- ナノ -




(if)プレリュードをあげる


※ifハピエン。あくまであるかもしれない終わりです




 雨が降ると手酷い感傷に包まれて泣いてしまいそうになる。
 空の上で溶けきれなかった細かな粒子が、染みついた影が、私を攻撃してきて夜を越せなくさせる。
 未練がましい。言い出したのは誰だ。何の為にあんな別れをしたのだ。
 結局私はずっと捨てきれないでいる。あの人への、膨大な感情を。行き場のない、熱情を。
 私にかけられた呪いは、未だに解けていない。


  ◇◇


 窓を開けてみると雲一つない蒼穹で、これ幸いと溜まった洗濯物を外に干すことにした。下着とかは一人暮らし故に難しいけれど、タオルなんかはやっぱりお日様に乾かしてもらった方が気持ち良い。

「プ」
「あ、外出ちゃだめだからね」

 ポンポン跳ねて前に進むププリンは自分で止まれないから、ププリンだけで外へは行かせられない。出会ったばかりの頃はそれを知らなくて大変な思いをしたものだ。
 一度洗濯籠から手を放してププリンを捕まえ、ププリン用のベッドへ戻す。ボールに戻せばいいのだろうが、初めてのポケモンだからだろうか、こうして愛らしい姿を見ていたくてついつい出したままにしてしまう。甘えたなところがあるププリンも、ボールの中よりも私の側にいる方を好んだ。

「終わるまで大人しくしててね」
「プゥ……」
「洗濯終わったらお散歩行こうねぇ」
「プップゥ!」
「はは、嬉しそうだ」

 ププリンを一撫でして気が逸れないようにおやつを皿の上に置いてから、洗濯干しという修羅場へと戻る。一人分の量だから毎日洗濯すれば余計な手間はない筈なのに、溜め込む悪癖を恨みながら干していく。

「♪」
「お散歩から帰ってきたらピアノ弾くからね」

 後ろから聴こえてくる拙い歌声をBGMにして、今日の散歩コースを頭の中で思い浮かべていく。今日は仕事もお休みだから少しだけ足を延ばしてもいいかもしれないな。ハクダンの森と4番道路どちらの方面へ行くか迷ってしまう。
 部屋着から外へ出るために着替えようとしたら、ププリンがベッドに候補として癖で並べてしまった、とあるスカートの端をつまんで短い鳴き声を上げだし、私は「えぇっ?」と思わず呆れたような顔をしてしまった。

「またこれ?」
「プッ!」
「しょうがないなぁ」

 もう流行からも外れた黄色いロングスカートがププリンのお気に入りみたいで、苦い気持ちになりながらリクエストに応えることにした。ププリンの無垢な瞳に見つめられるとつい良い返事ばかりしてしまって、アメリアにはすっかり親馬鹿ね、なんて笑われている。


 ププリンをいつも通り腕に抱えて「どっち行く?」と噴水の前に立って訊ねてみると、僅かに体が揺れた後、小さな手を持ち上げたからそちらへ向かうことにした。4番道路、パルテール街道とも呼ばれる植え込みが美しい道路だ。今日はお花の気分らしい。
 虫よけスプレーも準備万端。今日は…いや今日もバトルよりお散歩だ。やっぱりまだバトルには苦手意識が先に立ってしまっていて、最近は皆無と言ってもいいくらい。ププリンとも結構長い付き合いになるというのに、不甲斐ないトレーナーだ。

「到着しましたよぉ」

 風に乗って運ばれてくるむせ返る程の花の香りが私達を包んで、計算された植え込みの整列に目を奪われる。何度見ても圧巻な光景だ。バトル回避のため野生のポケモンとトレーナー達をなるべく避けながらゆったりとした足取りで、トレーナーと目が合ったら死ぬと思いながら奥へ進んでいく。トレーナーと言ってもちっちゃな子供がほとんどなのだが、新米の頃からそれすらおっかない。
 噴水の周りもグルグルとローラースケーターが滑っていることが多いので、おっかなびっくり近付いていく。まだ距離があるが、目にも止まらぬ速さでビュンビュン走っている姿が見つけられなくて、どうやら今日はいないらしいとホッと一安心する。ププリンごめんね臆病で。

