一年後の冬/4
2020年11月
上京してから一年と少し、今だに何も変わらぬ生活を私は送っていた。その日暮らしといえば気楽に聞こえるが、むしろ気楽すぎて浮いているような気分だ。
寒空の夜。今日と似たような日に出会った老人を思い出す。ゴブリンによく似たホームレスの男だ。あれから老人とは一度も会っていない。今の今まですっかり忘れてしまっていたが、あの後しばらく老人の姿を探した程度には気になってはいた。彼は今どこにいるのだろう。今年も寒い。凍えてなければ良いのだが。
僅かに見える自分の白い息に肩を竦める。年々寒くなってきているのは環境破壊のせいなのか。温暖化するのか氷河期が到来するのかどちらかにして欲しい。
・・・・それにしても今日も人が多い。金曜日の夜となれば尚更か。溢れかえるホームをかき分け進む。これは一本見送って最前列を狙った方がいいかも知れない。ホームに迫る満員の電車を見てため息をついた。
見送った電車が発車していく。ホームの人混みは大分落ち着いたので、今のうちに前に並んでおけば座れるかもしれない。そう思ってすかさず前を陣取った。再びホームは人で溢れていく。東京は良い。地元と違って電車を逃しても数分後には来るのだから。迫る電車を遠目に見ながら、どうか座れますようにと願う。
その時、隣に並んでいた男が突然、前へと吹っ飛んでいった。今思えばあれは、誰かに突き飛ばされたのではないのだろうかと思う。そうでなければ、あんな勢いよく飛び出すはずかない。「わ、」と男の声が聞こえた時には、もう彼の足はホームから離れていた。どさりと音がして男が線路へと落ちる。電車はもう目の前だ。
迷ったのは一瞬だった。非常停止ボタンを押してもこの距離じゃ間に合わない。男性が自力で上がる時間もない。そこまで考えて、その先を考えるのをやめた。ホームから身をのり出して彼へと手を伸ばす。迷いなく掴んでくれた手を放すものかと、あるだけの力を使って引き上げた。
「・・・・・あっ」
そこで私は気がついてしまう。自分の体重が落ちた彼より軽い場合、私の体重は落ちる方向、すなわち線路側へとかかるのである。だから、私には彼の体重+自分の体重を引っ張りあげる力が要求される。
とここまで理屈臭く説明したが、要するに、私は落ちた。彼の命と引き換えに。いくら力仕事をしていたとはいえ、限界はあるのだ。
ホームに手をかけて這い上がった彼の背中を最後に、私の視界は眩い光に包まれた。