短編
- ナノ -


 思い出が未完成


 イリスに興味なんか欠片もなくて、それなのに好意を向けられて、少々困っていた。バトルタワーという同じ職場であることや、彼女がバトルタワーで受付を担当しているゆえんもあって、どうしてもタワーに入ると真っ先に顔を合わせざるを得ない。
 人からの、甘ったるいというか、そういう気持ちにはいつの間にか聡くなってしまった。まだ子供だった頃はその手の話には疎くて、邪な手に絡めとられそうになった経験もあったくらいで、まだまだローズ委員長の庇護下であることが必要だった。それが自然と身に着けていった処世術の一貫なのか、はたまた元々そういう才気があったのか。段々と、人から向けられる感情の種類がわかってくるようになると、楽にはなったが辟易する部分もあって。

 あからさまな方があしらいやすい。だけど、イリスは明け透けではなかった。見ていて、ああこの人は多分俺のこと、と上から目線かもしれないが気付いてしまう程度に、顔を合わせると必ず熱の籠った視線を向けられる。近くに立つと微かに肩を震わせる様はいじらしさすらも感じられた。
 しかし、色恋沙汰には全く興味がないのが本音であった。まだバトルタワーも軌道に乗ったばかりで、チャンピオン時代と比べれば自由な時間も持てるようにはなったけれど、やりたいことをやっている最中なのだから、そちらを優先してしまう。もっと気を抜けと怒られることも間々あるが、ようやく自分の好きなことに全力を向けられるのだから、自然と頭も体もそうなってしまうのだ。だから、早い話が、よそに目を向けられるような余力は今のところないわけである。

「おはよう」
「おはようございます」

 タワーに入って一番に、イリスの顔を見つける。いつもの朝の通りだ。次々と出勤してくる職員に仕事として笑顔を振りまくイリスは、しかし俺を見つけた途端きゅっと唇を引き結んで、軽く息を吐いてから、俺に朝の挨拶をくれる。ほんの少し肩を萎縮させて、僅かに細くなった目元にも頬にもほんのりと、化粧ではなさそうな赤みを差して。さっきは目がしっかりと合ったのに、今は俺と目が合いそうになると泳がせて、でも俺の目を見ようと戻しては、の繰り返し。彷徨わせる視線の行き場に困っているようだったから、さっさと足を進めてエレベーターに乗り込んだ。
 乗り合わせた職員たちと話をしながら、頭の片隅にイリスの顔がちらついた。でもそれは、決して女として意識しているからではなくて。

 さっさと行動に移してくれれば、それで終わらせることは簡単なのに。他の女と比べていささか消極的というか、あまり気持ちを訴えてはこないイリスは、これからもずっとああなのだろうか。もしもそうであるならば、知らない振りをしていればいいだけではある。こちらに応える意思はないのだから、いつか気持ちが変わるのを待てばいいだけのこと。
 ほとんど話をしたことのないイリスは、恐らく俺がチャンピオンだった頃から好意を向けてくれているのだろうと察せた。それが、同じタワーにいるせいでやたら近くをうろつくようになったから、少なからず感情に拍車がかかっているだけだろう。放っておいて、あちらからアクションを起こされないのであれば、静観していればいい。

「お疲れ様、です」
「お疲れ様」

 職務を終えて帰宅しようとアーマーガアタクシーの乗り場に向かったら、そこで、運悪くイリスと鉢合わせてしまった。俺に気が付くとぎゅっと手を握り締めて、縋るようにバッグの紐をきつく握る。偶然出会うとこうなるのはいつものことだ。丁度タクシーに乗るタイミングだったようで、筐体に乗せた片足をわざわざ下ろして、向き合ってくれる。

「……あの、タクシーでお帰りですか?今混み合ってるみたいですよ」
「そうなのか?」
「はい」
「困ったな、今リザードンは休ませている最中なんだ」

 言われてもみれば乗り場には人がごった返している。今日はいつもより早く帰れるせいで、ピークの時間帯にあろうことかぶつかってしまったらしい。なんだ、と溜息を吐いた。早く帰れるのなら、家でポケモン達のケアをしたかったのに。

