短編
- ナノ -


 嗚呼プラトニックであれ


「え?彼氏?」
「ああいえ、まだです」

 チリさんがそりゃあもう目を見開いて、これでもかって驚いた顔をするから、なんだか私も萎縮してしまった。そんなに可笑しなことを言ったのかと少し不安になる。
 夕方頃、毎日のようにリーグからテーブルシティに下りてきて、メイン広場の裏にあるうちでアイスを買いに来てくれるチリさんと、世間話をするのはいつものことである。今日も陽の傾きかける中、チリさんの方から話を振ってくれて、他愛ない話に華を咲かせていたのだが、どういう流れかはもう忘れてしまったものの、私が今度初対面の男の人と会う約束をしていると口走ったら、チリさんのこんな顔が突然お披露目になった。

「え?でもアプリでしか話したことないんやろ?安全なん?」
「一応有料だからある程度使う人間はしぼられてるし、こういうのは会ってみないとわからないので」
「せやかて、本当のことばっか書いてあるかわからんやん?」
「まぁそれはそうですけど。でもサクラではなさそうだし、一回くらい会うのもいいかなぁ、て」

 なんとなく出会いが欲しいなぁと思って始めたアプリで、最近毎日メッセージのやり取りをする人がいるのだ。趣味がいくらか似通っていて、明るい雰囲気を文章からも感じられるし、悪い空気は一切ない。写真だけだが互いの顔もわかっている。これで詐欺目的や体目当てだったら消沈するが、それもまた会ってみないとわからないことである。怖がって会わなければ一生進展もしないので、まぁ一回だけでも、と思いきって次の土曜日に会う約束をした。友人でも同じアプリを使っている子は何人かいて、その子達もマッチする人間の質はまちまちらしいが、今のところ何の被害も出ていない。

「ふーん……」
「大丈夫です。だめそうだったらさっさと帰りますから」
「帰してくれればいいけどねぇ……」
「防犯ブザー常備してるし、いざとなればそれ投げつけます」
「ぷっ、鳴らして周りに助け求めるんやなくて?」
「全力で投げます」

 健全な恋愛しかしてこなかったし、今もアイスを売る平凡な毎日だ。どこか刺激が欲しいのだと思う。仕事は変える気は今のところないので、そうなれば人間関係。新しい趣味を持つ選択もあったが、イマイチ惹かれるものがなかったので、評判も上々のアプリに手を出した次第である。危険があればその時逃げればいい、なんてのも甘い考えかもしれないが、そんなこと言ってしまえば世には危険なものがそこら中にごろごろ転がっているのだから、今更だ。
 チリさんはしばしぷすぷすと笑った後、溶けかけているアイスに気が付いて慌てて舌で掬い取った。どうやら帰り道にあるらしいうちのアイス売りの屋台は、常連のチリさんのお陰で売り上げが安定していると言っても過言ではない。いくらでも街中に屋台販売はあるし、メイン区画に同じメニューの屋台はあるが、チリさんはわざわざここまで歩いてきてくれる。家へ帰る途中だからとは言うが、必ずここでアイスを買ってくれるから、メイン広場で買わないのかと訊ねたこともあったのだが、本人はただくつくつと笑っていた。ついでに冗談のように、私の作ってくれるアイスが美味しいからなんて。冷凍しているものをただ掬ってコーンに乗せているだけだからどこも味は変わらないので、お世辞も言える素敵な人なのだ。それに、屋台の後ろでお客を待つ私を見つけて、目が合った瞬間、仄かに瞳を煌かせる。この人はそのくらいアイスが好きなのだ。そういうところがちょっとかわいいなって、前から思っていた。

「……そんなに、恋人がほしいん?」
「うーん、まぁ……」
「なんや、煮え切らんな」
「刺激が欲しいってのが、多分一番なので」
「チリちゃんは刺激にならんの?楽しくない?」
「え?楽しいですよ?いつも来てくれてありがたいです」

 閑古鳥の鳴く時間もあるから、手持無沙汰な時間にチリさんが話をしてくれると凄く助かるし、何より話題が豊富だから話をしていてとても楽しい。素直に伝えたら、妙にも目を閉じて笑いながらアイスを齧っていた。


  ◇◇


 土曜日、待ち合わせに指定されたハッコウシティの入り口付近にある、屋台販売店の連なる休憩スペースで、念のため約束の時間の三十分前にしっかりお洒落して待っていたのだが。

「チリちゃんとその男、どっちの方がかっこいい?」

 何故か、チリさんが目の前にいた。スマホを見ていた私に急に影がかかったので、約束していた人が来たのかと思いきや、顔を上げた先にいたのはいつもと雰囲気を変えた、このチリさんだった。目の前に前触れなく現れたチリさんは、リーグ帰りに会う時とは全く異なる、見たことのない私服姿だから、仕事としてここへ足を運んだわけではなさそうである。手足の長さをこれ見よがしにアピールするような、その背丈にようく似合っている格好だ。ピアスの種類も違う。威圧感を与えない程度の、いくらか小さめのやつ。

