- ナノ -

君の言葉だけ耳が熱い


 腕の中のヒトカゲにたまらず頬ずりしたら、隣からずずいっと首を伸ばして、ヒトカゲの隣に顔を並べる大男が現れた。不満と期待をないまぜにした可笑しな顔が、今か今かと私を待ちわびている。ぶふ、と噴いてしまいそうになった。いや対抗するなと息を吐いてしまいそうになりつつも、しょうがないなぁ、と左手はヒトカゲの頭、右手は素直に紫色の頭に乗せる。

「くっ……ふふっ……よしよし」
「かげぇ」
「もっとだ」
「こっちのオスは注文が多いな」

 自分でメスのヒトカゲを私に譲ったくせに。それはもちろん数度に渡る協議の末の結論ではあったけれど。ダンデの望んだ通りオスではなくメスを迎えたのにも関わらず、この男はもう。と呆れを感じつつも、以前にも増して構ってほしそうな顔をするようになったダンデに、じゃあ面倒な思いをしているのかと言われれば、私も甘いが胸を張ってそうだとは豪語できないのである。普段はガラル中から頼りにされて背を真っすぐ伸ばすのに、こんな時ばっかり私の前で体を丸めて。せっかく、ポケモンに興味を持ったと先日はあんな童心丸出しで大喜びしてくれたのに。

「これでいいですか〜?」
「ああ」
「かげっ」
「ヒトカゲもね〜……あ〜かわいい……ッ、めちゃくちゃかわいい……!」
「おい手が止まってるぜ」
「ほんと注文が多い!」
「俺だけで事足りるって言ったのに」
「言ったけど……オスは、の話ね」

 私の右手を小さな手で掴んでにぎにぎとしながら、そりゃあもう満開の笑顔を咲かせてくれているヒトカゲは正真正銘メスで、それはダンデのお墨付きでもある。わざわざリザードンに頼んでタマゴを用意して、孵化もして自分で性別を確かめていた。孵化は私もしたかったのでそこは若干不服はあったが、頑としてメスしか許さない目をしていたので。またややこしくなりそうだったためそういうのはするっと飲み込んでおいた。
 そうして忙しい日々の合間に手間をかけてまで私にメスのポケモンをくれたダンデだが、誰がこんなびっくり展開になると想像できただろうか。

 私の初めてのポケモン、として目の前に現れたヒトカゲは、それはもうつぶらな瞳をしていて、ゆらゆらと遠慮がちに揺れる尻尾の炎も綺麗で、最初にあの瞳と目がかち合った瞬間から愛おしさが爆発した。生まれたて、というのも漏れなく加味され、坂を転げる勢いで愛おしさが加速するばかりである。そう、すぐさま夢中になったのだ。世話の仕方や注意に関してはすぐ近くにエキスパートがいるので全く困ることはなく、でも人に言われるがままじゃな、とも思い直していくらか勉強もした。ポケモンフードの種類の多さにも改めて驚いたし、性格によって力の変動があることも。私は別にバトルをするために育てるわけではないのでその辺りは特に気になることはなくて、ダンデも最初からわかってくれていた。
 そうやって最初の内はアドバイスをくれつつ私達を見守ってくれていたのだが、一体どのタイミングでその胸にあらぬ火が点いたのやら。ある日突然、朝も昼も夜もヒトカゲに構う私の隣にずしんと座りこんできて、じぃっと意味ありげに見つめてくるようになった。この前までは私がヒトカゲと顔を寄せ合ったり抱っこしていると、スマホで写真を何枚も撮って満足げにしていたのに。

「……随分楽しそうだな」

 え、と瞬きして固まったのは言うまでもない。ヒトカゲからダンデにそっと目を移して、とうとうその目を目の当たりにすると、自分でも賞賛できるくらい一瞬にして悟った。

 結局オスでもメスでもこうなるんじゃん、と。

「メスなら許してくれるんじゃなかったの?」
「……許してるさ」
「いや許してないでしょ」
「許してる。証拠に、風呂も寝るのも全部許してるだろ」
「そうだけどさぁ……」

