると、はたしてそこには閃いた予感通りの姿があって、予想していながらも目を丸くしてしまった。
 私と同じように目を丸くする、ダンデがリザードンの上で浮いていた。
 一瞬で元々寝ぼけていない頭が覚醒する。すぐに窓を開ければ温度が下がっている外の空気が肌をひやっとさせたが、それどころではなかった。

「なんで!?」
「びっくりしたぜ!」
「こっちのセリフなんだけど!?っていうか、夜中に近所迷惑だしバレたらまずいし降りなよ!」
「入れてくれるのか?」
「しょうがないなぁ!」

 深夜とはいえ起きている人間もいるだろう。通行人がゼロな訳でもない。夜の帳が下りて大分経っているとはいえ、こんな時間にチャンピオンが自宅でもないアパートのすぐ前で飛んでいるところなど、見られたら世間をお騒がせするに違いない。
 窓から離れると、ギリギリまでリザードンが近寄ってきて、次いでダンデが大きくジャンプした。綺麗に窓枠に足をかけてそのまま窮屈な窓の大きさにも関わらず器用に体を入れ込み、目の前で着地する。なんというか、さすがだ。
 リザードンに「ありがとうな」と労いの言葉をかけてからボールに戻したダンデに何をしていたのかと問い質そうとした矢先、振り向きざまにそのまま抱き寄せられてしまった。

「会いたかった」
「……どうしたの、いきなり」

 開口一番の言葉に不覚にもたじろいだ。やんわりと、しかしほんの少し力を込めて、抱き締められる。首と肩の境目に顔が埋められ、長い髪が剥き出しの肌を擽った。くすぐったさに身を捩るとすりすりとその場で頬ずりを始めたものだから、本当にどうしてしまったのかと心配しつつも、満更でもないのでそっと背中に手を回した。
 ダンデの体は夜風に晒されたせいで、少しだけ冷たい。

「その……急に、会いたくなって」
「こんな時間に?」
「眠れなくて……。イリスの事ばかり考えてしまって、更に」

 心なしか甘えるかのように聴こえてしまった声音に、ぎゅっと心臓を鷲掴みされてしまった。
 忙しい身の上であるダンデと、頻繁に会えるわけではない。ガラルで彼を知らぬ者など限りなく皆無に近いし、外で気兼ねなく会うことなどめったにできない。承知の上で関係を結んだものの、それをしょうがないことだと理解していても、寂しさがないわけでもない。
 喜んでもいいのやら。私だけではなかったようで、それは。

「……私も。私も、眠れなくて、ダンデの事ばっか考えてた。あいたいなって、思ってた」
「お揃いだな」
「それで飛んできちゃうんだからさすがダンデだよね。私が寝てたらどうしたのさ」
「顔が見られなくてもそこにいるんだと思えるだけで良かったんだ。だから、こうしてイリスが迎えてくれてとても嬉しい」
「私も嬉しいけど深夜にホバリングはやめなよ……リザードン可哀想でしょう」
「リザードンも君に会いたがったんだ」

 頬ずりをやめて顔を上げたダンデが、正面から目を僅かに細めて笑いかけてくる。呆れも正直あったが、その優しい笑みを見るだけであっさりと毒気が抜かれてしまう。
 大きく口を開けてにっかりと笑う顔も好きだけど、この顔もたまらなく好きだった。愛しいと含ませてくれている、私だけの特権。

「……ホットミルク作ろうと思ってたの。蜂蜜も入れて。飲む?」
「それは飲みたいな。ちなみに明日の予定は?」
「なぁんにもないの。真っ白」
「残念ながら俺は朝から仕事なんだ。でも、イリスを抱き締めながらでないときっと寝られないだろう」
「はいはい、抱き枕になってあげますよ。私は早起きの必要ないけど、優しいからダンデと一緒に起きてブレックファーストも用意してあげよう」
「気にせず寝ていてくれと言いたいが、とても魅力的だな。この後、眠るまで寝物語は必要か?」
「……ううん、なんにも話さなくていい。ただ、ダンデがいてくれるなら、それでいいよ」

 たくさん話したいことはあった。でも、顔を見た瞬間そんなのどうでもよくなった。
 ただ、会いたかったのだ。
 会って、顔を見合って、温もりを感じて。それだけでいい。ホットミルクを二人で飲んで、ベッドに二人で寝転んで、おやすみを交わして、朝目覚めた時そこにまだ温もりがあれば、それだけで。
 朝を待つだけの静かな夜に、今この時は私だけではなくダンデもきっと、不必要な言葉は要らなかった。

 もう、眠れないこともないだろう。