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(if)君の笑顔が花開くまで-4


 あっという間だった。あっという間にライブ当日を迎え、会場の待機室の隅っこで口から心臓が飛び出そうになっている。練習は繰り返したが、本番にこんなに緊張するなんて、一体いつ振りだろうか。

「まだ時間あるのに」
「だだだって、だって」
「震えすぎたい」

 マリィちゃんの辛辣な言葉にも震えは止まらない。ほんとガラルのトレーナー達って肝が座りすぎである。観客が囲むど真ん中で試合するのだから大したもんだ。かくいう私だって昔は舞台の上に立っていたが、それとこれとは話が別だ。

「ユキワラシみたい」
「……あ」

 不意に響いたマリィちゃんとは別の声に、自然と背筋が伸びた。声の聞こえた方へ顔をやれば、そこには予想通り、いつも通りの優雅な笑みを浮かべているアメリアがいた。隣にはスタッフの人がいて、その人に通してもらったのだろう。

「まったく、しゃんとしなさい」
「アメリア〜……」
「いつも堂々と舞台の上に立っていたでしょ!」
「はい……」

 抱き着けば当然のように抱き留めてくれて、ポンポンと背中を叩いてくれた。優しい声が「久しぶり」と大切そうに紡いでくれて、私も同じように「久しぶり」って返す。カロスからこっちに戻った以来の顔合わせだが、むこうでもずっと側にいてくれたお陰で、自分でも驚く程の安心を感じる。

「物販でCD買ったから。楽しみだわ」
「それはね、自信ある」
「なら本番も自信を持ちなさい。きちんと納得できたのでしょう?」
「なんでもお見通しだ」
「そうよ。私のライバルのことだもの。ところで、私のププちゃんは?」
「いや私のププリンなんだけど……」

 あそこ、と椅子の上で寝ているププリンを指差すと、「まぁ!」と色めいた声を上げて、さっと私を放ってそっちにパタパタと駆けて行った。待って、雑。
 寝ているププリンを気遣ったのか、うっとりと囁き声を出すアメリアは、動く音も最小限に、ププリンの眠る椅子の淵に指をかけて目を輝かせながら覗き込んでいる。

「ププちゃ〜ん!はぁ……!やっっとまた会えたわね……相変わらず寝ている姿もなんて可愛いの……」
「緊張で吐きそうな私を差し置いてこれだよププリン」
「良かったわね親に似なくて」
「酷い」
「ブッ……」
「えっ……マリィちゃん……」
「ごめん」

 みんなして私に優しくない。でも、少しだけ体のこわばりが、解けた気がする。こういう少しふざけたというか、気の張らない人がいてくれると。

「ププちゃんは私が見てるから、ナマエはその辺歩いてきたら?少しは気分転換になるんじゃない?」
「そうしよっかな……ププリンよろしく」
「ええ!ええ!任せてちょうだい!あぁ……早くカロスのお土産を食べさせてあげたい……でも起こすのは可哀想……」
「私の分取っといてね……」

 カロスにいた頃と変わらないアメリアを薄く笑って、待機室を出る。
 最後の通し合わせを終えたら、ネズさんは照明やら機材の細かな最終チェックに行ってしまい、あとは本番を待つだけだ。外の物販も盛況らしく、アメリアも買ってくれた私のキーボードの演奏も収録してもらった新曲が、飛ぶように売れているらしい。嬉しいが、緊張に拍車をかけなくはなかった。


 ふらふらと薄暗い廊下を歩いていると、毎日見ている藤色が見えた。見紛うことなきダンデさんだ。朝一で出なくてはならなかった私とは違い、後から来ると言っていたから今着いたのだろうか。背中を向けて廊下の隅っこに突っ立っているのは不思議だったが、近寄るにつれてぼそぼそと話し声が聞こえたから、誰かと話をしているらしかった。なんとなく、忍び足で近付いてみる。