 無言で撫でろアピールをしてきたダンデの頭に乗せる右手を止めると、間髪入れず文句が飛んでくるから、私は休まず髪ごと頭を撫で回したり頬や顎を撫でてやっているが、そうするとダンデに浮かぶ表情の大半はどうあっても隠しきれていない嬉しさである。
 ヒトカゲとお風呂に入るのも寝るのも至難だが、不可能ではない。それについても教えてくれたのはダンデだ。進んでアドバイスをくれて、生温い瞳でしばらく私達を眺めていたのに、本当にある日突然。ヒトカゲを迎えるまでと比べても、私を目で追いかける時間も増えたし、私に張り付くようになってしまった。何か不満なのか?と視線で問うても、不満だと書いた顔をしながら仕草で否定してくる始末。言いたいことは大抵口にするダンデが珍しく口を濁す様が奇妙だったが、かと言って私は何もいけないことをしているわけでもないので。そんな不可解な気持ちに苛まれ始めた矢先の「楽しそうだな」発言である。
 ダンデがオスを嫌だと言った時ほど目が据わっているわけではないけれど。オスをだめだと言ったのは多分嫉妬するからなんだろうが、まさかメスにまで嫉妬するなんて。そもそも性別関係なくポケモンに嫉妬するのもどうなんだろうと思わなくはないが、ダンデにとってポケモンは近しい存在であるため私ほどの境界はそもそも持っていないのだ。それは自らがオスであると真似するほどに。

「かげっ、かげ」
「どうしたの?あ、お腹空いたかな?そろそろご飯の時間だもんね」
「かげ!」
「よ〜し待っててね〜」

 左手をちんまりとした手で握ってくれていたヒトカゲが、突然何かを訴えるように鳴きだしたため、顔を近づけて意図を汲んでやる。もうすっかり昼時であることをふと思い出して、ヒトカゲのおでこに軽くキスしてから立ち上がった。にぱっと嬉しそうに笑ってくれるヒトカゲに、ああやっぱりオスとかメスとか関係なくかわいいな、と余計なことは頭から飛んでいって胸が弾んでしまう。しかし視界の端っこに、到底言葉では表しきれない凄い顔をしているダンデが映ったので思わずぎょっとしてしまった。

「なっ、なに」
「………………いや」

 いや、ていう顔していませんけど。



 ヒトカゲのご飯を用意している間もダンデは私の後ろに張り付いていた。何か言いたそうなのに、結局口を噤んで。背中にゆるく抱き着いて、それは強く抱き締めると私の準備がままならなくなるため加減しているのだ。だけどぎゅうっと抱き着きたそうに瞼をぎゅっとしたり細めたりしながら、私との距離をそれでも詰めたいのか腰に両手を添えることで落としどころを見つけたらしい。くすぐったくてしょうがないが、妥協できるならそれでもよかろうと、内心笑った。
 ダンデは自分でもわかってはいるのだと思う。オスはだめだと言い切ったのはダンデ自身で、私はその通りにメスのヒトカゲと共に生活をスタートさせている。それはダンデが文句をつけられるようなことではない。あれほどオスはダメだと迫って、ポケモンの真似をしてまで私の気を引きたがって。そうまでして、私にオスのポケモンの選択肢を消させたのだから。

「はい、あーん」
「かぇっ」
「上手〜!」

 ヒトカゲは自分で器から直接フードを食べられるが、まだ手が覚束無いというか、偶にぽろっと手からも口からも落とす時がある。そんな時はついついと、私の手から食べさせてあげてしまったり。いつまでもそれじゃ教育的にも良くないけれど、どうしても甘やかしてしまいたくなるのである。ぱくっ、と歯が私の指に当たらないよう気を付けながらフードを食べて、美味しそうに顔を緩めてくれるヒトカゲに、またも愛しさがロケットでも発射する勢いで込み上げてきた。こうしているともっと早くポケモンに興味を持って迎えればよかったと思えてくるから不思議だ。ヒトカゲが出会ったときから私に好意的で、ようく懐いてくれているからだとは思うが、改めてポケモンへの愛情を抱けた気がする。

「……」
「全部食べたねえらいね〜!あ、口の端の汚れ取るね〜」

 相変わらずじっと見つめてくるだけのダンデは、私がヒトカゲにあーんしてあげた時も、こうして口周りを拭いている時も、一切逸らすことなく。なんだかこれはこれで面白いからこのままにしておこうかなんて邪心が胸の中を揺らしたが、さすがにそれをしたらこの男は拗ねるどころではなくなる予感があった。

