短編
- ナノ -


 愛しさがすぐそこにある


 久々に丸一日休みだというダンデは、朝からまぁ呑気なもので、ベッドから降りたままの格好でぼんやりとソファに背中を丸めて座り、ただテレビを眺めていた。外だとぴんと背筋を伸ばして、胸を張るのに。かろうじて歯も磨いたし顔も洗って朝ご飯も食べたけれど、何もしなくいい日は久々だから起きた瞬間から相当気が抜けているらしい。でも「あ、ごはん」とぼやいて徐に立ち上がると、手慣れた手つきでポケモン達の朝ご飯を用意しだしたから、そういうことはきちんと動けるらしい。元々自分よりも誰かの為に行動してきたような、時にはそれを求められてきた人だ。それがポケモンを相手にするとなれば猶更なのだろう。

「ダンデ〜、それ洗濯したいなぁ」
「ああ」

 ダンデが着替えたら、私の服と一緒に洗濯しようと目論んでいた寝間着をいつまで経っても脱ぎやしないので、痺れを切らして催促すると、おざなりの返事をした後にばさばさと脱ぎ始めた。パンツ一丁のダンデが「ありがとうイリス、頼んだ」と手渡してくれたから、脱いだだけまだいいかと受け取って洗濯機にぶち込みに行く。後ろを見るとダンデはパンツ一丁のままリザードンと戯れていた。リザードン、しょうがねぇなぁと言いたそうな顔でダンデに顔を擦りつけている。暑がりだしリザードンの体も温かいし、部屋の温度も丁度いいから、あんな姿でも全く問題なさそうだった。

「とはいえ万が一風邪でも引いたら困るから服は着てくださいな」
「何を着よう」
「今日はトレーニングはいいの?」
「いいかな……結構、疲れているみたいだ」

 日課の筋トレすらサボりたいと。あまり馴染みのなかったデスクワークばかりの日々に疲れがとうとう表れたらしい。呼び出されれば嬉々としてバトルをしにいけるが、それがなければずっと書類と一緒に待機だから、チャンピオン時代と打って変わった毎日に疲れるなと言う方が酷だろう。私だって部署が変われば暫く困惑してしまう。英雄だ何だともてはやされてきたダンデだって、私と同じ喜怒哀楽のある人間なのだ。

「二人でだらだらしてるだけでもいいね。気の抜けたダンデでもすぐ側にいてくれて、私は嬉しいよ」
「前はあまり二人で休める日なんてなかったからな」

 仕方なさそうにクローゼットを漁って着込んだトレーナーは私が気まぐれに買ってきたもので、リザードンのプリントがされていたから「あ、ダンデ好きそう」と何も考えずにあげてしまったやつだ。案の定目をキラキラさせて喜んでくれたからつい笑ってしまったものである。そういう時だけ大衆の前で見せる笑い方なんか崩して、子供みたいにはしゃいで、私の何倍も稼ぎがあるのにリザードンのプリントで喜べるお手軽さすら愛しかった。

「どっか行く?天気もいいし」
「ん〜……気が向いたら」
「いいよ。気が向かなければそれでいい。二人でのんびりしよ」

 別に構わないのだ、それで。ダンデと丸一日ゆっくり出来る日なんて今まで限られていたのだから。何の気構えのないダンデを独占できるのであれば、喚き散らしてどっかに連れていけなんて言うべくもない。ショッピングやレジャー施設に赴いて思い出が増えるに越したことはないだろうが、ゆっくりすることだってその一つに十分なってくれる。
 ソファに二人並んで、お揃いの色違いのカップで紅茶を飲む昼前の時間は、結構好きだ。一口飲むたびにホッと息を吐くダンデを間近で見られるのも。相変わらず背中は丸まっている。嬉しいなぁ、と頭の中はそれでいっぱいだった。ダンデと合わせて取った休みだから、殊更に一緒にいられるのが幸せだ。
 ダンデもどこか嬉しそうというか、私が近寄って頭を肩に乗せると「ん?」と微かに首を傾けて、私の頬を指の関節でするりと撫でたりする。機嫌が良さそうと言うべきか。何にも縛られていないダンデは空気がとにかく穏やかで、私が甘えると更に上機嫌になる。だから私の機嫌だって波風が立たない平和のままで、ゆらゆらと同じ波長を続けられる。
 少しの間二人でそうしていると、不意にダンデがくぁ、と大口を開けて遠慮のないあくびをした。肩に預けた頭からその振動がようく伝わって、もぞりと頭を動かしてダンデを覗き込んだ。前を見ているようでどこも見ていない目で、半分近く瞼が下りてきている。

「ダンデ、眠いの?」
「いや……」

 否定はしても目がとろんとしていて、説得力がまるでない。テレビは点いているが二人揃って頭には入って来ていないし、あまりに穏やかな空気に本当に気がゆるゆるみたいだった。掃除も洗濯も終わったし、お昼ご飯には少し早いかなという頃合い。もしかすれば私がくっついているのも原因かもしれない。好きな人の熱って凄く安心できるものだ。