「知らん男とデートなんて、知ってて見過ごせんのよ」

 呆然とチリさんを見つめる私に、薄く笑いかけて。首を僅かに傾けて、私の顔をその綺麗な顔で覗き込む。後ろに引けば引いた分チリさんが長い足で前へと出て詰めてくる。足の長さが違うせいであちらはせいぜい半歩ずつだろう。そうして、私達の距離が開くことは永遠になかった。

「なぁ、なんでチリちゃんが毎度毎度、アイス買いに行ってたと思う?」
「……え、帰るついでに」
「ちゃうねん。イリスに会いに行ってたんよ」

 覗き込む綺麗な顔にある目をほんの少し細めて、チリさんは尚も笑っている。普段は手を叩いて豪快に笑ったり、おちゃらけたりする一面も見せるのに。そういうのは一切しまった、知らない笑い方。
 この時、予想だにしていなかった怒涛の展開のせいで、迂闊にも今ははたして何時何分かなんて確認、すっかりと忘れていた。

「気付いてた?イリスのシフトの時間に合わせてたんやで?休憩にしてもろて、会いに行ってたんよ。そんで、アンタが休みの日は行ってない」
「休みなんて、わかるんですか……?教えましたっけ?」
「そんなん、通ってたらすぐわかったわ」

 私を見つめるチリさんの瞳が、仄かに煌めいていて、それでいてじりっと焦げ付いているように見えた。チリさんとは何度も顔を合わせてきたし、話もしてきたけれど。こんな色んな感情が絡み合った赤い瞳の複雑さは、出会ってから今まで見たことがなかった。

「どうする?このままチリちゃんにエスコートされるんと、知らん男と手探りの会話して気疲れするんと、どっちがええ?」

 急に選択を迫られてしまったが、要は、私の邪魔をしにきたのだ。恐らくは、私がせっかく見つけた出会いのきっかけを私の許可なく潰しにきている。理由はとりあえず横に置いておいて、それだけははっきりとわかった。
 それで、私に今この場で選べって迫っている。会うのが初めての、これからどうなるかは全くわからない、話したことも写真も本当かもわからない人間と、顔見知りである程度互いの情報を持っているチリさんと。でも後者は、私に、自惚れではなく、多分。

「……その、」
「ちなみに、もう待ち合せの時間過ぎとるよ」
「えっ」

 慌てて片手にしたままだったスマホを確認したら、言われた通り時間はとっくに過ぎていて、既に十分以上は経っている。しかも、何も相手から連絡は来ていない。時間にルーズな人は苦手で、あらかじめそのことも伝えてあったのにも関わらず、だ。パルデアの人間で時間をきっちり守ろうという意識はあまり多くはない。しかも事前に何の連絡もなしに、だ。私は残念ながら、そういうのがとても嫌な性質である。

「チリちゃんならその辺の適当な男と違って、ブティックはしごしても、甘いもの巡りでも、どっかでお喋りだけでも、なんでもかまへんよ」
「……」
「時間はきっちり守る方やし、連絡だってマメや」
「……とりあえず、今日だけ、は」
「おりこうさんやなぁ」

 にっ、と笑って、私の耳に髪を掛けた。今日は何もつけていない素の指が、細くて長くて、陽の光に照らされる爪の色まで綺麗だった。
 チリさんに見守られながら、会う予定だった男にはキャンセルの連絡を入れた。けれどすぐに返事はない。そもそも今ここに向かっている最中なのかもわからない。やきもきしていたら返事が一つだけあったが、なんとまだ家だという。それにますます呆れて深いため息が零れた。適当な人間に振り回されるのは御免である。もう、メッセージを送ることもない。

「移動しよか。万が一もあるし別の街に行った方がええやろ。タクシー乗ろ」
「そう、ですね」
「ほんまもったいないなぁ、こぉんなかわゆいイリス見逃したんやから。まぁ、チリちゃんはそれで大歓迎やけどな」

 さりげなく車道側をキープしたチリさんにつられるように歩き出すと、にたりと効果音でもつきそうな程笑った。何とも言えなくてそっぽ向いたら、前見てへんと危ないよ、なんてわざとらしく言われてしまった。

「甘い物、食べたい。チリさんも好きでしょ」
「実はなぁ、チリちゃん、別に甘いアイスが好きなわけとちゃうんよ」
「え」

 最後の最後に驚いて咄嗟にその顔を見上げると、またにぃっと笑われた。悪戯が成功したような、無邪気な笑い方だ。でも、すぐ目を細めて、明らか含みあり気に笑い直す。

「意味、よぉく考えてや」

 意味も答えもとっくに出ている。とぼけられるほどチリさんの暴露は聞いていなかったわけでもない。チリさんがここにいる理由も、わからないほど、子供でもない。これでは思っていた以上の刺激がこれから待っているのかもしれない。でもまだ、それを口にするのはいたたまれなくて、あぶないんだからと前を向いた。


20221210