- ナノ -

ひらひら陽に透かしてる


 負けず嫌いのお嬢ちゃん、と揶揄されることが大嫌いだ。自分で言うのもなんだが、そこそこ格式のある家に生まれて生きているから、お嬢さまだとか、そういう呼ばれ方は昔から慣れている。
 だけど、チリから放たれるお嬢ちゃんは、そういうことを加味して口にしているわけではないと、私は最初から知っている。一時は憧れすら抱いていた人間ではあるが、初めて彼女相手に敗北を味わったあの日。ひんしになったポケモンを抱き抱えて項垂れる私をその長い背丈で見下ろしながら。

「楽しかったで。でも、ひらひらのスカートはやめとき」

 そう笑って、私の頭を一撫でした。あの時私ができたことはほとんどかすり傷程度で、怒涛の攻撃と防御にほとんど手も足も出せなかったのにも関わらず、チリは私に優しく笑った。
 バトルは勝てる方だった。家にバトル好きの人間もたくさんいて、昔から指南してもらってきた。でんきタイプを愛する家系だったので自然と私の最初の一匹もでんきタイプになったが、それで四苦八苦しながらも、接待で勝たせてもらってきたわけでもない。何よりでんきタイプは弱点の少ないタイプであって、攻撃力は抜きんでて高くなかったとしても素早さが高い子も多いし、めったなことで後れを取ったりすることもない。苦手なタイプ相性でも、それをカバーできるよう技の構成を考えて、負けることなんか限りなくゼロに近いくらいになかった。
 でも、チリにはそうもいかなかった。じめん対策だってきちんとしてあったのにも関わらず、素早さでは勝っていたにも関わらず――私はあっさりと負けてしまった。
 その上でかけられたのがあの言葉だ。楽しかったなんて、ろくに指示も出せないまま翻弄されて、無様に負けた私に対して。しかも私のお気に入りのスカートにもあんな言い方。
 私はそれを、侮蔑だと解釈した。


「そんな気あらへんかったのやけどなぁ……」
「でも私はそう受け取りました!」

 私を差し置いて四天王になったと聞いてから、ますますチリを蹴落とやろうそして私が四天王に、と目標を掲げてから幾星霜。悔しくも未だに私はチリに勝てずにいる。もう互いに同じ学び舎に通う学生ではなくなっているので、私が直接足をリーグまで運ぶか呼び出さないと彼女とは勝負もままならない。

「せやかて……ナマエ気付いとった?じしんの度に尻もちつくから、スカートの中チリちゃんからは丸見えやったんやで?」
「じゃあじしんやめればよかったでしょう!」
「そうもいかんやろ。じめんタイプ十八番な技なんに」
「だったらちゃんとそう言えば良かっただけなのに……あんな言い方凄くカチンときた!」
「ほうらそんなぷりぷりしない〜、ほれ、アンタの好きな紅茶買うてきたんやから」
「あら!まったく、最初に言いなさいな」
「そっちが対面一番に大昔のこと蒸し返したんやろ」

 偶に大袈裟な物言いをするチリは、初めて私に覆しようもない敗北を味わわせたあの日を大昔なんて言うけれど、同じ学び舎を卒業してからそんな長い年数は経っていない。そういうところもどこか大雑把で飄々としていて、自由に振る舞っているように見えた彼女のことを一時は素敵だな、と思ったこともあった。でもチリの言葉を借りるのならばそれは大昔のことで、今私の中で燻ぶるのは彼女へ向ける対抗心ばかり。あの頃は家のことで縛られることも多くて悩んでいたから、ますますその長い手足でどこまででも軽々と行けてしまいそうなチリの姿は、なんだか目が眩むほどに煌いていた。

「お庭に行きましょう。それで、ティータイムが終わったらバトルよ。今日こそ絶対貴女のこと地面に這いつくばらせてやる」
「相変わらずだだっぴろい庭やな〜。お。あそこの植え込み変わっとる」

