短編
- ナノ -


 落下


 ダンデに興味は全くなかった。男としての、である。単純にタイプではなかったのだ。私が好きなのは理知的な男で、確かに愛想はあった方がいいし、それなりに背丈もあった方がいいが、それでもダンデについて異性的な興味はなかった。
 けれど向こうは違ったらしく、少しばかり困った。何度も私に好意を持っていると告げるのだ。相手が相手なので濁しながら断りを入れても諦めずめげず、悪く言えばしつこく折れてくれず、度々食事に誘われた。当時はまだソニアを通じて知り合った程度の間柄だったので、仕方なく昼間に私が指定したカジュアルなカフェで会うダンデは、どれだけ私が眉を顰めようと楽しそうに、無邪気な笑みばかりしていた。液晶の中の快活な印象そのままだ。

 だから、私はダンデに興味が持てなかった。私が好きなタイプとダンデはあまりに違う。たったのそれだけで異性を定めるのもよくないだろうが、ダンデのようにポケモンにもバトルにも精通しているわけではないから話も大きく盛り上がりはしないし、キャンプに誘われてもインドアな私にそういうのは性に合わない。何より、私は理知的な、もっと具体的に晒せば年上で落ち着いた物腰の男性が好きなのだ。数回会っても、やはりダンデは私の理想の中には嵌ってくれない。
 諦めてくれないところも苦手だった。分別のきく対応が欲しいのに、ダンデはいつも私の曖昧なノーにイエスをくれない。予定を尋ねられてはぐらかしても口だけはうまいから空いている日を押さえられてしまう。嫌なら私も行かなければいいのに、あの無邪気で子供みたいな笑みが悲しく崩れる様は想像すると少しばかり良心も痛むので、結局ずるずる会ってしまう。後は、相手が相手だから無下にすることの恐ろしさがあったというのも正直なところだ。

「……あの、ダンデ」
「ん?」

 曇りない瞳に笑顔。それらが私の言葉に耳を傾ける瞬間、段々と心臓が苦しくなり始めたのはいつだったか。そろそろ直接的な、絶対的なノーをくれてやらないとと焦り始めていた頃だ。ダンデは私が自分に好意を向けてなどいないことを最初からわかっている上で何度も会おうと言って、私が曖昧なノーしか言えなくて困っていても決して頷いてはくれなかった。寧ろ言葉を躊躇う隙に次の約束を取り付けようとしたり、そんな顔も綺麗だなどとのたまって私の胸の中を乱暴にかきまぜるのだ。私は特別美人ではないと思っていたから、ダンデの目はいつも不思議だった。
 いい加減はっきりと言わないといけない。じゃないと――。そう一人で焦れていた矢先、またダンデから会いたいという連絡が来たから、今度こそ、と自分を叱咤して強く決めた。だけどダンデの指定した場所が場所だったから、次の瞬間には滑稽にも目を丸めてしまった。しかも次は夜にと言う。いつもは昼間の、ドレスコードも要らないような場所ばかりだったから、どうしたのかと真っ先に疑問を浮かべた。だけど心のどこかで、ダンデも今度こそ、と思っているのかもしれないだなんて、遅れて恐れがやって来る。考えるだけで、私も少しばかり恐ろしかった。妙な予感があって、まさか馬鹿なと頭を振りながら、人知れず小さく震えた。

「もちろんいつも綺麗だけど、今夜のイリスは格別に綺麗だ。髪も服も、よく似合う」

 当日、ダンデを見て目を見開いてしまった。うっかり開けた口も閉じられなくなりそうにもなった。じん、と指先がしびれたような気がする。
 普段とは全く違う装い。後ろに撫でつけて一つにまとめたヘアスタイルに、仕立ての良さそうなスーツ。磨かれた革靴。いつも見るラフなシャツにジーンズではない。当然と言えば当然のことだ。ここはガラルでも有名なロンドロゼの前で、ダンデが指定したのは併設されたレストラン。懐に余裕のある層や、祝い事でもなければあまり訪れることのないような所。だから私もスマートエレガンスに沿ったワンピースを着て、髪もそれに合わせてアップにしてきた。ここはジムチャレンジャーの宿泊施設にもなってはいるが、ジムチャレンジに参加したことのない私はこれまで一度も利用したことはないから改めて調べ直した。

「寒いだろ?時間はまだあるが、中で待とう」

 呆然としたままの私の手をさり気なく取り、けれど丁寧な手つきで腕を引いて、ダンデはロンドロゼの中へと私をエスコートした。初めてダンデに手を取られたのだが、あまりに流れるような自然な手つきだったから何も反応ができなかった。予約の時間前でもスタッフは快く招き入れてくれて、ダンデは足元に気を付けてと、私が高めのヒールであることを考慮してゆっくり進んでくれる。中は暖房がようくきいているのか、頬がじんわりと温かみを帯びてきた。或いは、ダンデの熱が移ってしまったのかもしれない。
 さすがはロンドロゼというべきか、ダンデが相手でも臆することなくスタッフは接してくれる。周囲の客も、プライベートだとわかっているのか騒ぎ立てることもない。ここは質の良い客ばかりが集まる場所だから、皆が弁えているのだろう。ダンデが常連で女をエスコートする光景が見慣れたもの、でなければの話だが。そんな妙な防衛線を敷こうとしている自分に気が付いて、慌てて唇をこっそり噛んだ。ルージュが剥げてしまうから、ほんのりと。

