短編
- ナノ -


 平行線


 突然ハロンに帰ってきて、私の家に強引に上がり込んだら白昼堂々と私のことを好きだなんてのたまうダンデには、特に関心も抱かなかった。実のところその片鱗を度々垣間見ていたのは事実で、それは自惚れが過ぎるものだと自分を丸めてきたのだけれど、とうとうこうして口に出されてしまっては眉を顰めるしかない。
 恐らくは、私の心がダンデに露も向いていないことなど、とっくの昔に気が付いていると思うのだ。それをわかった上で、端から望みがないと理解もした上で、私が容易に靡かないことを前提にもして私に好意を口にすると言うのは、いささか傲慢だなとも思った。

「冗談きついな」
「冗談じゃないって、本当のことだ」
「どこをどう間違えたら私がダンデのことを好きになると思うの?」
「たとえ間違いの感情から始めてもいいから、俺のことを好きになって欲しいと思うぜ」

 これだからダンデと話すのは嫌だった。昔からそうだ。私の話なんかちゃんと聞かないで自分の言いたいことばかり言って、自分の感情を優先して、何度も振り回されてきた。感情が未熟な幼い頃は引っ張ってくれる頼れる男の子だと思っていたが、最早そういう子供らしい憧憬もない。ダンデがチャンピオンとなって私の前からいなくなったお陰で、段々とだけれど、それに気が付いていった。

「……無理だから。ダンデを好きになることなんか一生有り得ない」
「有り得ないことが起こるのが世界だ」
「世界規模の話をされても。私は自分の身の回りだけで精一杯なのに」
「それでソニアか」

 反射でこれでもかと顔を顰めてしまった。同時にやはりな、とも。全てを承知しているとでも言いたげなダンデの顔がやはり嫌だった。腹立たしいくらいの、なんて余裕ぶった顔つきだろう。

「わかっているなら話はおしまいだと思うんだけど」
「奪われんとする側に立っていたものだから、奪う側というのは存外燃えるものだとお陰様で知れたよ」
「奪うも、何も」
「そうだな。イリスとソニアは、生涯手を取り合うことはないだろうな。少なくともイリスが望む形では」

 奪うとか奪われるとか、そういう俗っぽいことではないのだ。そういうボーダーに私は、私達は立ってすらいない。昔も、今も。
 いつの間にかダンデにソニアが好きだと言う気持ちが筒抜けていたらしいが、気付いたくせにこれまでは何一つ干渉せず、茶々も入れてこなかったのに、自分が天から地に落とされたからといって。自分は自由になれて楽しんでいるのかもしれないが、私にそれが影響することなどないのだ。重たいマントを脱ぎ捨てたからと言って、ダンデが今も立つのはバトルの腕も立たない私ではおよそ登れないような、地上から何百メートルも高い、空に一等近い場所であるのだから。

「イリスは努力したか?ソニアに振り向いてもらおうと、少しでも行動を起こしたのか?足を震わせているしかなかったのなら、所詮はその程度なんだよ」
「何その言い方。じゃあ、行動を起こした自分はえらいって言いたいの?」
「そういうつもりじゃないんだが……。先の見えない道に恐れを抱くのなら、俺の手を取った方が道も明るいってことだ」

 女と女だからなんだというのだろう。ダンデが生産性だけで物を言っているのではないとわかっているが、いざこうして指摘されると反抗したくなるのが性というもの。
 私はダンデのように年端もいかない頃から行動力溢れる人間ではない。脈が全くない相手に、しかも幼馴染という壁と女という険しい隔たりを前に、私一人でどうしたら良かったのかなんて。何をしたところで私はソニアにとって小さい頃から一緒にいた友達で、仲の良い女で、それ以上でもそれ以下でもない。出会った瞬間から出来てしまっている線引きから一歩を踏み出すのに相当な勇気が必要だったのだ。私ではソニアの柔らかい部分にまで手を入れられない。だからソニアに好きな人が出来たんだ、なんてはにかんだ笑みで言われたとして、私は清濁併せ呑んで、笑って話を聞くしかなかった。

