短編
- ナノ -


 回り込まれた(拍手お礼)


 コスメショップに入ったらネズさんがそこに居て、目をひん剥いた。まさか女性向けのコスメショップにあの特徴的な髪型の人間がいるだなんて思いもしないでしょう。

「おや、偶然ですね」
「え、一人ですかネズさん?」
「そうですが?」

 何か問題でも?とでも言いたげにゆるりと首を傾けるその姿に、誰かの付き添い説は完全に消えた。ここで彼女の付き添いですよ、と言ってくれればそれですんなり納得できたのに。
 何せ、もう買い物は済ませたのか、この店のショッパーを手に提げた姿なのだ。彼女の荷物持ちを甲斐甲斐しくするようなタイプには見えないが、これでまた綺麗さっぱり付き添い説は潰えた。

「お買い物ですか?コスメショップに」
「ええそうですが」
「何買ったんです?こんな場所で」
「アイシャドウですよ」
「……あ、彼女にプレゼント!?」

 どうにもネズさんのような人が華美で愛らしい内装の店内にいるのがイメージと釣り合わずにいたが、実際に化粧品を買っているわけだし、ネズさん程度の人なら彼女の一人や二人居ても可笑しくはなさそうだしそうだろうと思って、そうしたら自分でも妙に納得できてぽんと掌を打つ。けれどネズさんは眉一本動かさず、平然と口を開いたのだ。

「いいえ、自分のですよ」
「……それメイクだったんですね」
「なんだと思ってたんです?」
「あまりに小顔で肉が少ないせいだと」
「お前結構失礼なヤツですね」

 くはっ、と軽く息を漏らして笑ったネズさんは、次いで「男が化粧したら可笑しいですか?」とまたいつものけだるげな物腰で私に言った。それにハッとして、急に恥ずかしくなったのは嘘じゃなかった。勝手に決めつけて物を言ってしまった自分の了見の狭さにいたたまれなくなったのである。

「これね、汗で落ちにくいんですよ。ライブのステージメイクはいつもこれです。おすすめですよ」
「あ、はい。おすすめされました。検討します」
「おすすめしました」

 羞恥に縮こまる私の肩をぽんと、まるで許してやるよとでも言いたげに叩いて、ネズさんは猫背のゆったりと歩くスタイルで店を出て行った。
 羞恥心がまだ残っているが、同時につまんないな、というなんとも失礼な気持ちも混じって、暫くあの曲がった背中を眺め続けた。なんだ、彼女にプレゼントじゃなかったのかぁ。



 またしてもネズさんとコスメショップで鉢合った。前回出くわしたのとはまた別のショップである。

「ここの化粧品も使ってるんです?」
「いいえ」
「じゃあ何故……?」
「プレゼントですね」
「……あ、彼女ですね!」
「いえ妹にですよ」

 かさりと音を立てながらショッパーを開いて、中から取り出したのは下地とフェイスパウダー。ファンデーションは?と訊くと、「マリィはまだ十代です。そんな歳からファンデーションなんか塗ったら肌に負担になりますから。これで十分です」とさらりと答えられて、もしかして私よりも知識があって美意識が高いんじゃないかと思えてきた。

「なんか詳しいですね」
「一般的な知識ですよ」

 その一般的な知識をネズさんが持っていたとは知らなんだ。常識なんかくそくらえみたいな人に見えるのに。

「少し肌が荒れていますね」
「えっ、わかりますか?最近寝不足だからかな、ファンデのノリが悪くて」
「保湿クリームをお使いなさい。俺の分もサンプル貰ったので、あげますよ」
「いいんですか?ネズさん使わないんです?」
「俺は決めたものしか使わないので」

 こだわりが強いらしい。自分の肌は自分が一番よくわかってるってやつかな。やっぱり私より美意識高い。



 三度目の正直。またしても新たなコスメショップでネズさんと顔を合わせてしまった。しっかりとその手にはショッパーが握られている。いつも私よりも先に買い物を済ませているのか、ネズさん。

「今度こそ彼女ですね!?」
「いいえ、エール団です」

 今度こそ!と意気込んでいたのだが、淡々とした返答があった。どういうことだ……?と口を開けてネズさんを見上げると、あのけだるげな物腰のまま薄い唇が訥々と語り出したのである。

