天国?/5
そうだ、私はあの時死んだのではなかったか。電車に轢かれかけた男を助けて。脳内に浮かぶ記憶を辿り、現状との食い違いに疑問を抱く。なんら支障無く五感も働くし、視界も良好。四肢も動けば電車に轢かれた時の痛みも衝撃の記憶もない。覚えているのは光に包まれた所までだ。
一体どういう事なのだろうか。もしかして死後の世界とか?非現実的な話ではあるけれど、今はそれが一番しっくりくる答えだった。確かに電車は目の前に迫ってきていたし、あの距離では助かりようもあるまい。
本当に死んでしまったことに対して若干のショックを覚えない訳ではないが、あまりの実感のなさにそれ程深く落ち込むことはなかった。記憶として認めざるおえない死の事実はあるが、経験としての死の自覚がないとでも言えばいいのか。
まあそれは揺るがない事実として片付けることにして、さて、ここは一体どこなのだろうか。死んでしまったということはここはあの世ということになるのか。ならば見た目から判断するに地獄というよりは天国のうに思えるけれど・・・・。
もしそれが本当なら、神様は随分と寛大な御心の持ち主の様だ。私はあいにくと神様にご縁がなかったから、神の慈悲深さを死んだ後に初めて知った。
ぐるりと周囲を見渡す。人の気配はないが、素足をくすぐる若草、鼓膜を震わせる鳥の囀り、__目の前にそびえ立つ一本の巨木。地元は良く言えば自然に囲まれた所だった。生まれた時から緑に囲まれ、1人森に入って絵を描くことが好きだった私にとって、懐かしさを感じると共にここはとても魅力的な場所であった。
随分と想像していた天国とはかけ離れた場所ではあるけれど、私にとって楽園ではある。地獄には亡者1人1人にカスタマイズした地獄が存在するらしいけれど、そういった仕様でもあるのだろうか。天国も私たちの知らない間にバージョンアップしているのかもしれない。
風になびく髪がほおをかすめる。死装束の代わりとでもいうのか、いつの間にか着せられていた白いワンピースが空気を含んでゆったりと膨らんだ。目の前にある巨木は私が首を限界まで上げても天辺が見えずに、視界を一面の萌黄色に染め上げる。木の葉同士が風に揺れ、ざわめき合って小気味いい音を出す。樹齢千年は超えるであろうその巨木をぐるりと回ってみれば、ぽっかりと根本に大きな洞が空いている。根っこに張り付く苔を見ればさらに小さな森が見える。樹皮に刻まれた溝を辿れば虫や鳥の痕跡を見ることができ、葉を光に透かせば鮮やかな色に透ける葉脈を見せてくれる。ただただ美しい、その一言に尽きた。
もっと色々とこの森を見てみたい。人や森の出口探しも兼ねて、私は周囲を探索することにした。心なしか足取りは軽い。己の身のことを後回しにする位には、私はこの森の神秘性に酔いしれていた。
巨木を基点として東側を進んでいくと、程なくして川のせせらぎが聞こえてくる。好奇心と期待に胸を踊らせて音を頼りに走り出す。パッと開けた視界の先、遮るものがなくなった陽の光が存分に水面を照らしてキラキラと光っている。小岩にぶつかった流水は踊るように弾け、せせらぎの一音一音を紡ぐ。離れたところから見ても水底がはっきりと見えるのだから相当に綺麗な川だ。歩き回って喉も乾いてきたところだしちょうどいい。草木をかき分けて私は川のほとりへと出て、水面をのぞき込んだ。
・・・時に、人は死後の世界ではどのような姿になるのだろうか。心霊話では死亡時の凄惨な姿であったり、はたまた若返った姿、遺影と同じ姿。様々な話が存在するが、実際のところどうなのだろう。
日光を反射して眩しいほどに輝いている水面を私はじっと睨む。目をこすってみても、顔を引っ張ってみても映るのは変わらない。・・・・私は10数年ぶりの、幼い自身の顔と対峙した。
そういえばこんな顔をしていた気がする。染めていない真っ黒な髪。肌の凹凸もニキビ跡も無いきめ細かい素肌。昔は良く「肌が綺麗ね」と大人たちに羨ましがられてたっけ。キュッと口角を上げてみると、いつの間にか消えたえくぼが復活を遂げていた。
驚きがキャパシティを超えるとどうやら一周回って冷静になるらしい。いや、これは冷静そうな顏を装っただけの思考停止に等しい。だってこれは、完全に理解の範疇を超えている。ぎゅっと眉間にシワを寄せて数分、いや數十分程この状況について頭をフル回転させて考えた。
「・・・・うん、わかんない」
そして思考放棄。体に痛いところはない、具合も悪くない。高い所にある物が届かなくなったこと以外は何も不自由はない。むしろ20歳の体より軽く、そして力に溢れている。理解はできないが、死後の世界だ。なんでもありなんだと思うことにして無理やり自分を納得させる他なかった。