「俺だって小さい頃からイリスと一緒にいたのに」
「……一緒にいてくれたのはダンデじゃない、ソニアだよ」
「会わない日もずっと恋しかった。イリスのことを幾度と想ってきた」
「寂しい夜に隣にいてくれたのはソニアだった。向かい合って顔を見せてくれたのも、優しいおやすみをくれたのも」
「毎年誕生日にはプレゼントも贈っただろう」
「大事な日にいつだって真っ先に会いに来てくれたのは、言葉をくれたのはソニアだ。私の誕生日、ダンデはいつもバトルと、スポンサーや偉い人とパーティーしてた」

 私の人生の中にソニアはいつもいた。何でもない日も、岐路となるような時も。ソニアだけが私を理解してくれて、間違えたら怒ってくれて、少し気まずくなっても仲直りがちゃんとできて、他愛ないことで笑い合って。そうして私はいつの間にかソニアを一線を超えたところで見るようになっていた。ソニアが一線の内側からしか私を見ていなくても、一緒にいてくれるだけで私の人生が色彩豊かに彩られるようで、それに仄かな幸福のようなものだって覚えていた。ソニアに男の恋人ができたところで、ソニア以外が灰色に見えるようになったところで、その気持ちに変わりは微塵もない。ソニアが笑うだけで私の中がぐちゃぐちゃになる。ダンデが目の前からいなくなってからの私の人生は、ずっとそんなものだった。最早ソニアから離れた人生なんて、そんなのもう私の人生なんかじゃない。

「……か」
「勘違いかどうかなんて、そんなの腐るほど考えたよ。だけど今こうしてダンデと一緒にいても、私の頭の中にはずっとソニアがいるの。今何しているのかとか、誰といるのとか、会いたいなとか、私だけ見て欲しいとか、そんなことばかり」
「俺だってそうだ。イリスを夢に見るほど」
「だとしても、飛んで会いに来るような人間じゃなかったよ、ダンデは」

 愛をまやかしだと笑う人がいる。浅学ながらそれは真理に近いのだと思うのだ。だけどそのまやかしで成り立っているのがこの世界であるのもまた事実。それに、まやかしだなんだと嘲笑と揶揄をするのであればそれこそキリがなくなってしまうだろう。友情とて同じことだ。全ては人間の神経回路や心理の上で動いていることなのだから。

「だから、私はダンデを選択肢の一つにしない。私が望むのは叶わなくても、たったの一つだけだから」
「ソニアはその内今の恋人と結婚するだろう。イリスが選ばれることはない」
「わかってるって。先が欲しくてソニアを好きになったんじゃない。見返りが欲しくて、こうなったんじゃない」
「詭弁だ。相手に振り向いて欲しいと願うのだって愛の内だ」
「……振り向かなくていいだなんて、思ってない。でも、」
「でもも、だっても、俺にはどうでもいい。俺はただ、イリスが欲しい」

 こうやってソニアに正面切ってぶつかれたら少しは楽だったのかもしれない。だけど、それは私に死ぬ覚悟ができていればの話だ。私は弱い。弱くて、ソニアに気持ちを伝えることも、キスがしたいってことも、もっと触れたいだなんてことも口には一切できなかった。私よりも後に出会った男のことばかり考えないでって喚くことも、死体になる決意もなければ。あの聡明なソニアであれば私の気持ちがわかれば真剣に悩んで、いずれは首を左右に振ってくれたかもしれないが、少しでも私達の一線に乱れが生じるのも怖かったのだ。均衡なんて本当は指一本で崩れるくらいとても脆い。ソニアからの目が変わることだって恐ろしい。
 私はもう、寂しい夜に寂しいと泣いたままなのは、嫌だから。

「寂しい夜は、これからは俺が側にいるから。泣くイリスをもう放っておかない。何度でも君の話に耳を傾けよう」
「……ソニアじゃないと、もう駄目なんだよ」
「俺だってイリスじゃないと駄目だぜ」

 放っておいた自覚があるのならば、ほんの少しだけでも会いに来ればよかったのに。自分も寂しいと少しでも思ったのなら尚更に。私が想像もできない程に忙しかっただろうことはわかるが、それをしないのがダンデなのだ。


20211101