 その後もダンデの様子は普段とは打って変わっていた。いつもなら自分の好きな話ばかりするのに、今日は私の話を引き出すような、そういう会話の持っていき方をしてくれる。昼間のカフェで会っていた時は、正直あまり会話が弾んでいるようには思えないから、空気を繋ぐためにもダンデは口数多く話をしていたが、今日は違う。最近興味のあることを訊ねられたから競合会社の売り上げ変動や株の話といった経済の話をしたら、淀むことなく話を繋いでくれる。驚いたのはダンデにその手の知識があったことだ。失礼だがあまりにイメージにそぐわないというか、熱血という言葉が似合うようなダンデの口からそんな話がスマートに出てくるなんて夢にも思っていなかった。

「意外か?」
「……え、と、その」
「歴代はあまり詳しく知らないけど、少なくとも今のチャンピオンっていうものは、多分世間が思うよりも求められるものが多いんだ。パーティーぐらいでしか求められないけどな」

 静かに話をしながら手元も全く危うくはない。テーブルにあるのはコース料理で、一品一品テーブルマナーを知らないと恥をかくようなものばかりなのだが、ダンデの大きな手が迷う素振りは一度もない。昼間のカフェで躊躇いなく、吸い込むような食べ方じゃない。最低限の音しか出さない、マナーを熟知した手つきだった。

「どうした?ぼんやりとして」
「……あ、……いえ、ごめんなさい」
「自惚れかもしれないけど、もしかして俺に見惚れてた?」

 金色の瞳を微かに細めて僅かに唇で弧を描く、余裕のあるその顔をまともに直視できなくて、つい目を逸らした。たったのそれだけでも雄弁だろうに、私は取り繕えなかった。
 デザートまで食べ終えてダンデが当たり前のように会計をしてくれた後も、食べた心地がしないのはどうしてなのか、自分でわかっている筈なのに知らない振りをした。席についている間、私の体はずっと強張っていた。せっかくの高級レストランの味がうまくわからないくらいに。

「今日はありがとう。タクシーを呼ぶから少し待っていてくれ」

 ロビーでダンデは私を振り向き、笑う。俯いて肩に掛けたショールに隠して腕を抓った。これで解放されるのかと落胆した自分も、やはり知らない振りをした。私はダンデにノーを宣告したかった筈なのに。

「……なぁ」

 声を潜めたダンデは、少しだけ上背を折って、私の顔にそっと近寄る。だけど適切な距離を開けて、だ。

「本当に、帰りたいか?」

 思わず顔を上げてしまった。真っ先にその瞳とかち合って、そこから逸らせなくなる。美しい瞳だった。凪いで、何も悪いことなんかありませんみたいな、今しがた口から吐いた言葉には到底そぐわない瞳。

「……実は部屋を取ってあるんだ。イリスが決めてくれ」

 ああ恐ろしい。


  ◇◇


「本当についてきてくれるなんて、正直思っていなかったよ」

 よくも平気で嘘を言う男だ。とは言っても、今夜になってとうとう知らないダンデを知ってしまったように、本当の気持ちなんてきっと私にはわからないのだろうが。
 初めて訪れたロンドロゼの部屋は、施設の中でも一等らしい。高層階のスイートルーム。随分広々としていて、調度品もパッと見で一級だとわかるような、私には贅沢な部屋だった。そんな慣れない空間だと自分の身の振り方がわからなくて、景色を一望できる窓の前に適当に立っていると、私のクラッチと自分のジャケットを置いたダンデが私を見て小さく首を傾けて笑った。その際に後ろに纏めた長い髪が流れて、背中から落ちた。ジャケットはもう脱いでしまったからシャツとベストの上で紫色の美しい流線を描いていた。
 私と会うために作ってきたスタイル。私が目の当たりにしたことのないあの髪を、それだけでなく頭から靴の先まで全ての装いを解いてしまうのは、もったいないなと、思った。
 同時に、私が乱してやったらどうなるのだろうかとも、思った。

「イリスはいつも自分からは来てくれないから、今日も俺から行こうか」

 ダンデがゆっくりと、いつもは大股のくせに、酷くゆっくりと私に近寄ってくる。私はその場に縫い付けられたように動けなかった。違う。正しくは、動かなかった。ただただ、私に寄ってくる、隠されていた美しい姿を改めて見せつけた男だけを見ていた。
 目の前にやって来たダンデの手が伸びてきて、私のショールを肩から落とした。今日はノーを言わないのか?などと意地悪を言ってくる。言えるものならとっくに言っていた、それも恐らくはわかっての上で、だ。

「シャワーは?」
「……い、い。今の、そのままの貴方が知りたい」
「光栄だ」

 まるで自分の口から出た言葉だとは俄かには信じられず、だけど気付いたら唇を重ねていて、その体に引っ付いていた。走馬灯のようにダンデに曖昧なノーを告げていた自分が思いだされて白々しく儚んだ。噎せ返るような男の匂いがして、一瞬で頭が空っぽになる。私の中身が変わっていく。なんて恐ろしい。とんと恐ろしい。恐れた私の予感は当たってしまった。ダンデにうまいように惹かれてしまう自分という予感が。


20220208