「待っていればその内乗れるだろう。じゃあイリス、気を付けて」
「あの!」

 手を振ってその場を後にしようとした瞬間、イリスが声を張り上げた。緊張しているのか若干裏返ってしまうと、本人は恥ずかしそうに唇を噛んだ。

「……よければ、相乗り、できますよ」

 ――ああ、と一応逡巡した。得策なのかはわからない。何か仕掛けようしているつもりかもしれないし、単なる善意かもしれない。
 でも、ただ早く帰りたかったのだ。


 狭い車内は膝と膝がぶつかりそうなくらいだが、そうなることはなかった。可哀想なくらい体を縮こまらせて、俺に少しでも腕が当たりそうになると慌てて引っ込めるイリスは、どう考えても俺を意識していることがバレバレだった。茹でられたような真っ赤な顔に、詰めた息を細く吐く様が、どこか女を醸す。緊張なのか興奮なのか、ほんのり息も乱れていて、胸元を握っているのは暴れる心臓を静めたいのかもしれない。
 けれど配慮はできるようで、先に自分の自宅に向かってくれるように頼んだタクシーの中。別にタワーの職員はある程度の人間が俺の自宅の住所も知っているのだから、構わないのに。プライベートを吹聴されると困る立場というのは理解してくれているようだ。自分の家が男にバレるのは構わないらしい。或いは、俺だからかもしれないが。
 赤い空の光と風が入っては抜けていく車内。隣のイリスだけがとびきり熱を放っていた。

「……ダンデ、さん」
「ん?」

 必要以上に口を開かなくてもいいだろうと、あえて窓枠の外を眺めていたら、これまで自分の感情を抑えようとしていた筈のイリスが、突然そうして口を開いた。建前上は失礼にあたるので、顔だけそちらに向ける。発火しそうな程赤い頬のイリスは、自分の豊かな胸元を握ったまま、精一杯目を開いて俺を見ていた。それに鈍感なフリを続ける。あくまで彼女は、同じ職場の人間だ。

「その、え、と……」
「どうした?寒いか?」
「いえ、あの……」

 歯切れの悪さは喉に言葉が引っかかってしまうせいなのか、それとも。小刻みに震える唇が、寧ろ哀れだった。据わりも悪いのか足元も落ち着いていない。

「……前からずっと、応援、してました。もちろん、今も」
「ありがとう」

 ゆっくりと笑みを返した。言われ慣れたことに返すものも慣れている。イリスが本当に言いたかったことは定かではない。ほとんど話したことはないし、俺から振る話題もない。でも、たったのそれだけを言い切るまでに相当な感情の起伏があったのか、彼女は一気に疲れたようだった。
 それから会話はなかった。予定通り先にイリスの家に着いて、イリスも「お疲れさまでした。また明日」と目を相変わらず泳がせながら挨拶をして、タクシーから降りて行った。
 一人になった車内で、気付けば腹から息を吐いていた。居心地の悪い場所はいくらでもこなしてきたけれど、こういうのはやはり疲れる。バトルで先読みは得意なのに、女の好意の先は見通しにくい。時に予想外のことをして、自分に都合よく物事を運ぼうとする。今回は何もしてこなかったが、ゆくゆくはどうなるかわからない。静観して終われば、それでいいのだが。


 それからのイリスも相変わらずだった。必要以上に話しかけてはこないが、俺が近くにいると隠れながら熱心に見つめて、最近は目が合っても泳がせることもなくなった。代わりに、甘くてとろとろとした感情を瞳の中に散りばめる。ある日にはうっかりイリスに触れてしまったこともあって、少し迂闊だったと思う。けれど仕方ないのだ、イリスが段差に躓いて転びそうになったところに偶然居合わせたものだから、そのまま素通りできるわけがない。
 俺の腕に支えられる間の、イリスの顔と言ったら。今にも胸の丈を叫びそうなくらいの、感情の高鳴りが目に見えるようで。
 瞼を見開いて、唇を引き結んで何かを堪える様が。肌を染め上げる真っ赤な色合いが。結んだ唇の隙間から漏れるか細い息の熱さと甘さが。