 チリを家に招くのはもう何度もあることで、今日も今日とてチリが休みと聞き付けてこうして呼び出した次第だ。卒業してからは互いに仕事もあるし、示し合わさないと会うことも簡単ではなくなってしまったので、敷地内に広いコートを持っている私の家に招くのが通例になってしまった。本当は家の外でバトルをしてチリが負けるところを観衆の目に晒してあげたいのだけれど、チリが私の家がいいと言ってきかないのだ。だから家の門から自慢の庭のテラスまで歩く道も景色もチリの目には馴染んだものとなっているが、ふざけているように見えて案外細かなことに気が付きやすい。今も庭の一角を眺めて、私の言葉なんか知らんぷりしつつもそう声を上げてくれた。

「そう!私がデザインしたの!綺麗でしょう?」

 先日整えたあれは、私が範囲も植える花も木も決めた場所だ。もう少し華やかさが欲しいなと不意に思い、これからは季節の花をその時季に合わせて変えていくつもりで。自分でも中々気に入っているから、気付いてもらえて、それがチリだったとしても嬉しくて胸を張った。
 そうしたら、チリは庭の植え込みから私に目を移して、普段は賑やかそうな身振り手振りだけでなく顔つきまでするくせに、今は静かに笑った。

「うん。別嬪さんや」
「……?ええ、そうでしょう?」
「そっか。だから手、細かい傷があんやね」
「よく気付いたわね。そうよ、私が植えたし剪定もしたの」
「チリちゃん目がいい子やから」

 花や木をいじる際に、最後に細かい調整をしたくて、どうせ少しだけだからと気を抜いて手袋もしないで触れた結果、細かな切り傷がいくつかできてしまった。棘がある花もいくつかあったし、そうでなくても草花に触れていると傷が生まれやすい。しかしもう赤味もなくなっているし、塞がりかけていて肌の色とそう変わらないものばかりだ。だから近くで見ても目を凝らさないとこんな傷痕めったに気付けないものだろうに。
 チリは昔からそういうところがあった。私が髪の毛先を切った時も、シャンプーを変えた時も。外見だけではなく気分の落ち込みにも鋭かった。そういうあらゆることに敏感だからこそ、四天王の資質ありとオモダカ委員長の目に留まったのかもしれない。
 でも、花を別嬪だなんて、そんな詩人みたいなことを言うタイプじゃなかったと思うけれど。――そうして、私は蓋をする。
 いつの間にか感性まで磨いてきたのだろうか。これ以上私と差をつけないでほしい、と思ってしまったところで急にハッとして唇を噛んだ。私の方が劣るということを、私自らが認めたくはない。せっかく植え込みを褒めてくれたのに、途端に拡がる嫌な気持ちが煩わしい。蝶よ花よと育てられてはきたが、親の七光りとか、世間知らずと謗られたくはないから努力は怠らなかった。勉強もバトルもそうして勝ちを得てきたのに、タイプ相性を抜きにしたって、チリから受けた敗北は私の中では決定的なものだった。あれからずっと、私は他の誰よりもチリに勝ちたい一心で生きている。

「ナマエ?どうしたん?」
「……なんでもない」

 数えきれない程にバトルをしてきたから、チリが一番、私の負けたくないという気持ちをわかっている。でも、いつもひょいっとかわされてしまう。そんなチリへの憧れなんかとうに消して対抗心だけ燃やす私に、よく優しい顔を向けてくるから、その度に苛立ちに似たもやつきが立ち上ってくる。けれど、私がどれだけ苛立ちをぶつけようと、嫌味を言おうと、チリはただただ笑うばかりだ。かわいいお嬢ちゃん、目がそう言っているように見えて仕方なかった。

「……美味しい」
「そうやろ?」

 行き着いた、花々に囲われたテラスで向かい合って、カップをテーブルに戻して。悔しいが、チリが持ってきた紅茶に嘘を吐きたくない。なにせ私が昔から好んで飲んでいる銘柄だ。チリは普段はコーヒーを嗜むくせに、我が家に来た時だけは私と一緒に紅茶に舌鼓を打つ。味の違いとかようわからん、なんて自嘲しつつも、私が好きなこの紅茶だけは美味しい美味しいと頻りに口にするから、かなり気に入っている様子だった。

「クッキーも美味しいわ〜、パティシエさん腕上げたんとちゃう?」
「あらありがとう。そう言ってもらえると作った甲斐もあるわね」
「…………え?」
「なに?」
「いやこれ……ナマエが作ったん?」
「そうだけど、美味しいと言ったのだし今更まずいは受け付けないからね」
「そうやないって!なんや早く言ってや!」