「しょうがないなぁ、どうぞ」

 体を戻して、ぽんぽんと見せつけるように膝を叩くと、ダンデは一瞬ぽかんとはしたけれど、おずおずと寝転んで私の太腿の上にゆっくりと頭を乗せた。数秒かけて頭の落ち着くポジションを探してもぞもぞしていたダンデは、すぐに大人しくなる。男の頭一個分の負荷がかかるそこは、しかし嫌な重みではない。寧ろ本当に乗ってくれたのかと胸が高鳴る始末だ。

 ダンデが甘える姿なんかあまり見たことがない。たくさんの人に頼りにされて、そうであるよう求められてきたダンデは自身にもそれを課してきた。ガラルではチャンピオン、そしてリーグ委員長。家では長男でアニキ。母親に甘える時間だって短いまま大人になった。そんなダンデが、私の太腿の上で。
 思い返せば思い返すほど、そして目の前にある光景を見れば見るほど喜びを噛みしめて、嬉しい衝動のままに手が動いてしまった。わしゃわしゃとダンデの頭を髪がぼさぼさになるくらい撫で回したり、いつも頑張ってるねぇ、など子供を褒めるみたいについつい言ってしまうと、ダンデの耳が仄かに赤くなったのが見えて、ついにんまりとしてしまった。でも髪をぼさぼさにしようと抵抗してこないのだ。調子に乗って髪を耳の後ろにかけてやり、赤い耳たぶを僅かに擦ったら、指先で軽くかくように少し癖のある長い髪を梳いてやる。

「……どうしよう」
「何が?」
「ものすごく、あんしんする……」

 ふは、と笑い声が空気と一緒に飛び出て、甘やかされるのに慣れていない大の男のセリフに笑いがそのまま止まらなくなってしまった。ちらり、とほんの少し不満を宿した金色の瞳が私を見上げたが、笑われるのが嫌なら止めにかかればいいものを、膝枕をやめたくないのか起きないのだから。中々どうして、説得力がやはり皆無で。

「ダンデかわいい、照れちゃってるんだ」
「かわいいはやめろ」
「じゃあえらいね〜〜、ダンデは毎日一生懸命頑張って、ガラルのみんなの為になることを考えて、えらいねぇ〜」
「……」
「みんなちゃんとわかってるよ、少なくとも私だけでも。五体満足で帰って来てくれてありがとう、私の所にいてくれてありがとう、大好きよ」
「……俺も、」
「ん〜〜〜?」

 俺も、の後言葉を切ってしまったから、照れが極まって言えなくなったのか、はたまた。言ってよ、と上体を倒して覗き込みつつ、目尻の後を指でそっと撫でると、やはり照れてしまっているのか顔全体が赤みを帯びていた。存外、こういう面があるダンデを知っているのはきっと私だけなのだと思うと、世間に言いふらしてしまいたい優越感と、自分の中だけで秘めておきたい特別感で葛藤することが偶にある。まぁ私達の関係は世間には秘密だからおいそれと口にはできないのが現実だけれど、いつかこの人は私のだって、言える日が来ることを夢見てしまうことだってある。
 だけど、まだいいかなとダンデを見ていたら思った。まだ、私の膝の上で完結することを、私達だけで楽しめれば。ようやく丸一日、二人で好きに過ごせる日がやってきたばかりなのだから。言葉が欲しい時もあるけれど、今はそうでなくても。

「……当たってるぞ」
「当ててんの」

 話を逸らしたいのか前かがみのせいで胸が頭にぶつかるのを、ダンデがむすりとして指摘してもこちとらわざとなので痛くも痒くもない。これくらいで恥ずかしがるような性質じゃない筈だし、いつも楽しそうに触っているくせに。

「襲うぞ」
「どうぞ〜」
「言ったな!」
「わ〜!」

 がばりと起き上がったと思えば、勢いよく抱き着いてきて、そのまま本当にソファの上に押し倒された。一緒になって倒れたダンデは私に覆いかぶさると、顔中にキスを何度もして、でもそれは戯れみたいなものばかりだった。ちゅ、ちゅ、と笑いながら愛をスタンプするような触れ方に、くすぐったさも感じて私もけたけたと笑うばかり。けれど最後には頬を優しく挟んで、唇にくれた。少しかさついていたから離れ際に舐めてやると、くすりと目を細めて笑われる。首の後ろに腕を回せば引き寄せたわけでもないのにまたキスをくれる。二人してくすくすと笑い合いながら本当に子供が、或いは大切なポケモンと戯れるみたいに。おでこをくっつけて私を見つめる眦が柔らかなダンデ。ああなんて愛しいな。


20220226