「俺は、君に、とてつもない感謝をしている」
「そりゃどうも……」
「だがな、しかしだ。どうしても譲れないものだって、あるんだ」
「そうですかい……」
「俺に黙って彼女にポケモンを渡すなんて、どういう了見だ?それを初めて知った時の俺の気持ちが、君にわかるか?彼女がポケモンを持ったことがこの上なく嬉しくてどこで捕まえたんだって訊くと、君に貰ったと笑顔で言われた、俺の気持ちが」
「アイツから頼んできたんだって。お前の気持ち?ザマァッ!て感じ」
「くっ……この……」
「はっはっ、初めてお前に勝てた気分」

 色々と突っ込みたいところはあったが、もしかして、もしかしなくても、まさか。
 到達したダンデさんの後ろから顔を出すと、やっぱりな顔があって、ぶわっと表現し得ない大きな感情が込み上げてきた。

「えっ、えっ、来てくれたの!?」
「おー、来た」
「仕事が忙しくて来れるかわからないって言ってたのに!」
「休みもぎとった。お前の久しぶりのステージ、観ない訳にいかないだろ」
「うっ……!君って奴はほんとに良い奴だ……!あと私のステージじゃないからネズさんのだから」

 何年振りだろう、同期の顔を見るのは。イッシュに転勤して以来だから、本当に数えるのが億劫になるくらい久しぶりだった。
 はしゃぐ私に、照れくさそうに同期は頬をかいた。もう会社は辞めたから正確には元同期なのだが、ずっとそう認識していたから今更変えられない。
 感極まって近寄ろうとした私の体を、ダンデさんがキャッチして自分に引き寄せた。首と腰に腕を回され、後ろから抱き締められる。ん?と目を瞬かせる私の頭の上から、不機嫌そうな低い声が降ってきて目を剥いた。

「君は……もう少し自覚を持ってくれ」
「あ、はい」

 どうやら私が嬉しがっているから、同期に妬いている、らしい。さすがにダンデさんの嫉妬の声色は覚えた。昔同期が私にその……告白してくれた場面に居合わせたし、警戒しているのだろう。フった相手に私も少しデリカシーが無さすぎたかもしれない。
 それにしても、同期が私だけでなくダンデさんの昔の同期だってことには、本当に驚いた。ガラルに戻ってきて少し経った頃にそういえばと思い出して尋ねてみると、ジムチャレンジ時代の同期だって。世間って狭い。だから二人は連絡を取り合えたのだ。

「……仲良いようで、ほんと」
「当然だ。なにせ今度、」
「ああはいはい聞いてる聞いてる。俺も呼んでね」
「自分で自分の首を絞めようなどと、崇高な男だな。考えておく」
「ダンデさんちょっとは落ち着いてよ。それに、人が通ったらまずいでしょ」
「……」

 少し間を置いて、ダンデさんは名残惜し気に私を放した。初めは苦労したが、今やダンデさんの扱いにも慣れたものだ。

「そろそろ戻るよ。関係者でもないのにあんま長居するのは良くないだろ」

 関係者でもないのに居座るアメリアもいるが、まぁ敢えて言う必要はないだろう。

「じゃあ、客席から観てるから」

 ひらひらと手を振って、同期はバッグヤードを出て行った。後ろで未だに不機嫌そうなダンデさんをチラッと顔で振り返り、その表現するのも惜しい表情に、おかしくてつい笑ってしまった。

「ダンデさんが連れて来たんですか?」
「外にいたのを見つけて、つい」
「もう、せっかくの男前が台無しですよ」

 眉間に皺を作るそこを指で押して伸ばすと、ちょっと力が抜けたのかダンデさんの肩が下がる。ふふって笑って、大きな子供みたいな人の頬を慈しむように撫でた。

「緊張、してたけど。ダンデさんの顔見たら落ち着いてきた」
「俺も、楽しみにしてる」
「うん。観ててね」

 今日の主役は私ではない。あくまで私は脇役で、ライトを一身に浴びるのはネズさん。でも、ネズさんは言ってくれた。ここにいる全員で作る舞台だって。だから、全員主役だって。誰か一人抜けても、完成しないって。だから私は、ネズさんと私の為に、舞台で全力を尽くす。

