夜/6
川から離れ、森を探索してからどのくらいの時間が経っただろう。随分とこの森の中を歩き回ったと思うのだけれど、自分以外の人間を見つけることは叶わなかった。
代わりに、動物たちとは結構な頻度で遭遇した。ただそのどれもこれもが今までに見たことのない生物たちだったので悩みのタネがさらに増える。鹿によく似た生物は角が本物の木の枝のように見え、そこに蔦が絡み、若葉が芽吹き、白や縹色、薄桜といった淡い色彩の小ぶりな花を咲かせていた。うさぎだと思って近づいてみればリスのような立派な尾を生やしていたり、タンポポの綿毛を吹いて飛ばそうとしたら綿毛からガガンボみたいな細長い足が生えてそそくさと逃げていった。流石に綿毛から足が生えた時には「ぎゃっ」と自分でも聞いたことがない様な叫び声が口から飛び出した。しかし、こちらは自分の顔が10歳若返るというとんでもな経験を既にしているのだ。これ以上はもう考えらんねぇ、と思考放棄の後に、もういっそのことファンタジー感溢れる不思議生物達をもっと見たいという呆けた欲求に身を任せ森のあちこちをかけずり回ったのだった。
空を仰ぎみれば陽はもう随分と傾いている。赤く染まる空が急かすのか、空には鳥達が忙しなく羽を羽ばたかせてそれぞれの巣へと帰る途中だ。その光景に、若干の寂しさと焦燥感が滲み出てくる。ここにも変わらず夜が来る。気温は少し下がってきたようで、ノースリーブのワンピースでは少し肌寒い。これから森は深い闇に包まれるだろう。その時、私はどう過ごせばいい・・・?
予想していた天国とはやはり程遠い。昼間には陽気に枝を揺らしていた木々は今や沈黙に徹し、時折身震いするように葉音を立てるだけだ。鳥の鳴き声に混じり獣の遠吠えが僅かに聞こえる。闇が迫る。森が持つ裏の顔が、徐々にその姿を現していた。
そこからはあっという間だった。すぐさま乾燥した木の枝や皮、枯れ草をかき集め、探索中に見つけた白樺のような木の皮を剥がしていく。ある程度集まったところで奇跡的に着ていたキャミソールを抜ぎ、頑丈そうな木の枝に肩紐の輪っか部分を引っ掛け思い切り引きちぎった。縫いつけではなくストラップだから簡単に肩紐だけが手に入る。これで素材は揃った。肩紐を弦として、弓切り式で火を起こす。火切り杵を固定する台木の溝は、川の畔に落ちていた小さな石を打ち付けたり擦り付けて削ったりして無理やり凹みを作った。 サバイバル術は趣味でテレビや本を読み漁っていたので知識だけならある。ただし実際にこんな事をするのは小学生の時の体験行事以来だ。
「一か八か・・・お願いしますッ!」
願いを捧げるように、一心不乱で弓を前後へと動かす。溝が浅すぎて安定しない火切り杵を何度も何度も位置へと戻して弓を引く。摩擦によって徐々に溝が深くなり、安定してくるが中々火種は出来ない。煙は上がるのに何故・・・。既に手元を見るのももうやっとの明るさだ。周囲から聞こえてくる夜の声達に、背中に感じる何かの視線に焦りがどんどん心を埋め尽くそうとする。
・・・・・・・・・いや、嫌だ。ここまでやって火がつかないだなんて私の努力が許さない。ぐっと額の汗を拭って深呼吸を1回、2回。パニックになって泣き寝入りなんて、そんなの情けなさ過ぎる。
「大丈夫、大丈夫・・・・・・落ち着いてやろう私・・・」
恐怖か疲れか、それとも両方が原因なのか、震える手に力を込める。あともう少しな筈なんだ。唇をぎゅっと噛み締め、弓を引く。諦めの悪さなら、誰にも負けない自信があった。
太陽に代わり月光が木々の隙間を照らす頃、森の中で小さな小さな赤い光がじんわりと生まれた。 白樺に似た樹皮に火種が落ちる。息を吹きかけると小さな火があがった。素早く準備していた火床に移動し、小枝を追加。炎が大きく高くなってきたら今度はワンサイズ大きい枝を投下。そうやって徐々に火を育てていく。
目の前でパチパチと音を立てて燃える火をしばらくの間呆然と眺めていた。火起こしで体は温まっていたが、それとは違う熱が体に伝わってくる。初めて、1から自分で火を起こした。あんまり強く噛んでいたからか、熱に晒され唇がヒリヒリする。腕は弓の引きすぎで痙攣していた。ライターがあれば1秒で着くものに数時間をかけた。これだけの為に、なんて、馬鹿馬鹿しい。
だけれど、目の前で踊る美しい炎に、涙が止まらないのは何故だろうか。