「……」
「お腹いっぱいになったかな?ん〜?目がとろんてしてるね、お昼寝する?」
「かげ〜……」
「よしよし。ほうら抱っこ、おいで」

 他と比べても体の大きさが小さいらしいヒトカゲを抱っこして、ヒトカゲ用に買ったベッドに抱き上げて連れて行ってやる。歩いても数歩の距離なのだが、なんとその距離すらもダンデが後ろからのそのそとついてきた。

「ゆっくりおやすみ」

 ベッドにヒトカゲを下ろしてやれば、すぐ丸くなって眠る態勢に入った。すぐに寝息が聞こえ始めたので、もう夢の中らしい。
 さて、ヒトカゲも眠ったので。と、後ろをぐるんと振り返ったら、思っていた以上にダンデがすぐ側にいたからちょっと驚いた。でもダンデは私がいきなり振り返っても微塵もびっくりする気配もなく、寧ろ私の肩に手を置いて、そこから動けないよう固定したのだ。

「……」
「……わかってるわかってる、拗ねないでよ」
「拗ねてない」
「それは拗ねてるっていうんだよ」
「俺はそんなことしない」

 どの口が言うんだよ、と乾いた笑みが零れた。
 困ったものだ。私はちゃんと、オスは手一杯だって言ったのに。


  ◇◇


「は〜〜〜〜!はぁ……かわいい……」
「……」
「こっち……ほらこっち見て……うわああ〜!!やばいかわいい……」
「……」

 常々かわいいと言われるのは正直不満ではあるが、今となってはそれでもいいとさえ思えた。ナマエの目がこちらに向くのであれば不本意であろうと万々歳である。だって隣からじとりとナマエを見つめていても、彼女の目の先はさっきからずっと俺以外に向けられているのだ。その好奇心と愛に満ちた瞳がこちらに向くのであれば、普段は嫌う“可愛い”だって手放しに喜んでしまえる自信があった。

「ほうらご飯だよ〜」
「ぎゃう!」
「えへへ……えへへ……」

 カメラアプリを用いてあらゆる角度で連写するナマエは、自身がどんな格好になろうとお構いなしと言った感じで、時に正面、時に真上。はたまた寝転がって横や斜めから。俺の前でスカートがずり上がろうと何も気にする素振りもない。スタジオで写真を撮られる際はカメラマンもよくああするよな、だなんて余計なことを考えて自分の邪な気持ちを誤魔化そうとしたのに、結局カメラすらも俺に向かないことに胸の内がぐずぐずとしていた。ナマエ本人はあそこまで無我夢中になっている自覚がないようで、よく俺の反応に不思議そうに首を傾げる。

「……ずるいぜ」
「え〜?なんか言った?」
「いや……」

 ポケモンを欲しがったナマエが、俺が手ずから譲渡したヒトカゲに夢中になってしまってから、はたして幾日経っただろうか。どこの骨の馬かもしれない人間からポケモンがナマエの手に渡ることは絶対に許せないことだったので、リザードンに頑張ってもらって手に入れたタマゴから生まれたヒトカゲは、俺の望んだ通りのメスの個体で、それはもう目論見通りで満足だったし、俺とてナマエとポケモンの組み合わせには期待に胸膨らませていたのだ。
 ポケモンに特に情熱を傾けているわけではなかったナマエが、気紛れかもしれなくても彼等に興味を向けてくれたのだから、子供のように弾まないわけなかった。元々全く興味のないわけではなさそうだったが、進んで育てようだとか、そういう気持ちは薄そうで。生き物の命を預かるのだから、そうそう無責任に手を伸ばすべきことではないけれど、俺の愛する存在を同じように愛して欲しいと言う気持ちは少なからず持っていた。でもそれは俺の気持ちであって、誰もが同じようにポケモンに情熱を持てるのかと問われれば、それはノーであるということも重々承知している。
 何よりポケモンを育てるにはあらゆる面で金もかかるのだ。欠かせないモンスターボールも基本的には金と引き換えに手に入れる品物である。薬にポケモンに適した環境に、種族によっては膨大な予防接種や定期的なメンテナンス。主に対人間用の保険。物件だってポケモン可なのか否か、或いは大型であればOKなのか小型しか許されないのか等々、ポケモンと共に生きるというのはそういうことだ。それを煩わしいと感じる人だって数えきれない程にいる。それを、小さな頃はうまく理解出来なくて、数えきれないくらい憤ったり苦労したこともあった。
 ポケモンは不思議で素晴らしい存在なのに。パートナーとして共に生きることが何故苦痛になるのか。当時は首を傾げて本気で訝しんだことだが、今ではきちんと理解して昇華できている。誰もがみな、俺と同じではない。