 今後のことを考え、一般人たる私の顔が広まってはまずいから、ライブのイメージに合わせた、少し派手なペイントメイクを施される。ネットが普及した昨今は一体どこで私の顔が特定されるかわからないから、結構思い切ったメイクになった。こんな色使ったことないから、自分でも変な新鮮感があった。
 ライブはとっくに始まっていて、私の出番は新曲のお披露目の時間だけだ。だからまだバッグヤードで、大人しく待機している。袖から舞台を観ているのだが、そこでは熱狂が渦巻いていた。ネズさんに話を持ち掛けられるまではジャンル外などと思ってきた世界だが、人の熱気と興奮はどこの舞台でもそう変わらない。全身で音楽を表現してシャウトしているネズさんなんか、血が昇ってそう。
 でも、みんな楽しそう。アメリアも同期もダンデさんも客席でネズさんを観ている。チラホラと、ジムリーダーの人達がいるのがわかった。唯一顔を合わせているキバナさんも。人が多くて全員かはわからないが、ほとんど集まっているのだろう。ネズさん、人気者だ。
 少しずつ、少しずつ私の出番が近付いてくる。ライブの最後を飾る、その瞬間が。
 大丈夫。大丈夫。あんなに練習した。ネズさんもOKを出してくれた。みんな、応援してくれた。
 私は、音楽を楽しめばいいだけ。

 とうとうやってきたその瞬間に、一瞬緊張が走る。照明が一度落とされて、テキパキと準備が進められ、合図がくる。おいでって、サイン。
 何度も舞台に上がった。何度も熱い照明を浴びた。何度も、観客たちに顔を向けた。一度は背を向けたが、それでも。
 大丈夫。私は、大丈夫。
 照明が点いて、熱いそれを身に浴びて一気に胸が高揚する。使われる照明も色も違うのに、この熱さが懐かしい。
 目前には大勢の観客。みんなが舞台を見上げて、私達を観ている。正確にはネズさんを、だが、私達はみんな、今、この舞台に必要な存在。
 ネズさんがコールを浴びて、MCを経て、曲が始まる。私に別世界の舞台への切符をくれた、ネズさんの曲。
 正直緊張が完全に抜けたといえば嘘になる。ちょっぴり、まだ怖い。だけど、顔を上げてしっかりと前を見れば、たくさんの知っている顔がある。私にエールをくれた、大切な人達。
 ネズさんの歌声が観客を虜にする。でもこの歌声を支えるのは、自惚れでもなく私含めたバッグバンドだ。
 キーボードを叩く指が軽い。体が自然と動く。最初はこういうのは苦手かもなんて思ったのに、みんなが眩しい笑顔でいるから、まだ狭い世界にいたんだなって自分を恥じた。
 ライトに照らされて、観客のはち切れんばかりの笑顔が、飛び交う汗が、キラキラと光り輝いている。一体感となる今この瞬間が楽しくて、私も同じようにいつの間にか口を開けて笑っていた。
 私が弾いているのは、愛するグランドピアノではない。私が包まれているのは、愛するクラシックではない。私が立っているのは、厳かな雰囲気のコンサートホールの舞台ではない。今日のメインは、私ではない。
 でも、だけど、それが何だって言うんだろう。キーボードだってピアノだ。私は、私の愛する物を奏でている。
 眩しい。凄く、眩しい。楽しい。ずっとこうしていたい。でも一曲は長くても五分程。曲を演奏し終えて、舞台の上の全員が肩で息をしていた。だけど、終わった瞬間にワアア!と歓声と割れんばかりの拍手が響いて、空気を揺らして、また頭が馬鹿みたいに興奮する。
 間違えたらとか、そんなことは考えて弾いていなかった。ただただリズムに酔って、たくさんの笑顔を見るのが嬉しくて、全部が楽しかった。結果なんて、この反応を見れば言葉にしなくてもわかる。
 ありがとう、また私に、舞台の熱さをくれて。



