短編
- ナノ -


 素晴らしき我らが世界


「俺は本物だろうか」

 またいつものやつだ。そう思ったので紅茶を二人分淹れ直すことにした。この手の話はいつも長くなる。ついでにお茶のお供でも持ってこよう。ダンデがこの前買ってきたクッキーがまだあった筈だ。
 いつも話の決着がつかない内に、ダンデが疲れて終わりにしてしまう。私がダンデに同調して同じように真剣にならないからかもしれない。なにせ答えなんかどうしたって自分達では出ようもない話なのだ。

「はいクッキー。お食べ」
「そもそもこの世界が本物だという確証はどこにもない」

 俺が買ってきたやつだろ、って返されなかったので早速いつものように没頭しているらしい。構わず皿に載せたチョコチップクッキーを一枚口に頬張り、もそもそと咀嚼していてもダンデの達観したような瞳はすこぅしも歪まない。真面目な男だなぁと目線がこちらにないのをいいことにまじまじと見つめてやった。ダンデのこういう真剣な顔はかっこよくて好きだ。

「君は違和感を覚えたことはないか?この世界に」
「どうだったかなぁ」
「この体も、人生も、世界そのものすら、紛い物である可能性はゼロじゃない。フィクションのように、何もかもが造り物ではない可能性なんて」
「ほれ、紅茶冷めちゃうよ」

 ソファで指を組んだまま下を向くダンデの前に、つい、とカップを押し出してやると、微かに瞳が揺れた。目の前の光景をようやく思い出したらしい。ついでにバタークッキーを摘まんでその唇にぐいぐいと押し付けてやると、渋々と言った感じに口を小さく開いたので押し込んでやる。もそもそとつまらなさそうに噛んでいるから、私のお気に入りのクッキーにそんな顔をするなと口を尖らせた。

「美味しいでしょ?」
「ああ……このクッキーだって」
「本物かわからない?本物じゃなかったとしても美味しいからそれでいいよ」

 あっけらかんとしていたらダンデは目を細めて、不服そうに私を見やった。気にせず二枚目のクッキーを食べて紅茶も飲む。これも私がお気に入りのやつだ。

「……イリスはいいのか?」
「何が?」
「イリスの考えも、人生も、誰かが決めたものかもしれない。誰かがそうプログラムして、その通りに行動するように設定されているだけの。その紅茶もクッキーも、気に入っているのはただの演算かもしれない」
「ダンデは嫌なんだね」

 ダンデの言葉をそのまま借りるのであれば、ダンデの人生もまた誰かがプログラムしたものになってしまう。チャンピオンになったことも、長年王者でいたことも、推薦した子供に負けたことも、その後も。自分で掴んだと思ってきた勝利すら、そうと定められたルートなのかもしれない。大抵の人間であればそんなの御免だと思うのだろう。憤って、だけどそれって結局は何に対しての怒りなのか。それは、例えば自分が味わわされてきた不幸に対してなのだろうか。何もかも幸せな人生だったのであれば、決められたものだとしても不満を抱かないのであろうか。
 だなんていくら好き勝手にのたまおうと、実際に直面しなければ答えなど出ないに違いない。根拠も証拠もない詮無い空想話はどんなものでもそうだろう。

「……俺の勝ち負けを設定されているのは、腹立たしいな」
「自分の実力じゃないかもしれないから?」
「ああ」

 ダンデ程の人間となればそうなるのだろうとは理解できる。ダンデはバトルにいつも真剣で、確かに観客を楽しませるエンターテイメントもこなさねばならないけれど、だからと言って力を抜くなんてことは絶対にない。その上で勝利を掴んできたはずなのに、端からそういうものであると突き付けられたとすれば怒りだって沸くのだろう。
 バトルに拘ることだって、それも含めダンデの何もかもが、ポケモンへの愛に対してすらただのプログラムかもしれない。でもそれって疑いだしたらもうキリがないことだ。

「本物じゃないって、この体が造り物だとして、涙も血も出るよ。セックスだってできる」
「万が一機械だったとしてもそう設計すればいいだけの話だ。涙を流すアンドロイドの話はよく聞くだろ。涙や血と同じ成分で内側を満たしておけばいい」
「それはわかるけどね。でも、だからと言ってダンデの考えることが真実かはわからないじゃん」
「そうだけど……」

