短編
- ナノ -


 お前はまるでダイナマイト


 真面目な大人しい人間、というのが第一印象である。別にスーツを着てくる必要もないのにパリッとした黒いスーツを毎日着てきて、口調も少し固め。仕事の話以外に口を開く機会もそれほどなく、日々目の前の仕事にただ打ち込むだけのような。
 そういう性格の人間なのだろうと、それですぐにイリスのことを気にするのはやめたのだが、リーグに入ってきて初日以降、あまり関わることもなかったから、印象が更新される出来事もなかった。表立って意見を述べたり押し通すような人柄ではなさそうで、会議に混ざる際も意見を求められない限りは黙して話を聞いていた。ぴんと伸びた背筋は初めて会った時からとても綺麗で、なんとなくそれは頭に残っていた。もう一年近くずっと、真面目で自己主張はほとんど、いや皆無な女なのだと、どこか堅い女なのだと、そう思い込み続けてきた。

 それが、何故か、どうしてか。
 そればかりがチリの頭の中をぐるぐるとしている。

「いやなんでなんッ!?」
「……?ああ、あれ?どうしているんですか?」
「どうしてってアンタがチリちゃんこと連れ込んだんやろ!?」
「そうでしたっけ?」

 ――何がどうして、ホテルの一室内にて惜しみなく下着を露にしたイリスが、こてんと首を傾げて、こちらをぼんやりとした瞳で見つめてきているのか。

 先程まではリーグの人間たちと飲み歩いていたのだ。大きめの仕事が無事に終わり、打ち上げと称したバカ騒ぎをテーブルシティでして、時間と共に段々と人が帰路につく中、最後に残ったのは何の因果かイリスとチリで。それに正直なところ困惑が先にあった。けれど例え苦手な相手だったとしても笑顔でコミュニケーションを取れるのがチリという人間である。表向きはにこにことして会話のペースを掴めるチリは、だからいつも通り、あまり話した回数のないイリスと、他愛ない話をしようとしていたのだが。

「……帰ります。眠たいので」

 あっさりとイリスにそう返されてしまったので、チリは面食らって内心溜息を吐いた。時と場合によっては女同士の方が盛り上がったりするが、同時にやりづらいこともある。面倒にならないのならそれはそれでよくて、しかし、そう言うならじゃあ解散また明日、をしようとした矢先。

「ん?」
「帰りましょう」

 するりとイリスの腕がチリの腕に絡んできて、僅かに頭がチリの二の腕に当たった。それはつまり二人の近さを表している。チリは頭の上にクエスチョンマークを並べながら目を丸くしてその顔を覗き込むと、イリスは口を結んで、普段リーグ本部内でモニターと対面する時と一切変わりない顔をしていた。けれどその眼差しだけはどこか緩くて、眠たいと言っていたが確かに重たそうで。
 ああ酔っているのだとすぐ気が付いた。いきなり関わりの薄いチリにこんなことをするなんてどういう了見かと思いきや。顔に出ないタイプなのか、よくよく観察してみないと頬も赤くは見えないし、口調も抑揚も仕事中となんら変わりないので、これが酔っている状態だとは今まで気付かなかった。そもそもイリスと酒の場で顔を突き合わせる場面が今日までなかったのである。どれだけ誘われようと真面目な顔をして断りを入れてくるのが常だったから、寧ろ今夜酒の場に出ていたことにチリは驚いていたわけで。今回は気紛れだったのか単に予定面に都合がよかったのかチリには知らぬことであるが、あまり酒を交わさない人間が混じるのであるなら何かいつもと違う面白いことがありやしないかと、実はそんな好奇心のような下心だってあった。

 その結果がこれとは。頭痛がしてきて額を押さえると、相変わらず何を考えているのか顔からは読めないイリスがまた小首を傾げて、何故かチリの頭をいいこいいこと撫でた。それにチリは再び確信するわけだ。
 ああこの女はやはり酔っている。

