- ナノ -






同じ銀河にいる/ダンデ(彩音様-幸せな結婚生活)


 惑星に二人きりみたいな夜だった。

 誰かの願い星が地上に降った日。あまりに泣きじゃくる私を困った顔で、でも隠しきれない嬉しさで抱き締めたダンデを、鮮明に覚えている。色褪せるにはまだ早い時期ではあるけれど。照れくさそうに、星の誕生の瞬間を尊ぶように。私を特別大事にしてくれたあなた。
 だからか、ずっとむずがゆさが付きまとっているような。ガラル中に祝福してもらって、ハネムーンなんてものもこなして、ようやく二人きりの生活が落ち着いてきた矢先のこと。落ち着いた、なんて表現は恐らくは表面上の話なのだ。私の心は、あの日からずっと流星みたいに曲線を描いている。

「綺麗だな」

 ソファでテレビを見ている最中に突然。私の手を見て、ダンデは弾むように笑った。鳥ポケモンがハミングするみたいに歌う。ダンデの綺麗だな、はもう数えきれないくらい聞いた。飽きずに毎日毎日、こうして隣に並ぶと。ここまで日々同じことを繰り返していると、最早儀式のようだった。
 シュートシティの街中からではあまり星が見えないけれど、きっとワイルドエリアは満天の星空。今日もきっと、誰かの願い星が降っている。

「凄く綺麗だ」
「もー。しつこい」
「だって本当に綺麗なんだ」

 とうとう私の薬指を引っ張って手遊びを始めたダンデに、呆れた振りの溜息をお見舞いしても、その程度では全く靡くこともない。昨日今日籍を入れたわけではないのに毎日の如く。新婚特有の浮ついた、に近いのかもしれない。
 気持ちはわからなくはないし、言っても浮ついた気持ちは多分今の内だから、まぁ堪能しておいても損はないだろう。だから私も口では突っ撥ねるが、大人しく手遊びを許していて、内心満更でもないわけだ。

「ダンデ、私も」
「ん?」

 薬指の造詣を手繰るような指先を捕まえて、もう片方を寄越せと手招きしたら。惚けたような顔をしつつもちゃんと左手を差し出してくれた。武骨で筋くれだった大きな男の手。私の手なんか簡単に閉じ込めてしまえるそれにも、しっかり同じ指輪が嵌められていて、丸くて銀色の軌跡をなぞれば擽ったいような幸せが肌の表面を柔く走って、ついつい目を細めた。

「綺麗だね」

 ゆっくり笑うとダンデも真似るように笑う。ちか、と眩い何かが灯る。

「ほんと、世界一綺麗」
「綺麗は初めて言われた言葉だな」
「心から思ってるよ。ダンデの特別にしてもらえたことが誇りだし、その証がここにあるの。凄く綺麗」
「あの日、泣きじゃくったナマエも、とても綺麗だった」
「人の泣き顔をそんな風にからかうの、悪趣味だよ」
「だって本当に綺麗だった。夜空に一つだけ輝く星みたいに」

 まだ簡単に思い出せる夜のことを思い返すダンデの瞳にこそ、今日も星が詰まっている。



 願い星が降る夜に、私はダンデの世界に入れてもらった。
 ダンデの世界は人よりも広くて、人よりも狭い。入り込めるものは限られていて、でも一度入れたら今度は容易に出て行くことはできなくなる。だからこそそれはダンデの世界の真髄であるとさえ思ってきた。
 そして私はずっと、その世界ではきっと、自分が一番ではないと思ってきた。ポケモンが一番のダンデが大事にできるものはいくつかあったけれど、私はその頂点ではないのだと。自嘲ではなく、事実としてそう認識してきた。いつか何かがあれば。真っ先に落ちるのは私だと、出会った時から既に。
 だけどダンデは、私を世界の中に招き入れてくれた。まっさらで、未開拓の惑星に初めて降り立った瞬間の天まで突き抜けるようで奥深くもある高揚というのは、想像でしかないけれどこういうことなのかもしれない、なんて。稲妻に撃ち抜かれたような、でもまっさらな地に足を踏み入れたような、でも地に足ついていないみたいな。無重力空間に二人で放り出されたらああなるのかもしれない。そんな妙なロマンチックに浸らざるを得ないくらいの、正しく私にとっての奇跡の夜だったのだ。
 何もなくなった俺だけど、なんて前置きはどうでもよかった。紙吹雪とバンド演奏のエンディングは記憶に新しいけれど、だからって何もなくなってなんかない。今こうして私だけを射抜く、眩い輝きの瞳が、宇宙で何よりも愛しかった。

