動機なんてそんなもん

深夜、二時。
カーテンの開いたままの大きな窓から、その形に沿って蒼いコントラストを醸す淡い月の光が降り注ぐ室内。

「あの女、信用なんて出来るの?」

窓辺に立った妖艶な声の女性が薄い茶と桃のグラデーションの巻き毛を流れにそって優しく梳く。

「わざわざ口に出さなくてもわかっていますよ。大体その台詞、今日でもう何回目ですか?相変わらずケバい上に煩い女ですねぇ」

朝から飽きもせず同じ台詞を吐き続けているのだ。
いい加減耳にタコができる。とうんざりした様子で、テーブルの側に置かれたソファの一つに座していた特徴的な下まつ毛の男が手にした紅茶を啜る。

「ん何ですって?!私のどこがケバいっていうのよ!?この下まつ毛!」

「美しいでしょう?」

声を荒げる巻き毛の女に、特徴的な下まつ毛の男はゆったりとした仕草で前髪を払う。

「全然。つーか暑苦しいわ」

「いやですね〜。ひがんじゃって、もう」

「あんたマジうっざい」

「う、うざい!?こここの完璧に美しい美貌を持つ私のどこがうざいと、」

「全体的にうざいっつーの!こんの糞ナルシスト!」

「ちょっ、落ち着いてよ。口論しに来たわけじゃないんだからさ。ねぇ、Δ」

下まつ毛の男がすっとんきょうな声を上げたのを皮切りに、口論を始めた二人を見かねて、黙々とテーブルの上のお菓子を食べ続けていた三つ編みの青年が割って入る。

「どうせ私は蚊帳の外。そう…空気、空気なのよ。透明で、居ても居なくても誰の目にもとまらない。いいえ私ごときが空気なんて空気に失礼よね。そうよね。根底には何もない空っぽな私なんかがおこがましいにも程があるわよね。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 う わ ぁ


振り返って、部屋の片隅にある観葉植物の隣。
体育座りで親指の爪を噛む少女に口論も忘れ三人揃ってドン引く。
まるで死んだ魚の様な濁りきった瞳からは生気の欠片も感じられない。

「確かに空気は生物に必要な元素を有しているけれど、僕には君も必要だよ」

「……ボス」

やんわり、Δと呼ばれた少女の頭を大きな手が撫でる。
濁った瞳が左目にモノクルをした男を映すと男は優しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

「彼女の目的はよくは判らないけど、僕らにとっても都合がいいことは確かだ。支障のない程度なら利用されるのもいいんじゃないかな」

脇の下に手を回し優しくΔを抱き上げて、モノクルの男がソファへすっと腰を降ろす。
その片手は再び親指の爪を噛み続けるΔの頭に置かれ、真っ黒な髪を撫でる。

「令嬢の件はΔ、君に任せるよ。此方の経過を見計らって迎えを出すけど、危ないと感じたら待たずに直ぐ帰っておいで。彼らは容赦がないからね。命を粗末にしてはいけないよ」

諭すような口調に、Δは俯いたまま小さく頷いた。




【テロルの真意】







 ねえ、


 助けられる?



身体を包み込む暖かな感覚。
ほんの僅かな音量であったが、人の声が耳に届く。
トーンの高さから、女性だろうか。
朦朧とする意識の中、ぼやける視界に映る舞い降りてくる光の粒がとても綺麗だと思った。


 はい。


 貴方のお陰で、幸いにも腹部の傷はまだ致命傷にまで到っていませんから。


 必ず、助けます。


誰かが言ったその言葉を最後に、ぷっつり。
意識が途絶えた。




「君は、刑務官が行う公務が何であるのか…理解しているかい?」

特殊警察関東本部、本部長室。
深夜にも関わらず所有するデスクに腰を据え、浹はその瞳に映る黒髪の少女に問い掛けた。
浹と向かい合うようにソファに座る黒髪の少女の傍らにあるソファには、わたあめを頬張るぴりあとうざをが座している。
明らかに雰囲気をぶち壊しているが浹からのお咎めはなく。堂々としたものだ。


「人殺しだろ」


投げられた質問に黒髪の少女は思案することも気兼ねすることもなく、はっきりと即答した。
同時に、浹の他にもう一つ黒髪の少女を見つめる視線が増える。

「標的とか言うの捕まえるだけならただの警官と変わんねぇ。けど、抵抗したからって殺したら殺人以外の何でもねぇもん。ただ、刑務官には法って言う“正義”の盾がある。だから規律さえ守ってれば他人を殺しても法的には問題ない」

加わった視線はぴりあのもので、表情に変化はないものの黒髪の少女に多少なりとも興味を持ったらしい。
黙々とわたあめを食べながらも応答を続ける黒髪の少女から目を離さずにいる。

「アタシ頭悪いからさ。難しいことよくわかんねぇし、上手くも言えねぇけど。犯罪者とされる連中との違いは合法か、否か。法って正義の盾に弾かれるか、弾かれないか。ただそれだけでさ。やってることそのものは結局、殺人犯と同じなんだろ。それでも、アタシは刑務官になりたい」

いい終えた黒髪の少女の、真っ直ぐな眼差しが浹を射る。
そんな黒髪の少女にふうわりと笑みを溢して、

「いいや…君はとても賢い子だ。それに強くもある。合格だ」

浹は内定を告げた。









静まり返った室内にカーテンを引く音を聞いて直ぐ、差し込む日射しの眩しさに和人は眉根を寄せながらゆっくりと瞼を開いた。
数回瞬きを繰り返してぼやけた視界をクリアにする。
日射しを眩しく感じるものの、はっきりと物を映すようになった蒼が捉えたのは、日射しを背に窓辺に立つ相方の姿。