「……?プゥッ!」
「えっ?ププリン!?」

 胸を撫で下ろしていると、突然ププリンが腕の中で身動ぎして、そのままスポンと腕から抜けて跳んで行ってしまう。ヒュッ、と心臓が竦んだ。外であの子を放したら大変なことになるからだ。跳ねて移動するププリンが一度跳ね出したら自分では止まれない。下手をすれば延々と跳ね続けてしまう。だからいつも私が腕に抱えて放さないようにしていたのに、何故自分から抜け出してしまったのだろうか。自分でも止まれないから、ププリンもこれまでこんなことしたことなかったのに。
 ポムポムと軽快な音を立てながらどんどん遠ざかって行くププリンに、呆けている場合じゃないと慌てて追いかけ始めた。

「ま、待って!」
「♪」
「嘘でしょ……!?」

 う、歌ってる。楽しいのだろうか。鼻歌のようにすら聴こえるそれに、段々と跳ね方がリズミカルに見えてきていよいよ目を疑った。馬鹿なこと考えてる暇はないぞ、と気を入れ直してしゃきしゃき走らなければ。
 でも考えて欲しい。運動なんて日常的にしないインドアな大人が全力疾走すればどうなるかを。

「はっ……!……はぁ……」

 途中から息切れが激しくなり息が続かなくなってくる。汗もかいて苦しくてたまらないのに、ププリンはどんどん奥へと跳ねて行っている。ちょっと待って、そろそろ無理。

 噴水まで辿り着いたところでさすがに体がきつくて立ち止まった。ゼェハァとみっともない声が出て、額の汗をぬぐう。休んでいる時間なんてない。私がきつくても苦しくてもププリンを止めなくては。そこではたと気付く。右を見て、左を見て、正面の噴水を見て。ププリンが、いない。

「そんな……」

 立ち止まっている間に見失ってしまったらしくて、サッと血が引いていく感覚がした。もっと奥へ行ってしまったのだろうか。まさか植え込みに落ちたのだろうか。花の群れの中は?野生のポケモンに出会っていないだろうか。ここはそこまで強くない子ばかりだけど、それでも私なしでバトルができるとは思えない。怪我でもしていたら、どうしよう。
 グルグルと嫌な想像が止まらなくて、心臓がドッドッと煩く私を責め立ててくる。ププリン、どこ行っちゃったの。どうして勝手に自分だけ行っちゃったの。
 どうして、私を置いていったの。

「ププリンー!?」

 居場所に見当がつかなくて大声で名前を呼んだ。こんなこと初めてでどうしたらいいのかさっぱりわからなくて、汗だけ間断なく浮き出てくる。パニックで、まともに思考することが難しい。

「プ!」
「え?」

 頭が真っ白になっていると、確かに聞き慣れた声を耳が拾った。小さいけれど、ププリンの声だった。もう一度呼びかけると、先程よりも大きな声が返ってきて、どうやらまだ近くにいたらしい。聞こえてくる声の方角的に恐らく噴水の反対側だ。
 でもおかしい。噴水の向こうにも道は続いていて、何かにぶつかって止まれたのかもしれないが、そうでなければとっくにミアレシティのゲート前まで行ってしまっている筈だ。それなのに、どうしてププリンはそこに止まっていられるのだろう。
 植え込みに引っかかったのだろうかと想像していると、噴水の向こうから黒い影が伸びており、どうやら人影らしかった。もしかしたら、近くに誰かがいて親切に捕まえてくれたのかもしれない。
 とにかくププリンが止まってくれて良かった。少しだけ安心して人影の方へと歩き出す。

「ププリ……ン……」
「プップッ」

 誰かが捕まえてくれたならお礼をしなくちゃ。そう思いながら噴水を回って、毎日見ている愛らしい桃色の体を見つけて、名前を呼ぼうとして、きちんと言えなくなった。
誰かの腕に抱かれてご機嫌な様子で鳴き声を上げているププリンは怪我もなさそうで、ほんの少し汚れがついているけれど、洗えばすぐに元通り綺麗になるだろう。
 無事で、安心して、胸を撫で下ろして。ププリンを抱えてくれている人が恐らく止めてくれたのだろうから、一言お礼を言うべきで。

 なのに、その髪の色が、その肌の色が。
 その大きな体が。その美しい瞳が。
 私の自由を根こそぎ奪ってしまって、声すらも取り上げてしまった。
 その人は私の登場に目を丸くし、次の瞬間大きく見開いて、口を僅かに開けて、私と同じように体の自由を失くしたようだった。