「お願いが、あるんです」

 ぼちぼちと退勤する人間が増える時間帯。恐らくもう退勤時間を過ぎているが、まだ着替えていないイリスが、俺の執務室にいることが妙な光景だった。

「多分、ダンデさんは、もう、気付いていると、思うんです。私の、気持ち」

 とうとうか、と溜息が零れそうになったのを我慢した。手に持ったままだった書類をデスクの上に戻して、イリスに顔をそっと向ける。ここであまり刺激しない方が良いと思ったから、彼女の挙動を具に観察するようにした。
 でも、観察虚しく、イリスは泣きそうな声を出して、俺に大胆にも言ってのけたのだ。

「思い出だけ、ほしいんです。それで、諦めますから」

 は、と絶句する俺に、本当に泣き始めたイリスは、自分の顔をぐしぐしと手で拭いながら、それでも切羽詰まった声を上げる。

「脈がないの、わかってます。でも、踏ん切りが、つかなくて。だから、お願いです。一度だけ。一度だけ、思い出を、ください。そうしたら、もう」

 静観した結果、知らない内に自分で自分を追い込んでいたらしい。これだから予想がつかないと、今度こそ溜息が零れた。それにびくついて、顔を覆ったイリスから出る、くぐもった鳴き声が室内に鈍く響く。

「……それに乗ったら、俺は最低な男にならないか」
「なりっ、ません」

 躊躇いはもちろんしたが、それで憂いが一つなくなるのならば。誠実であるのならば当然断るべきだろうが、イリスは自分の言葉を守る性質に思えた。
 ふぅ、とまた息を吐きつつ、スマホで番号を呼び出して、いつも使う部屋を用意してもらった。別に前々から女と使うために用意してもらう部屋ではない。家にいたくない時に昔から使わせてもらう部屋だ。
 イリスに部屋番号を伝えると、自分で言い出したくせに目をぱちぱちとさせて、間抜けにも口をぽっかり開けて俺を信じられなさそうな瞳で見つめていた。

「俺はまだこれを片付けないといけないから。先に行って待っていてくれ」

 イリスは、今度は声にならない泣き声をあげていた。



 イリスの嘆願は、中々どうして、確かに記憶に残るようなものになった。
 これきり、とイリス本人も思っているせいか、やたらと積極的で、一度を簡単に終わらせたくないという意思が燃えていた。キスが好きなようで、キスをした時の反応が存外可愛くて、気付けばねだられなくてもキスを繰り返していた。縋りつかれて、ぎゅって抱き着かれて。柔らかい肌を堪能したのは思いの外楽しかったし、一度きり、と内心言い聞かせている様子のイリスは、本当にあれこれと俺にもしてくれた。不思議と、そうしている間は、イリスがなんだか可愛くてたまらなかった。いじらしくて、だけど大胆で、いやらしいのに急に何も知らない少女みたいな顔をする。妙にそれが可愛い。わかっている、一夜だけのマジックだ。それでも、この女はこんなにも、俺のことを好きなんだって、それだけは体の奥深くに刻み込まれたような気がする。
 最後、腕の中で幸せの絶頂のような顔で泣いて鳴いたイリス。少しの間びくびくして、呆けて、弛緩して、でも俺だけを見ていた。そうして約束通りの、一度きりの思い出作りを俺達は終えた。
 ありがとうございました、なんて笑ったイリスとは、夜が明ける前には解散した。タクシーを呼ぶと言ったのに絶対にきかないイリスは自らの足で部屋を後にしたが、どこかすっきりとした面持ちで、俺にさっと伸びた背を向けて冷たい空気の外へと出て行った。
 それにどうしてか、妙に胸がざわついたのが奇妙だった。