「あは、起きたね」

「……」

「あり、和人ー?」

無反応な和人に小首を傾げて顔を覗き込めば、澄んだ底のない瞳が再び瞼の奥に仕舞われていた。

綾瀬が和人の邸宅へ訪れたのは今から約四時間程前。日付の変わって三時間後のことだ。
『期限、今日の十時なんだよ』
そう言って綾瀬には構わず提出期限間近の書類の束と格闘していた。
机の上には処理済みの書類の束も綺麗に並べられており、うっすらと目もとに浮かぶ隈から昨日から寝ていないことが窺える。
本来持ち出しが禁止されていた気がするものも混ざっていたが、和人のすることに一々口を出す趣味は持ち合わせていない綾瀬はあっさりスルー。
気にも留めなかった。
ソファーベッドで雑誌を読み散らかしたと思えば庭に水を撒き散らしたり池須で釣りを始めたり我が物顔で寛ぐ綾瀬を完無視し、書類の処理を済ませ、
『寝る』
と大きく欠伸をして寝室へ行ったのが今から約二時間前。
まだ完全には覚醒しきれていないのだろう。

暫く和人の寝顔を見つめた後、綾瀬は緩く口端を持ち上げた。


「で、なんで冷蔵庫の中空にしてんだ。お前は」

三十分程してリビングに顔を出した和人は、キッチンにありったけ並べられた食材とほとんど空っぽの冷蔵庫を前に落胆の色を示した。

「およ、Good morning和人。お風呂入れるよ」

そんな和人に構わず、鍋をおたまでかき混ぜながら綾瀬が告げる。
表情は至ってにこやかだ。

「マジでか。じゃあ入ってくる」

じゃなくて。

「お前な……何作ろうと構わねーけど、夕飯の分まで使うなよ」

うっかり流されそうになるも、直ぐ様脱力感を顕にして和人が小さくため息をつく。
朝食を作っていることに文句はない。
しかし片っ端から食材を使いきられてしまっては外食にするにしろ、夕食のために出費がかさめば手間も増えるわけで。
要は面倒くさいという話である。

「あは、いいじゃんいいじゃん。後で買い出し付き合ってあげるからさ」

「誰持ち」

「私」

「風呂上がるまでに作りきっとけよ」

「アイアイー」

支出が綾瀬と聞きき、あっさりと態度を翻して和人が風呂場へ向かう。
軽く返事をしながら、綾瀬は見事な包丁捌きでニンジンを細切れにした。


「新人ちゃん、面接通ったって」

淹れたての紅茶をティーポットからカップへ注ぎ、綾瀬が椅子に腰を降ろす。
テーブルには綺麗に盛り付けられた豪華な料理が並べられ、さながら高級レストランの様だ。

「へぇ、なんて答えた?」

「人殺し」

「直球か」

「イエス、ど真ん中ストレート。中々に客観的な応答だったって。人事課の人が聞いたら真っ青だね」

人事の人間がアホ面を晒けだす様を想像してか、綾瀬はにやにやと笑みを浮かべて紅茶に角砂糖を二つ入れた。
確かに、何かにつけて対面を気にかける人事の者は騒然とするだろう。
刑務官の公務が犯罪と法を隔てた紙一重の行為であることを理解してはいても、そうですね。などと容易く頷けるような者は早々いない。
例え法に則っていようと、殺人に万人に通じる絶対的な正義などないのだから。
あるとすれば法によって認められる正当性だ。

「あいつは主に客観的に物事を捉える冷静な目と覚悟をみてるからな。一般の就職面接とはわけが違う」

「考え方が感情論でしかない、自己満足な正義感に溢れたのが入っちゃってもうざいだけだもんね」

「直情的ともなると暴走しやすいからな」

犯罪が許せねぇ。てのはご立派なのかもしれねぇけど。
然も興味がないと言うように吐き捨てて、和人はわざとらしく肩を竦めた。
和人が総隊長に就任してから今までに処分をした刑務官は二桁に上る。
無抵抗であった標的を殺害したりと状況は様々であったものの、その大半が、自分本意の正義を振りかざしその行為の正当性を訴えた。
どんなに聞こえのいい言葉を並べ立てようと、規則に反した時点で法による正当性すら認められなくなると言うのに。

「刑務官は全員、浹が最終面接すりゃいいのに」

「それじゃあ刑務官の採用率が絶望的になっちゃうよ」

柳眉を眉間にくっと寄せながらボンゴレスパゲッティに手を付ける様を見、綾瀬が笑って返す。
常人でなくとも浹の採用基準に達するのは難しいだろう。

「そういやお前の志望動機って何」

パスタをフォークに絡める手を休めることなく何気なく和人が訊ねる。
投げられたその言葉に、綾瀬は紅茶を置いてにっこりと口許に弧を描いた。

「合法で人を殺せるから」

「あー、好きだよな。お前。特になぶり殺し」

「うん、大好き。眼球が飛び出そうなくらい目を見開いて、泥や血塗れになって地面を這いずりながら犬みたいな仕草で拒んだり、命乞いされたりしたらたまんないね。ゾクゾクする。最高。そんなことより和人は?」

うっとりと、悦に入って言い切って満足したのか今度は綾瀬が問い返す。

「親父のイーグルぶっ放してぇから」

「いい音するもんねー」

パスタを口に含んで口をもごもごさせながら答える和人に、綾瀬の明るく笑いを含んだ声が降ってくる。

そんな不純な動機でいいのか本部長。

などと二人の採用を決めた浹に対し、疑念を浮かべるものは二人きりの室内には勿論なく。
ほのぼのというには物騒過ぎる会話を繰り広げる刑務官最強のコンビは、本部に着き各自の執務室へ行くまでその他様々な話題で盛り上がっていたそうな。

2009.12.15




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