「またカップ落とさないでね」
「もちろんだぜ、もう落としたくない」
「それ絶対落とすフラグじゃん」

 二人きりの生活も慣れたか慣れていないかまだ判断はつかない。でも、だからかまだ初々しさというか、付き合ってそれなりに経つのに肩書も変われば新しい気持ちを味わえるのだから、結婚の醍醐味みたいなものってこういうのかなって。
 他愛ないやりとりとか、家事とか、今もその内の一つだ。でも盲目に甘さに浸ってもいられないことを思い出して、キッチンで洗い終えた食器を棚に戻す作業を二人並んで行う途中、前科持ちのダンデにそうだと思い注意した。するとあまりに真剣すぎる眼差しにこれはまたもや、と一寸先の未来を憂いて苦笑いが零れた。ダンデは大真面目な顔でとんでもないことを時折やらかす天才なのだ。
 何故注意してやったかと言えば、どうせダンデが悲しむと先を見越せてしまったからだ。この前自分で落としたカップを前に数十分悲しそうな顔をしていたので、こうして先んじて注意を促してあげたわけである。なにせ落ち込んでいたのは、私がせっかくダンデの為に選んだカップだったから、という理由で、だから。曰く、三回目のデートの日に、たまたま立ち寄った店でカップが欲しいと悩むダンデに、これがいいんじゃないと私が勧めたものだったから。

 ダンデは思いの外物を大事にするタイプらしく、正確には物というよりもそれに付随する思い出を見つめる男だ。意外だな、と初めて知った時はかなり驚いた。けれどもまぁ、一度入ったら抜け出せない世界を思えばそれもまた然り。しかし当時はまだ隣に並んでそれ程経っていない時期だったから、純粋に驚いたわけだ。だって豪快で時折センスが不穏なこともあるダンデに、そんな一面があったとは。突き進むは前のみで後ろは振り向かず、もっとあっけらかんと忘れる生き物だと。
 だからこそ、私が側にいていいと言ってもらえた時には、筆舌に尽くしがたい喜びが世界に舞ったのだけれど。

「あっ!」
「おっと」

 案の定というべきか。フラグを回収することに精を出していたわけでもないのに、ダンデはやはり泡だらけのカップを華麗に床に放りかけた。寸でのところで見張っていた私がうまくキャッチして掃除機を持ち出す羽目にならずに済んだが、ダンデは何故か眉を下げてへにゃりと笑う。さっき話をしたばかりなのだから大事にしたいならもっと反省しろと言いたいところだが、どうにもその顔にむず痒さを覚えてしまったので、もう、と口でだけ文句を言って泡塗れの手にカップを戻してあげた。

「やっぱり、ナマエが守ってくれた」
「守るって……まぁ、掃除面倒だし」
「俺がこの前ああ言ったから。だから、落とさないかナマエも見ててくれたんだろ?それに、これもナマエが買ってきてくれたんだぜ」

 それは確かにその通りではあるが、なんだか顔と言い草が大袈裟に見えて、そうだこういうところだ、と。こういうところが、後ろを振り向かないと思っていた私の印象を丸っと変えてくれた。

「前もこういうことあったんだぜ」
「そうだっけ?」
「ああ。俺が落としかける物は、全部ナマエが守ってくれる」
「拾ったんじゃなくて?」
「同じ意味だよ」

 はて、と首を上げて数秒虚空と見つめ合わなくてはならない。はたしてそんな場面あっただろうか。一体どのことを言っているのだろう。

「いいんだ、わからなくても。そのままの君がいいから」
「ダンデってたまに難しいこと言うよね。ダンデにしかわからないような言い方する。結婚してもちっとも変わんない」