「ダンデ、さん」

 こんな所にいる筈がない人が、どうしてかそこに立っていて、私のププリンを腕に抱えていた。
 私の震える声を耳にして、ダンデさんは驚愕で固まっていた体を途端に弛緩させて、ふわりと笑みを浮かべた。

「やっと、会えた」

 ダンデさんの腕の中のププリンはずっとご機嫌な様子で、いつも私の腕の中でするように歌いだした。まだまだ音程が怪しくて、息継ぎがうまくいかなくて、ぎこちない愛らしい歌声。

「どうして」
「長い道のりだったよ。ナマエがカロスのどこにいるのかわからないから、大冒険だった」
「そうじゃ、なくて」

 急速に乾いていく喉と、ププリンを見失った時とリズムを変えた心臓の音に指先がじんじんとする。掻いていた汗が急激に冷えていく。どうして貴方は、そこにいるの。私は貴方を置き去りにしたのに。どうして、私を探しにきたような言い方をするの。
 私は、貴方を切り離したのに。

「……っ」

 抑えきれないたくさんのものが口から零れそうで慌てて口元を覆った。視界が滲まないように必死だった。私は我慢しなくてはならない。決壊してはならない。そんな資格ないのだから。

「いつも迷子の俺を見つけてくれただろう。だから、」

 ププリンの間延びした歌声が二人の間に呑気に響いている。私達の空気なんて一切気にせず、自分のペースで大好きな歌を口ずさんでいる。ねむりの効果なんてまだない拙い歌。ダンデさんの腕の中で、小さな体をゆらゆらと揺らしながら。

「今度は、俺が見つけに来た」

 一際大きな歌声が空気を震わせた。調子が外れた、音楽にはまだ成れていない歌声。
 気付いたら俯いていて、前が何も見えなくなっていた。掌で塞いだ奥から隠してきた感情が飛び出しそうになる。殺せなかった感情が、溢れ出してくる。空の上で溶けてくれなかったそれが、今頃になって蘇り襲ってくる。
 馬鹿だと思っていたけれど、本当になんてとんでもない馬鹿なんだろう。
 肩を小刻みに震わせている私へその人は一歩ずつ近付いてきて、足が縫い付けられたように動かせなかったから、簡単に距離が縮んでしまった。

「……馬鹿なの」
「これまでが馬鹿だったんだ。ずっと後悔していたよ、ナマエを行かせてしまったことを。そんな俺にたくさんの人が言った。どうして大人しくそこにいるのか、と」

 ププリンは私を見て、ダンデさんを見て、「プ?」と首を傾げるように体を右に傾けている。とても不思議そうだった。必死に泣いてしまうのを堪えているからまだわかっていないと思うが、これで涙が零れてしまえばあの子を心配させてしまう。この子は、私が泣くと同じように泣くのだ。口元を覆う手の力が増していく。酷く、息がしづらい。

「ナマエを行かせたくなかった。ナマエを放したくなかった。なのに俺はその手を放した。そして周囲に言われて、ようやく気が付いたんだ。なんて俺らしくなかったんだって。いつでも俺は、欲しい物を自分の力で掴んできた。聞き分けよく諦めるなんて、そんなの俺じゃなかったんだ」

 我儘。横暴。暴君。たくさん心の中で揶揄してきたが、それは全てダンデさんの真理だ。キバナさんなんかガキ大将とまで言い表したのだ。そんな貴方が素直に私の手を放してくれたからここまではるばるやって来たというのに。今更になってそんな勝手なこと口にするなんて、残酷を通り越して悪魔のような人だ。

「俺は、俺のだせる全力を出し切って勝利をもぎとるのが、大好きなんだ」

 知ってる。そうやってたくさんの物を勝ち取ってきた。あの日にその英雄伝説の幕を降ろしても、貴方の活躍は海を越えて少しだけだけどもたらされているから。この地方の人達が貴方の活躍を知らなくても、興味を持っていなくても、私は全部知っている。貴方の名前が聞こえると、馬鹿みたいにその場から動けなくなってしまうから。