「寝てもいいですか?眠たいです」
「ええ……?寝るってホンマの意味の寝る?」
「ホンマの意味……?」

 不思議そうな口をされても困ってしまう。だってホテルの部屋に入った途端イリスがチリの目など気にせずばさばさと服を脱いでしまったのだから。
 てっきり家まで送れという意味なのかと、イリスの腕を解釈したチリだったが、イリスが指差す方へと歩いていった結果、辿り着いたのがここらでもそこそこいい値段のするホテルだったのだから、思わず大声でツッコミしかけた。かといってホテルで暮らす人間だっていないわけではないので寸でのところでそれは飲み込んだが、チェックインする際にどうやらそうではなさそうだということを知って、ますます意味が分からなくなった。しかも、ご丁寧に二人分で部屋を取って宿泊するという。うまい具合に空いている部屋があったものだから、あれよあれよというままにチリはイリスとホテルの部屋に入ってしまった。そういう部分では自分にもしっかり酒が回っているのだと後から思う。まぁ、とは言ってもイリスの腕が思いの外力強く巻き付いているから、思い切り振り払わない限りは逃げようもなかったのだが。これが男であれば容赦なく手も足も出せるが、なにせ自分をホテルまで誘導したのが一見お堅そうな女であるからして。

「…………あ、ああ。すいません、えと、クセで」
「は?クセ?」
「はい。一人で適当にお酒飲んだ後はよくここに来るので。今日は違うのに……クセで家じゃなくてこっち来ちゃいました。家帰ろうと思ってたのに、足が、つい」

 言い淀むようでいてしっかりと白状したイリスが、けれど羞恥心を見せる気配もなく、滔々とそんなことを。そこでやっと、チリはなんとなくだが察した。

 真面目で大人しいと思い込んできたイリスは、多分、貞操観念が緩いのだろう。第一印象でお堅い心証を持たせる風体と雰囲気のくせに、実体は男に困らないのだ。恐らくその男も酒の場で引っかけてくる類と思えた。今だって頭と体がちぐはぐになり、足は慣れた道を歩いてしまって、自分が腕を絡めているのが誰なのかも失念と言うか酔った頭は都合よく忘れていて、それでも本格的に寝るために準備はしようとしていた。寝る時は服を脱ぐタイプなのかは知らないことだが、一応イリスの頭の中ではしっかりと睡眠をとるつもりだったのだろう。
 加えてチリを動揺させたのは、眼前で晒されているその下着が、かなりの男ウケを狙っているデザインだったこと。チリはこういうのに興味はないが、ネットや雑誌をさらえば例の一つとして出てきそうな。派手な色でフリルとレースがあしらわれているそれがスーツの下から出てきたことにもかなり驚いたし、思わず見入ってしまった自分が可笑しかった。
 こんなん平気で仕事中にもつけていたのかと。ついついと思ってしまったのだ。流石にさほど親しくもない間柄だから下着の趣味にまで探りを入れたことも想像したこともないが、パっと見の印象として、まさかこんな下着を平気な顔で着けられる人間だなんて思ってもみなかった。今まで見てきたイリスは、そう思わせないような顔と態度を職場ではしてきたわけだ。
 それが、蓋を開けてもみれば、こう言っては失礼かもしれないが、堅さに擬態するだけの、多分男好きで、色々と緩い女。偶に耳にするが、お堅くて真面目な女ほど大胆だという話は本当なのかもしれないなんて。

「お堅い雰囲気とは反対なえっぐい下着つけとんなぁ……。男ってみんなそんなんが好きなん?」
「いえ、これはただの趣味です」
「え、そうなん?」
「可愛いのが好きなんです。着け心地よりデザイン重視で。それより、私のことお堅いって、そんな風に思ってたんですか?」
「あ……スマン」
「別に、構いませんけど。……何つけても、何を着てもいいでしょう。スーツは服の組み合わせに悩まないし機能性が気に入っているから着ているだけだし、下着も好きでつけているだけです。誰かにどう思われたいからとか、そういうのは特に考えていないです」