 ダンデが言った「本物だろうか」が体の機構を指しているわけではないだろうが、いつも同じことを繰り返すからいつもと違う切り返しをしたのにあっさりと打ち負かされてしまった。
 それに真実なんて人の目によって違うものだ。自分の目に見えているものが真実で、可視化されていないものは下手をすれば真実とすら認められない。目に見えるからこそ真実と成り得るのだから。

「……ダンデがこの世界の全てをプログラムだというのなら、私に対しては?全部プログラム?」
「……言いたくはないけれど」
「私のダンデに対する気持ちもそうだって言う?」
「……」

 黙るなんてらしくもない。ずるい男だ。こういう時ばかり口を噤んで、答えをぼかす。

「……私なら、感謝するよ。ダンデを愛させてくれてありがとうって。だって本当にダンデのことが好きでしょうがないから。私とダンデを引き合わせてくれて、感謝しますって」
「そういう筋書きだとしても?」
「うん。プログラムされていたとしても、今こうして隣にいるダンデを愛しく思う気持ちがちゃんとあるから」
「人生そのものが決められていても?」
「良いことばかりじゃなかったけれど、でも人生ってそういうものだよ。そもそも、少なくとも人間って決められたことを守って生きるいきものだし、世界に大勢いるのに。親の敷いたレールとか、社会の常識とか。みんな決められたことに従って生きているのに、それってプログラムとどう違うの?」
「そういう話ではないんだが……」

 私としては話がずれた自覚はないのだが、ダンデの中の話とは微かに逸れるらしく、困ったように苦笑されてしまった。それをいいことに一方的だが小休憩とすることに決めた。止めていた手を再開してまた一枚お気に入りのクッキーを頬張る。それがあまりに呑気そうに見えたのだろうか、脱力したようにダンデは盛大な溜息を吐いてソファの上でだらりと手足を投げ出してしまった。眉間に寄っていた皺も今は解けている。今日はいつもりよりも投げ出すのが早い。いいことだ、ダンデは物事を考えすぎるきらいがある。力の抜きどころを見失えば後々ろくなことにはならないだろう。

「イリスを見ていると深く考えてしまう自分が少し馬鹿らしくなってくるよ」
「褒めてもクッキーしかあげられないよ」
「褒めてないんだけどな」
「仮にダンデの言う通り全てが造り物なら、ダンデはどうしたいの?私達を造った人に文句言いたいの?」
「……どうなんだろうな。文句を言いたい気もするし、そうじゃない気もする。自分でも中途半端だ」

 先程までの真剣な空気は鳴りを潜めて、ゆるゆるの雰囲気になったのでまたクッキーを口元に運んでやると、ベビーポケモンみたいにちっちゃく口を開けて唇に挟んだ。要らないって拒まないところがまた好きだ。私はそれに満足できたのでにっこりと笑ってもう一枚頬張った。私達はもしかすれば誰かに発明されたのかもしれないけれど、お陰でこんなに美味しいものが食べられるのだ。カロリーだけは作らないでほしかったが、それは感謝してもいいことだろう。

「もし本当に、ダンデの言う通りにこの世界が全部造り物で、私の人生も決められていたものだとして。それでも私は、明日をちゃんと生きようと思うよ。みんながそういう考えにはならないだろうけれど、それでも私は自分が思った通りに、したいように。それで、いつかいるのかもわからない私達を造った人と出会うことがあったらね、きっと言うんだ」
「なんて?」

 ソファにすっかりと上半身を預けたダンデが私をゆっくりと見やった。その口の端にクッキーの細かなカスがついていたので、可笑しくて思わず噴き出してしまった。ダンデは突然噴いた私に不思議そうに目を丸めるから、笑いながら指で口元をそっと払ってやる。変なところで子供みたいな人。
 ダンデのこんな顔を見られるのも、こんなことができるのも。何もかも、私がダンデと出会えたからだ。私がいて、ダンデがいて。プログラムでも、そうでなくても。どっちだとしても、それだけが私の中にあるたった一つの真実。

「生んでくれて、ダンデと出会わせてくれて、ありがとうって!」


20211228