「だから、もぎ取りに来た」

 一歩ずつ、ダンデさんが距離を埋めてくる。恐々と手を除けて顔を上げると、生けるもの全てに慈愛を施すような笑みを浮かべる人がいて、その人は腕に抱えるププリンを私へついと差し出して、操られるように腕の中からもらい受ける。プ?とププリンはなんだか楽しそうに揺れていて、そんなププリンの頭を撫でてあげることすら、できそうになかった。
 ププリンのくりくりとした瞳だけ喉を詰まらせたまま眺めていると、肩を引かれて踏ん張ることも叶わず前へと足が進んでしまった。
 かつて嗅ぎなれた匂いが全身を包んで、とうとう堪えていた熱い涙が溢れだしてきた。ププリンを潰さない程度に抱きすくめられて、額をその人の胸に押し付けた。あの日、空の上で溶けきれなかった残骸が、再び形を成していく。

「愛してる」

 呪いを祝福に変えて、私の体の中を巡っていく。ずっと捨てきれなかった切願が、今頃になって色を取り戻してしまって、ただ額を強く擦り付けた。

「俺は俺の為に、ナマエの手をもう放さない」

 自分のジャケットが滲んでいくのを咎めもせず、優しいのに手前勝手なことばかり口にして、ますます俺様になったんじゃないのって怒ってやりたいのに、もう口からはろくな言葉が出てこない。ずるいこんなの。私も私の為にここまでやって来たのに、同じこと言うなんて。

「一人でなんて寂しいこと言わないでくれ。二人で見つけよう、間違えない歩き方を。俺の隣で、胸を張るナマエであってくれ」

 一人で歩けると思っていた。私はそれにずっと頑なにこだわり続けて、カロスまでやって来た。でも、決して一人では暮らしてこられなかった。生活のこと、ポケモンのこと。特にププリンのことは一人では絶対に無理だった。

「俺達は運命じゃなかったのかもしれない。でも、それが何だって言うんだ。運命なら、俺が握るさ」

 ゆっくりでも一人でずっと歩いていこうと思っていた。そうして知ったのだ。全て一人でなんて、無理な話だったのだと。
 どんな人でも一人でなんて上手に生きていけない。一人ぼっちでは、誇れる自分には到底なれない。アメリアにかつて諭すように言われた、考えを難しく縛るなという言葉を都合よく知らんぷりして、海も空も飛び越えたこの地で、たくさんの人に助けられて、今の私がある。

「……まだね、私が強くなったのか、前を向けるようになったのかわからないの。でもね、やりたいなってことは、なんとなくだけど、できたの」
「なんだい?」

 神様みたいに優しい声音で、でもこの人は決して神様などではない。同じヒトで、同じように悩んで苦しんで、幸福な明日を模索する、同じ世界に生きるヒト。
私に優しい言葉をくれるのは、私を想ってくれるから。私がかつてそれに応えられなかっただけで、この人がくれるものは、ずっと本物だった。

「近所の女の子がピアノを教えてって言ってくれて、今その子に教えているの。随分、指が弾き方を思い出してきたの。それでもまだまだ拙いけれど、楽しそうにその子、ピアノを弾いてくれるの。ピアノがもっと好きになったって笑うの。それがね、とても嬉しいの」

 奪われたいと思っていた。奪って繭にくるんで丁寧にエサを貰って、私に優しい世界に生きたいと身の程も弁えず望んでしまった。あの頃は、自分が可愛くて、他の世界に目を向けるような余裕もなくて。でもここで一人で生きて、たくさんの人に教えを貰って、ようやく、俯いてばかりだった顔を少しでも上げられたような気がしている。

「私、ピアノを教えたい。先生になってみたい」

 まだまだ未熟で前向きにはなりきれてないけれど、それでも明るい未来の形を、やっと想像できるようになれた。

「これって、ちょっとは前を見れるようになったってことなのかな」
「十分じゃないか」

 鼻先が頭に擦られて、また泣いてしまった。あやすみたいで慈しむようで、冷えていた体が温まるような心地がする。

「苦しいときも辛いときも、まだまだたくさんあるの。でもね、前よりも思えるようになったよ。貴方の愛した世界を、私も少しは愛せるようになったって」

 一度染まった悲しみはそう簡単に切り離せなくて、確かに楽しさを感じる日々を送っても忘れた頃にそれは突然戻ってきてしまう。アメリアからの友愛を受ける今もなおしつこく、自分が犯した間違いが鎌首をもたげてこちらをねめつけてくる。それでも、昔よりも今の方がずっと、目を瞑って見逃がしてきた眩しさに出会えるようになった。ププリンの存在が、私を何度も助けてくれた。