 少しばかり口を尖らせてもダンデは解釈を垂れてくれなかった。要は、私には取り留めのないことばかりだったのだろう。ダンデと私の物差しは天と地ほどの差がある時も間々あるし、いつの間にかダンデが失くしたくないものを私が留めていたらしい。それを教えてくれない辺りがダンデかもなぁ、と、残り少なくなった食器を眺めながらぼんやり思う。
 多分、本当に取り留めのないことばかりだったのだろう。それこそ、さっきのカップみたいに。そう考えてもみたら、そこになんとなくダンデの心を見た。流星を描く気持ちは私だけのものじゃない、きっと。

「……それ、洗ったばっかだけどさぁ、紅茶淹れようかな」
「いいな、俺も丁度飲みたくなってたんだ」
「水だけ拭いておいて。お湯沸かすから……あ!割らないでね!」
「もちろんだぜ!」

 目を輝かせるダンデの笑顔が瞬いて、私もつられて破顔した。

 まだ結婚したてだからこうしてダンデのことを気に掛けているけれど、これが数年経てばどうなるのだろうとふと想像して、でも諦めることはないような気もする。ダンデの世界に入れてもらえた自負があるから、この先も死ぬまで、死んでからもずっとダンデにばかり目を向けるのだろう。もしもこの星が終わっても、私達はずっと手を繋いでいる確信がどうしてかあった。
 直後に二度死守することになったカップになみなみと紅茶を注いで、温めたミルクを混ぜて、星屑みたいに細かな砂糖をほんのり忍ばせたら、キッチンに二人寄りかかったままほうっと息を吐いた。夜も更けてはきたが、まだ眠るのが惜しいのは、互いに同じだった。

「……幸せだ」

 だなんて、紅茶を覗き込みながら零すダンデの横顔は、自惚れなく幸せの色を刻んでいる。丁度左手に光る指輪をそうっと上に掲げて、それを照らすのは今は星ではなくLEDの照明だけれど、あの夜の輝きには及ばないけれど、私達二人で噛み締める分には申し分ない輝きである。

「ナマエが、いるんだ。この先ずっと俺の横に。それで、同じ指輪をして、俺が落としたものは拾ってくれる。凄く、幸せだ」
「幸せの表し方が落とし物拾いかぁ。それに、同じようなこと先週も言ってたよ」
「言いたくなるから口にするんだ。最高の愛情だろ?」

 でも落とし物拾いかぁ、そんな風に言うのはちょっと、などと茶化して笑ってみせても、ダンデは穏やかな幸せの色を曇らせない。また、星を詰めた瞳を私に向ける。ああ、と感嘆の息が漏れた。

「……私も、だけどね。ダンデが隣にいて、同じ指輪して、落としたもの拾ってあげられるの。凄く幸せ」
「同じ気持ちだな」
「何拾ってるのかわかんないのにね。でも、同じ気持ちだから、これ、受け取ったんだよ」

 左手を伸ばしてダンデにわざわざ披露すると、優しいダンデが重ねてくれる。ソファでじゃれていた時よりも酷く緩やかな手つきだった。次いで、引力で引き寄せ合うように、されど優しいキスも貰う。

 ダンデが遅刻した夜を、また思い返した。約束したのにいつも通り時間が過ぎても来なくて、もう諦めて帰ろうとした私の前に飛び込んできたダンデは、星を形にしたみたいに美しい指輪をくれた。ダンデは汗で顔は濡れていたし、スーツは汚れていたし、髪もぼさついていて、だけど私だけを真っすぐ見ていた。その瞬間、急に惑星に二人きりみたいな夜に様変わりしたのだ。寂しさも悲しさも吹き飛んで、理解したらもう、私はダンデの世界にいた。
 レストランの大きな硝子窓の向こうで、星が震えるのを私は見た。意外と物に付随する思いを大事にするダンデは、そうして、私の指に星のようなダンデの想いをくれた。あの幻想的で、でも確かな現実を私が忘れることは誓って生涯ない。
 ダンデは私を星みたいに綺麗だって言ってくれたけれど。それは私にとっても同じことだ。私の願い星は、いつでもダンデの形をしている。