「差し入れというか、メイクもペイントも金がかかるから。精一杯応援してくれる彼等へプレゼントしようと思って」
「そうなんですか……」
「本当ならもっとやってやれることがあると思うんですが、俺はダメなヤツだからね、これくらいしか思い浮かばなかったんですよ」
「今度こそ彼女かと思ったのに……」
「お前いつもそれを疑ってきますね」

 だってその方が面白いから。口に出してからあまりに素直過ぎたなと口を押さえたものの、時既に遅し。ばっちりと聞いてくれてしまったネズさんは、以外にも間抜けに口を開けてびっくり顔を晒していた。それにびっくりしたのは今度は私である。貴重なネズさんのびっくり顔を前に、何をそんなに驚くのかと凝視してしまうと、ネズさんの口がもぞ、と微かに動いた。

「……なるほど、そうか」
「何がです?」
「いえね、イリスの面白いポイント、やっとわかりました」
「どういうことですか??」
「またね」

 一人で勝手に納得して、最後は満足そうにうんうんと頷きながら、ネズさんはゆったりとした足取りで店を出て行った。心なしか機嫌も良さそうに足取りも軽い。ステップでも踏みそう、と想像してみたらあまりに似合わなくてすぐに妄想をかき消した。対して残された私はといえば、何がなんだかわからないまま、その曲がった背中を眺めてただ首を傾げるしかない。



 三度あることは四度あるのか。またもや初めて踏み入れたコスメショップでネズさんと出くわした。色んなブランドをまとめて扱う複合型の新規の店なのに、先取りしているなんて美意識高い男は違うなと変に感心していると、ネズさんが手に提げたショッパーを軽く持ち上げて、まるで見せつけるようにしてくる。右に左にとそれは動き、猫じゃらしを追うチョロネコみたいに目で追っかけてしまったではないか。

「もう何か買ったんですね」
「はい」
「今度こそ彼女……じゃないんでしょうねぇどうせ〜。今度は誰に贈るんですか?」
「彼女ですよ」

 は、と私の空気が止まった。最早定型化した冗談みたいな口上だったのだが、まさか今になってあっさりと肯定が返ってくるだなんて、微塵も予想していなかったわけである。そういえば彼女がいるかどうかの答えは貰っていなかったことをようやく思い出した。なんだやっぱりいるんじゃん、と目を丸くしていると、何故かにたりと笑うネズさん。驚かせてやったぜの笑みなのだろうか。

「正確には、今から彼女にする予定、ですけどね」
「えっ……それってつまりもしかしてこれから告白しに行くってことですか!?プレゼント携えて!?」
「そのつもりです」
「えー!?何買ったんですかそんなに!なんか重そう!」
「色々と買いましたねぇ。保湿クリームとか、アイシャドウとか」

 まさかの展開に興奮して身を乗り出し、勢いもそのままにショッパーの中身を覗こうとしてしまったが、寸でのところで我に返って踏み出しかけた足を元の位置に戻した。危ない。これはネズさんが好意を伝える相手へ贈るものなのだから、赤の他人の私などが勝手に見てはいけないものだ。

「見たそうですね」
「はい……あ!違います!嘘!見たかないです!見たいけど!」
「見ていいですよ。イリスのですから」
「やったー!いいんですか………………え」

 理解が遅れてやってくるまでに数秒かかり、その瞬間体がぴしりと固まって、嬉々として伸ばそうとした腕がセメントを塗りたくられたみたいに動かなくなった。今なんて?と恐ろしくて顔を上げられない私の中途半端に伸ばした、マネキンみたいになっている腕にそっと、ネズさんがショッパーの持ち手部分を通して引っかけた。ずっしり重たい。

「全部ね、俺とお揃いですよ」

 ぎっ、と錆びた音が鳴りそうな首をどうにか上げてネズさんを恐る恐る見上げると、にんまり顔なのに酷く挑戦的な顔をしていて、それは好意を伝えたい相手にする顔ではないのでは、などと動かせない口では到底言えなかった。