 何故か怒られてしまったが、それからのチリは少し可笑しかった。ついさっきまではばくばくと大口開けて噛みついていたのが、一口一口ちまちまとかじって、目を瞑って口の中で丁寧に咀嚼している。別にチリのために焼いたものじゃないのだが、何を今頃味わう必要があるのかと。

「さっさと食べ終えてちょうだいよ。バトルができないじゃない」
「待ちぃや……もうちょい……もうちょいゆっくり食べさせて……」
「待てない!そんなに気に入ったのなら残りは袋に詰めてあげるから!」
「ほんま!?」
「だからさっさとバトルの準備しなさい!」

 腑抜けた頬を引っ張りながらそう急かすと、パッと目を輝かせて、自分の頬が引っ張られていることなんかどうでも良さそうに、チリは射す太陽の光の中で笑って喜んだ。


  ◇◇


 バトルの後にゆっくりティータイム、の方がなんとなくいいような、そういう人もいると思うし、なんならそっちの方が大多数なのかもしれない。でも、私は絶対にバトルの前にブレイクがしたい。好きなものを食べて、好きな紅茶を飲んで、一度ゆっくり体も心も落ち着けてから、そうやって自分の士気を高めるのだ。でも以前はバトルとブレイクは逆だった。今のスタイルにしないと自分の平常を保てなくなってしまったのは、どうしてもチリが勝ってしまうから。悔しさ一辺倒となった私が、どうして私を負かし続ける呑気な顔の人間の隣で穏やかなティータイムなどできるだろうか。怒りにも近い感情を抱えたまま、どうしたらへらへらと笑うチリと、同じ紅茶が飲めるの。

「まぁたひらひら」
「うるさい」

 地面に手をついた私を見下ろすチリは、後ろに太陽を背負っているせいか、逆光に染まっていて表情がうまく見えない。バトルの前に胃に食べ物を入れたせいか、じしんに酔ったような感じもして、心底気分も悪い。そうして、ひらひら、にとどめを刺された。土埃に汚れたお気に入りのスカートを見つめながら、えぐれた自前のバトルコートの土と砂を掘るように握り締める。ネイルと皮膚の間に土が入り込んでも、その冷たさは今の私に必要なものだった。

「はらはらすんねん。チリちゃん相手だからまだいいけど、撮影とか無許可でする邪な奴はいくらでもおるんやで。お陰でナマエとは外じゃ怖くてバトルでけへん」
「これが私の好きな服だもの。チリにとやかく言われたくない」
「学生の頃もそうやった。ナマエは気付い取らんかったけど、スカートの中狙ってた奴おったんよ」

 じゃあどうすればいいの。バトルに適した服装をしろって?なら、適した服装って、何?チリみたいに足は全部隠せばいいの?そんな、勝敗には全く関係のないスカート一枚でくどくど言われたらたまったものじゃない。

「じめん対策どんだけしても、結局力負けしとる。お父さんの言うことばっかお利口に聞いとるだけやなくて、もうちょい頭捻らんと。伊達に四天王の露払いしとるわけやない、チリちゃんには勝てへんよ」
「私は私の好きなものを持っていたいだけ。スカートも、でんきタイプだってそう。そういう家系だったとしても、私が好きだから、それで勝ちたいだけなのに。チリだってそうじゃないの?」
「そうやね。でもチリちゃんやって、いつも気になってしゃぁない」
「同性のスカートの中身が?ここには私とチリしかいないのに?やだ、とんだ変態だったの」
「……そうや」

 は、と口を開けた。思わず顔を上げるのと同時、チリが膝を折って顔が私と近くなる。いつも上から偉そうに頭を撫でてくるくせに、どうしてか今日はこうして私に近くなった。
 あ、いけないと率直に感じた。

「変態さんなんよ、チリちゃん。ナマエのスカートの中が見えそうになる度に、ドキドキしてしまうん。昔も今も」
「……黙りなさいよ」
「ちっこい傷も心配になる。ナマエが男の汚い慰みになるのも許せへん」
「やめて」
「ひらひらのスカート、よう似合っとるよ。でんきタイプのポケモンのこと、本当に大好きなのもよーく知っとる。ふわふわの髪も可愛くて、お菓子作るんもうまくて。ナマエはチリちゃんに似合わないものも、ないものも、よう似合ってて、持ってて」
「チリ!」
「ほんとはあんまし意地悪言いたくないんよ。でも、意地悪しないと、ナマエはチリちゃんこと追っかけてくれへんから」
「っ」