 その例の一つだったナマエが、ポケモンを育てたいと言い出したものだから、世界に祝福されたような気さえした。愛する人が愛するポケモンへ目を向けてくれたのだから、当然ながら欠片も嫌なわけはなく。
 オスだけはどうしても看過できたなかったので、メスを強く勧め続けた結果ナマエも頷いてくれて、晴れてメスのヒトカゲを彼女へ贈ることが叶った。その組み合わせに胸を躍らせる日々が始まったわけである。

 の、だが。

「はい、あ〜ん」

 それ俺もしてもらったことない、そう言いかけて慌てて飲み込んだ。酷く子供染みている自覚もあるから余計に。
 ナマエは、それはもう目に入れても痛くないほどにヒトカゲのことを可愛がっていて、それに関しては非常に喜ばしいことである。最初はそういう感情しかなくて、とうとうナマエが俺の愛する世界に来てくれたのだと嬉しくてたまらなかった。バトルはきっとしないだろうけれど、ポケモンへ慈しみを向けて、愛情を注いでくれる。しかも自分でも調べつつ俺を頼ってくれるのだから殊更。ナマエとの絆が深まったような気がして、胸が温かさに満ち満ちてやまなかった。
 だけど、そこからが自分でも予想外というか、なんというか。生まれたての子供へ対するのと変わらないように接するナマエの目は、あの日から初めてのポケモンへばかり向けられるようになって、それに最初の頃は何も思わなかったのが、段々と、気付いたら。どこへ行くにも一緒。会社も、買い物も、食事も、風呂も、寝る時も。俺よりも逸早く向けられる甘い視線が、ヒトカゲだけに向けられている日々が、可笑しなことにどうしても素直に受け入れられない。
 そうは言っても理解はきちんとしているのだ。ポケモンへ愛情を注いでくれるナマエがとにかく愛しい。ヒトカゲのことで一喜一憂するその姿に慈しみを感じる。しかも、俺の望んだ通りメスのヒトカゲ。これがオスだったら絶対に耐えられないかもしれなかったが、あくまでも俺の望んだ通りのメス。そう、俺が望んで、ナマエを言い包めた通りの。

「そんな顔しないの〜」

 肩に手を置いてじっとこれまた見つめていれば、むぎゅ、といきなり頬を挟まれた。不細工な顔になっているに違いない俺の顔を、ナマエがけたけたと笑い飛ばす。小さな声なのは眠ったばかりのヒトカゲを気遣っているのだろう。でも、次の瞬間には、挟んだ頬をゆっくりと撫でてくれる。その細められた瞳と優しい手つきに骨の力が抜けるようで、思わず喉を鳴らしかけた。
 ああ、ナマエの目が俺だけに向いている。それをどうして喜ばずにいられるだろうか。

「ダンデを愛してるのは変わってないよ」
「……俺がこんなに心の狭い人間だって知らなかった」
「ヒトカゲばっかり構ってごめんね。でもわかってるでしょう?それに、ダンデは私だけのオスだもん、忘れてないよ」

 私だけのオス。ナマエのダンデ。
 ダンデの、ナマエ。

「……ぎゃう」
「うん」
「がう」
「うんうん」

 欲しかった言葉にますます力が抜けていった。チャンピオンも形無し、と言われたって今なら構わない。俺は自分が思っていた以上に自分のものへの執着が深いらしい。
 頬に当たる掌に擦り付けて、ナマエの首筋に顔を埋めたらそこにも顔をすりすりと擦りつける。ヒトカゲが彼女に抱き締めてもらう際にそこに顔を埋めることを知っていた。ヒトカゲだけじゃなく俺の匂いもしっかり残すように。かぷかぷと肌を甘噛みしたらナマエがくすくすと笑った。笑いながら、今度は俺の頭の後ろを撫でてくれる。嬉しいから、首筋を舐め上げた。