 あの日ダンデさんと、出会えたから。
 ダンデさんが、私を見つけてくれたから。
 後悔があっても、貴方が、送り出してくれたから。

「少しずつ分けてくれ。俺の荷物もナマエに預けるから、二人で手を繋ごう。俺もたくさんの人に言われてようやくそう思えるようになったんだがな」
「また甘えて依存しちゃうかもしれないのに?」
「もうそんなことにならないって君もわかっているんだろう?それに、どんな風になろうとナマエが戻ってきてくれるならかまわないって言ったら?」
「………」
「後ろに下がらないでくれ」

 二人に挟まれるププリンの楽しげな声が聞こえて、この子は何を喜んでいるんだ?私達は別に遊んでいるわけじゃないんだよ?
 そういえば私が泣いてるのにこの子泣いてないな、と今頃になって気が付いた。ダンデさんがいるからだろうか。それなのに後ろに下がると急に寂しげな顔をして泣きそうになるものだから、仕方なく足を元の場所へ戻すことにした。さすがポケモンに愛される男だ。

「うーむ、締まらないなぁ」
「締まったことなんて今まで一度もないでしょうに」
「そうだったか?」
「そうですよ。いつも自分本位で、私の都合なんかお構いなしに振り回して、態度も大きくて」
「きゅ、急に悪口か?」
「いつまでたっても子供みたいで、バトルジャンキーで、勝ったときのリザードンポーズがかっこよくて、笑顔が太陽みたいで、私のこと甘やかして」
「あ、ああ?」
「楽しさも喜びも悲しいも苦しいも全部教え込んで、私を潰さないように抱き締めてくれて、髪を撫でてくれる指が優しくて、泣きボクロにキスされるのが本当はたまらなく嬉しくて」
「……」
「全部、覚えたままなの。忘れた日なんて、一度もなかった。ダンデさんのことが忘れられなかったから、いつも胸の中にいてくれたから、いつも歩かなきゃって思えたの」

 頑張って溜め込んだ涙が大粒で零れ落ちた。散々泣いたのにまだ止まることを知らないようだ。熱い軌跡が残るその上を、更にまた大粒の滴がどんどん滑っていく。

「酷いね私。ダンデさんには勝手なことばかり言ったのに、結局私が消せなかった」
「お揃いだな」
「ほんと、色んな人に言われたけど、馬鹿だなぁ」

 手の甲で今度こそ止まらなくなった涙を拭っていると、顔を挟まれて目尻にキスをされた。魔法じゃないそれに涙が止められることはなかったけれど、右目のすぐ下に降った口付けが、私の心をやわく溶かしていく。

「泣かせてばかりだな、俺は。どうすれば止められるんだ?」
「多分、ダンデさんには一生無理ですよ」
「何故だ?」

 不思議そうに、でも薄く微笑みながら私を覗き込むダンデさんに片手をそっと掴まれたから、同じように握り返した。

「ダンデさんが好きだから、出てくる涙だもの」


  ◇◇


 ププリンを片手で抱えて、もう片方はダンデさんに繋がれて、ハクダンシティへの道を戻っていく。風に攫われた色とりどりの花弁が辺りを舞っていて、雲一つない青空にとてもよく映えていた。
 まだバトルシャトーに行っていないから後で行きたいだなんて、本当にバトル脳なんだからと笑って、今日は天気が良いね、みたいな気持ちでポロポロと二人で拙く話をした。ふわふわと心地良い空気に遠慮しながら、それでも話は続けた。
 ププリンはダンデさんのことがお気に入りみたいで、私の腕の中にいるのにダンデさんのことばかりチラチラ見ていて、アメリアが知ってしまえばきっと火山の如く噴火するだろう。

「ナマエの家に帰ったら、ピアノを聴かせてくれるだろうか」

 隣の私を見下ろしながらそんなことを控えめに請われた。穏やかな顔をしているのになんだか少し気弱な声音だったのがおかしい。
 だから私は、繋がれた手をギュッと強く握り締めて、微笑みを贈った。

「ええ、もちろん」

 たどたどしくて、まだ昔と比べれば滑らかに動かない指で全然格好よくないけれど、貴方にプレリュードを弾いてあげる。

 今の私が出せる全部を、貴方にあげる。