 咄嗟に握った土をぶちまけていた。ばさっ、と顔や服にあたった軽い音が鳴って、でも私の耳には荒い息ばかりが聞こえていた。それは、私の体の音だ。だって、チリはずっと静かにしている。黙って、目は一度閉じたけれど、すぐさま開いて、静かに私を見据えている。

 ――本当は前から、どこかでわかっていた。わかっていて、そんなこと許せないって、思ってきた。スカートを一々気にすることも、クッキーを大事そうに食べていたことも。でも許したくないから、だから平気で家にも呼べたし、私の家族と付き合いができても、そんなものだと許容してきた。料理は人並みにできるくせして、一人暮らしだから食生活が偏って困っている、なんて嘯いて、夕飯まで居座って私の家族と会話を楽しむ。特に、卒業して私達が一つの場所で会える機会がなくなってからは。
 だって私は、チリだけを見てきたから。華やかではなく明るくもなく、偽りないそれは誇張もない事実だ。憧れから始まった最初の感情から、今の今まで、ずっと。だから許したくないことまで、私には、嫌でも見えてしまった。

「お姫様みたいやなぁって、思っとった。チリちゃんには絶対似合わないひらひら翻して、でも目ん玉ギラギラさせてチリちゃんに食らいついてくるん。可愛くてかっこいいなって」
「お嬢ちゃんって茶化したじゃない」
「やって可愛いんやもん。もちろん今も。チリちゃんの中で、かわいいはイコールナマエなんよ」

 土と砂を浴びたことなんかどうでもよさそうに。寧ろ、慣れているのだろう。チリはじめんタイプと共に生きている。侮辱ともとらえず、私に怒りもしない。
 生温さが嫌だった。私がこんなにも必死になって、負かしてやると宣言しても、いつだっておどけた顔でおどけたことを言ってくる。真剣さに答えてくれないように振る舞って返して、けれどバトルになると全く手を抜かずに私を打ちのめしてくる。そんなことを、はたしてどれ程繰り返してきただろう。どれだけ、チリの中が見えてしまっただろう。

「せやから」

 土に汚れたネイルをすり、と撫でてから、チリは私の手をそうっと握った。反射的に引っ込めようとしたのに、あまりにも情熱的な温度だったから、結局引っ込められなかった。

「これからもずぅっと、チリちゃんだけ見ててや」

 そんな優しくて甘い瞳で見られても。私を負かしておいてそんなことを。チリを相手にすると、私はせいぜいチリの靴先に砂を辛うじてかけられるくらいの力しか持たない。拮抗しているなんて我ながら言えるべくもない力量の差だったとしても、私はチリを地に伏したいと躍起になってきて、それをわかっているくせに、チリは私にそんなことをのたまう。
 遥か遠くから憧れを抱いていた頃の私が、こういう時ばかり、薄っすらと蘇ってくる。自由に振る舞うチリを素敵だなと思っていた、目で追っていた、未熟な心。それで、変わろうとした私とは違って、大人になっても、私を見る目が欠片も変わらないチリ。
 どれだけ目標を掲げて邁進しようと、一方で悔しさと怒りに満ちた日々は時折堪えるのは正直な話で。そんな瞬間は、虚しいことにチリの優しくて甘い瞳を思い出して、滑稽にも頭を抱える。生温さに浸れたら、私だってどれだけ楽になれるのか、なんて。

「……私、ただ、チリに勝ちたいだけなの」
「うん。知っとる」
「だから、そんな風に手を握らないで」
「お友達のおてて握ったらアカンの?」
「はっ、おともだちねぇ」

 私を友と呼ぶのであれば、そんな風に私だけを見ないでよ。なんて言いながらそれは、私自身への言葉でもある。今まで勝つ日をひたすらに目指せたのは、認めたくないがチリが私だけを向いているからだ。もしチリが余所を向いてしまったら、はたして私は今までのように次こそ絶対勝つと、勇ましくあれるだろうか。だなんて気付いてしまうのは、詮無いことであるのと同時に、とても恐ろしいなぁ。