 袖に戻るとお世話になった裏方のスタッフ達が勢ぞろいして大きな拍手で出迎えてくれた。ネズさんも満足そうで、袖で見守ってくれていたマリィちゃんも嬉しそうだ。
 観客がひくとジムリーダーの人達が揃ってやって来て、みんなでネズさんを囲みだした。
 メロンさんがネズさんの肩をバンバン叩き、あまりの力強さにマクワさんが止めに入っている。
 おじさんこういうのあんまり詳しくないけどネズ君の歌かっこいいねぇ、なんてカブさんが頬を紅潮させて笑っている。
 ポプラさんに後で感想を聞かせてあげないとって、そっぽを向いているビート君。その腕を掴んでいるのはキバナさんで、きっと無理矢理連れて来たのだろう。ビート君、ちょっと嫌そう。
 ヤローさんはサイトウさんとオニオン君と輪から少し離れた場所に居て、興奮した様子のオニオン君を微笑ましそうに見ていた。
 ルリナさんとソニアさんは綺麗にお洒落をしていて、パッと目を引く。ソニアさんは私と目が合うと手を振ってくれたから、私も振り返した。ダンデさんを通して知り合ったソニアさんは、口パクで何やら伝えようとしてくれている。
 よ、か、っ、た、よ。ぐわっと衝動が足元から這い上がってきて、眉を下げて泣きそうな顔で笑った。
 わいわい騒がしくなる中、大きな声で名前を呼ばれてそちらを向くと、もう目の前に筋肉の塊が迫っていて、バインと顔に当たって痛みが走った。ぐうっと呻き声を上げる私をよそに、ダンデさんがぎゅうぎゅうと抱き締めてきて、圧迫感と苦しさにたまらず腕をタップする。

「最高だったぞ!」
「っぷは。あり、がとう」
「ナマエしか見てなかった!」
「ダンデそれは聞き捨てならんですよ」
「すまんなネズ!でも本当のことだ!」

 悪びれもせずそうのたまうダンデさんに苦笑が漏れたが、次の瞬間襲った浮遊感にヒュッと心臓が縮こまるような感覚が襲う。ビックリしている間に私の視界の下の方にダンデさんの顔が来ていて、どうやら持ち上げられたらしい。なんでだ?と目を丸める。
 もう一度名前を大きく呼ばれて、ん?とダンデさんを見下ろすと、金色の瞳を爛々と輝かせていて、照明の薄いこのバッグヤードの中で、一際美しく光り輝いていた。まるで星屑を散りばめるように光があちこちに浮いて、チカチカと眩しい。
 あ、と思い至る。この興奮冷めやらぬ様子は、まさか。

「愛してる!結婚しよう!」

 ギョッとした。焦りながら持ち上げられたままに周りを見渡せば、ジムリーダーの人達以外にもまだスタッフの人達が残っている。みんな私と同じような顔をして、私とダンデさんを見つめていた。唯一事情を知っているネズさんとマリィちゃんだけが、人差し指を唇に当てて「しー!しー!」と喚起してくれているが、ダンデさんには当然のように、私しか目に映っていないようで。
 後からやってきたらしいアメリアと同期が、あんまりな状況に固まっていた。同期お前は知ってるだろ、そんな驚くな。アメリアだって、私がガラルに戻るって言った時点で察していたのに。
 それにしたって、みんなおんなじ顔している。それがおかしくて、ダンデさんのこともおかしくて、私も汗だくで派手なペイントメイクしているし。もうしょうがないなぁって、大きな口で笑ってしまった。

「もう、何度も答えたでしょう!結婚するって!」