 ポロリと言ってしまったことにすぐ申し訳なさが募ったが、あっけらかんとイリスが首を振ったから。そうして、淡々と放たれた言葉に、あ、と心が零した。
 誰にどう思われようと構わない。チリだってそうなのだ。自分が好きな形、服、色。その上で気に入って、似合うもの。そういうので出来上がっているのが今の自分だ。誰かによく思われたくてしているのが、今の形ではない。見た目で判断されることは昔から多々あって、その度に好き好んで選んでいるものにとやかく言われる筋合いはないと、思ってきたのに。自分が跳ね除けてきたことをイリスにも押しつけていたことに今更気が付いて、歯がゆい気持ちに襲われる始末だった。こんなよくわからない状況の中でも、無意識の感情を恥じて止まない。チリは薄く唇を噛んで、もう一度謝罪した。

「あ……でも……」
「でも?」
「そういう話してたら、むらむらしてきた」
「はぁ〜〜〜?」
「いつもこのホテルで遊んでるから……。……あ、」
「……いやいやいやいやいや」
「ちょっとほら、こっち、こっちまで来てくださいよ。ほら、疲れてるでしょう?立ったままはなんだし、あそこにほらなんとベッドがあります」
「眠たいとちゃうん!?」
「目が覚めてきました」
「嘘やろ」

 眠気とは別種の緩さを宿した瞳が、パッと閃きに一瞬輝いたかと思えば、じ、とチリを意味ありげに射抜く。まさかと思って後退しようとしたが、こんな時ばかり素早くチリの腕をイリスが掴んでしまう。動揺している隙にと言わんばかり、イリスがぐいっと腕を引けばチリも簡単に前のめりになって、二人揃ってベッドになだれ落ちてしまった。チリだって少なくない酒が入っているのだ、いつもよりキレの悪い自分の頭を起きろと引っ叩く余裕もない。
 ――そうして感じる柔らかさと温かさ。まるで全てを受け入れて包み込んでくれるような、大らかな何かを感じる。一歩遅れて、イリスがチリの顔を谷間に迎え入れているのだとわかった。自分にそういう趣味はない、と声高に宣言しようとしていたのに、思っていたよりも直に感じるそこが落ち着く場所で、とくとくと心臓の鼓動まで肌に感じてしまうと、いよいよ口がろくに開かなくなってしまった。

「……着痩せするタイプやったんね」
「よく言われます」

 咄嗟に口を衝いて出てきたのがそんな言葉だったから、やっぱり頭が回っていないに違いなかった。でもそんな言葉が出てしまう程、イリスの胸は服の上からではわからなかったくらいに豊満で、ハリがあって、滑らかで、なんなら鎖骨も腕も足も全部綺麗だった。それはきっと若さによるものが大きいだろうが、それだけに頼らない磨きを伺える。そこまでわかってしまえば、いくら関わりがほとんどなかったとは言え、チリはイリスのことを何から何まで想像の中の人物像として見ていたことを心底痛感した。

「……キスからしてください」

 でも、そう懇願する顔が、瞳が、色味が薄い唇が。あまりに婀娜で、お堅さなんか微塵も感じさせない、或いは脱ぎ捨てたそれが、ほんのり煌いていて美しくて、見ていると吸い込まれてしまいそうで。
 艶と潤みを乗せた眼差しが酷く悩ましい。知らず知らず生唾を呑み込んでしまうほどに。こうしてたぶらかそうとする男をたぶらかしてきたのだろうと直面してみると悟った。だって、間近でそれに触れているチリの気持ちが、今にも絡めとられそうになっているから。お堅いなんてとんだ勘違いのお笑い草だった。男と遊んできたんじゃないのかとか、女でいいのかとか、どんだけゆるゆるなんだとか、色々とあったのに、イリスから引火したように、キスからすればいいのかと頭が受け入れていることが驚きだった。
 お堅いと思いきや、下着も含めて中身はこんな。そんな使い古されたネタのような。

「あ、私ドМなので。チリさんが上でお願いします」
「いやホンマにエロ漫画か!」

 そういう縮図みたいな女が現実にいたことと、そこに自分が入っていることが、少し面白かった。


20230120