 次の日、イリスと顔を合わせて、何故か愕然としてしまった。
 もう瞳に熱は、これっぽっちも宿ってはいなかった。肩を萎縮させることもないし、俺を見つけた途端きゅっと唇を引き結ぶこともなく、軽く息を吐くこともなく、俺に他の職員へ向けるのと変わらない朝の挨拶。目元が細くなったのは笑ったからだけのことで、その頬に見る赤みは、化粧に過ぎない。あんなに俺の前ではおどおどしていたのに、今目の前にいる女はとても堂々としている。
 昨夜のことなどなかったかのように、いや、もう思い出として胸の中にしまったのだろう。不意に、昨夜部屋を出て行く際の、すっきりとした面持ちを思い出した。
 イリスは本当に、俺を諦めたらしい。整理がついたというべきか。肌をこれでもかと合わせたイリスはきっと、もう俺が近くにいても熱を体に孕むことはないし、平然と、お疲れ様ですと、言ってのけるのだろう。もしもまたタクシーで相乗りしたとして、イリスは同僚に話すのと同じ調子で、笑って俺に世間話を振るような気がした。
 一日、二日、と過ぎても、イリスに変化はなかった。俺に挨拶をしたら、瞬きの後にはもう別の人間に挨拶をする。タワーの中で偶然鉢合わせても、ビジネススマイルですり抜けていく。気丈というよりも、自然体のように見えた。無理をしている雰囲気はない。本当に、俺への好意は。

「……」

 挑戦者とのバトルを終えてフロアを歩いていたら、そこにイリスを見つけた。俺に背を向ける形で廊下に佇み、その隣にはリーグスタッフの男を置いて。
 まだ距離があるから二人の会話は聞こえないが、談笑する姿が、どうしてか目にこびりつく。二人はそれから数分話をしたら、仲良さげに手を振り合って別れた。その際、イリスはこちらに歩いてくる。ふと気が付いて顔を上げたイリスと、ばっちりと目が合った。でも、その瞳に動揺はもう欠片もなかった。受付で客を出迎える時と同じ顔と声のトーンで、俺にふわりと微笑む。

「お疲れ様です」
「……お疲れ様」

 そのままイリスは俺の横を通って、恐らくは受付に向かうのだろう。向けられた背中は真っすぐ伸びていて、ついこの前までベビーポケモンのように萎縮していたとは思えない程、凛としている。
 上書き保存とはよく言ったものだ。思い出を得た女の割り切る能力は、かくも恐ろしき。なんて考えたら、少し自分に驚いた。


 距離を置いてイリスを観察してみると、どうやらそこそこ異性の目を集める人間だったらしい。彼女を見つめる熱の入った視線や、下心をあからさまにぶら下げる男を、彼女の周りに何人か見つけた。しかも、イリスがどこか吹っ切れたように見える人間はいくらかいるらしく、あの日を境に近づく男達は日増しに増えているようだった。けれど、俺はイリスと彼等の動向を知らない。元々イリスとはあまり話をしないし、一階と百階では物理的にも距離があるので、タワーの中でもほとんど会わない。だから、イリスが誰と何をしようと俺にはわからないし、そもそも与り知らぬことで。
 興味がない女がどこで何をしていようと、俺には一切関係がない。

「……」

 関係がない。関係がないので、丁度イリスとリーグスタッフの男が、同じ歩調で、並んでタワーから出て行くのを見かけたところで。
 次の日の朝に、受付で顔を合わせたイリスは、昨日の朝と何も変わらない笑顔だった。その次も、そのまた次も。イリスは臆することもなく花のように微笑んでいた。
 俺と寝たくせに。


  ◇◇


 風の噂だが、イリスと食事に行ったと嬉々と話人間が数人いた。でもうまいことかわされて、それ以上に行けなかっただなんて、全く昼間から下世話な話だ。

「……あ」

 思い出を作ってから一月以上経った頃。またタクシー乗り場で鉢合わせたイリスは、既視感のせいか俺を見つめて目を丸めた。混雑するそこは、まだタクシーを捕まえられない職員や挑戦者でごった返している。その端っこで、乗りかけた筐体にかけた足をわざわざ地に戻して、イリスは小さく首を傾けて笑った。

「相乗り、できますけど」

 特に急いでいるわけではなかった。今日はリザードンを休ませているわけでもない。タクシーじゃなくても帰る手段はいくらでもあった。
 だけど、今隣には、いつかの日のようにイリスがいた。同じデザインの車内。同じような赤い空。でも違うのはイリスの服装と、緊張の見られない自然な肢体。赤い頬は化粧の範疇。そして何より、平然と俺に話をふってきている。今日きた挑戦者はどうだったかとか、最近日中が暖かいから眠たくなるだとか、この前行ったどこそこが、等々。以前までが嘘のように饒舌な素振りに、何とも言えなくなった。微塵も緊張を見せないイリスは、本当に職場の人間と話をしているつもりで、俺が誰かなんて、もうどうでもよさそうなのだ。だから躊躇なく、一度だけの思い出を作らせた俺にまた、タクシーなんか勧めてきて。

「……イリス」
「はい?」

 話の途中に名前を呼んで、強引に彼女の口を止めてしまった。けれど、そこから先が出てこない。単純に言葉に詰まったのではなく、わからなかったのだ。何を言いたくて話を中断させたのか、自分でもよくわからない。普段ほとんど呼ばない彼女の名前を今呼んで、何を言いたいのだろう、俺は。

「……かわいかったよ」
「え?」
「あの日の君は、とても」

 結局ぽろっと出てきたのはそんな品性のない言葉で。単語についてではなく、中身の話だ。
 どうしてそんなことを口走ったのかはわからない。でも、俺の中でも記憶として強烈に残ったあの一度だけのことを、イリスといるとどうしても瞼に甦らさずにはいられなかった。
 縋って、震えて、泣いて、鳴いて、跨って、吸って、与えて、舐めて、飲み込んで、咥えて、垂れ流して、抱き締めて、抱き着いて、絡ませて。イリス。宣言した通り本当に思い出にして、もう上書きした女。

「……な、で」

 かろうじて耳で拾えたくらいの、か細い声が車内に落ちた。イリスを見やれば、俯いて、肩をぶるぶると震わせている。当たり前だが寒いわけではない。
 ――この瞬間、確かに胸が踊った。この一月と少し、テキスト通りの微笑みで横をすり抜けていったイリスが、俺を前にしてこんなに心乱されている。思い出をくれと懇願してきた時のことが、脳裏を過ぎていく。

「なんで……今になってそんなこと言うんですかぁ……っ」
「顔見せて、イリス」

 我慢できなくなったから言葉では促しつつも、待ちきれなくて俺の手で頬を持ち上げさせれば、涙で真っ赤の、ぐしゃぐしゃの顔をしていた。羞恥なのか戸惑いなのかは知らない。でも、感情乱されてこんなに顔を真っ赤にして、それを涙で吐き出しているイリスは、レディとは思えない程不細工な泣き顔でもとても可愛かった。
 はっきりと、今わかった。やはり女とは先読みできない生き物だ。上書きなんか、全然できていないじゃないか。
 思い切り涙を舐め上げて啜ってやってから、嗚咽のせいで半開きの口に文字通りかぶりついた。そうしたら、イリスも俺の服の裾をぎゅっと握って、食らいつかれた口はされるがまま。そこで思い切り縋りついてこないところがイリスらしいと言えばらしい。
 何度も角度を変えて口の表面も中もいじり倒した後、スカートの中にするすると手を潜り込ませて太腿を撫でたら嬉しそうに体をくねらせていた。

「……だんで、さん」
「んぅ?」
「や、なの」

 この期に及んで?と口を放して顔をまじまじと見つめたら、よれた口紅と唾液でべったりと汚れた口周りもそのままで、イリスは潤んだ瞳をとろりとさせて、俺の服の裾を軽く引っ張りながら、うっそりとまた口を開いた。開けた口の中でどちらのかわからない唾液が糸を引いていて、白い歯がてらてらと覗く。

「からだだけじゃ、やなの」

 なんだそんなことかと、華奢なのに豊満な体を持ち上げて膝の上に乗せた。向かい合って、でもイリスの頭が天井にぶつからないよう頭を添えながら、その頬を撫でてべたべたの口周りを拭ってやった。そうしたら、イリスもちゃんとわかったらしい。またあの、熱の籠った視線で、今更少しばかり肩を萎縮させて、甘い吐息を漏らしながら、俺だけを見ている。

 君は心も可愛い。


20220803